東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 自称・そこそこ腕の立つ魔法使いエレンの朝は早い。

 

「ふぁああ……うう、今日も寒いなぁ」

 

 欠伸と共に起床して、まだ完全に日も昇らぬうちに表に出る。

 共和制ローマでも数少ない本格魔法店、“ふわふわエレン 魔法のお店”は、早めの来客にも対応しなければならないのだ。

 城の方からも使いの兵士たちが訪れるほどの人気ぶりである。共和制ローマにおけるエレンの店の重要性は非常に高い。故に、寝坊は禁物なのである。

 

「えーっと、ああ……今日は魔法を使うのね……」

「うむ」

 

 一瞬、水瓶から桶で掬おうとした彼女であったが、昨晩の話を思い出してかすぐに動きが止まる。

 “どうしてもやらなきゃいけない?”とでも言いたげな顔で私へ目配せするが、私は当然の如く縦に頷くばかり。

 

「……ううう、本当に笑わないでよー」

「笑わんて」

 

 そもそも、魔法を効率悪く使うことにかけては私だって通った道だ。

 仮にエレンの魔法が拙いものだとしても、最初期の私の魔法よりはずっとまともなはずである。

 

「よーし……それじゃあ……」

 

 ようやっと空の水釜の前に立ったエレン。

 彼女はエプロンのポケットから、小さな麻袋を取り出した。おそらくは水魔法の触媒であろう。水を作るだけであれば、専用の触媒さえ用意できれば難しくもない。

 

 エレンは小さな麻袋を水釜の中に放り投げると、両手に“チョキ”を作って額に当て――。

 

「えいっ」

 

 ――難なく魔法を発動させた。

 

 ぼわんと白煙の立ち上る水釜。

 煙が晴れれば、そこは適度に煮えたお湯で満たされていることだろう。魔法の成功に疑いを挟む余地はなかった。

 

 しかし、ただの水の生成に留まらず、熱湯として出現させるとは少々予想外だ。もちろん良い意味で。

 魔法の発動方法もシンプルだったし、ポーズは若干エメリウム光線っぽかったけど、特別変という程でもない。

 

 何も恥じることはない。素晴らしい魔法ではないか。

 不純物の混じっていない綺麗な水釜から目を外し、そうしてエレンを褒めてやろうと思った私であったが……。

 

「ひえええーっ」

「うわっ」

 

 エレンのふわふわな髪が、パチパチと音を立てながらぶわっと膨らんでいた。

 

「いたた……ううう、やっぱりこうなるー」

 

 常日頃のエレンの金髪も、そこそこボリュームのあるものであったが……今の彼女の髪は、それを遥かに上回っていた。

 体積として、およそ1.5倍は増えているだろうか。髪の一本一本がふわりと浮かび上がってかさを増し、絶え間ない静電気の音と共に一部はうようよと蠢いている。

 

 こ、これは……なるほど。

 魔法を使ったと同時に静電気が生まれて……そうか。エレンはこういう体質を持っていたわけか。

 

「え、エレン。大丈夫かい」

「ううう、一応、慣れてるから……」

「そうか……」

 

 難なく成功した魔法。

 しかし同時に発生した、類稀な副作用。

 

 ……エレンが魔法を使わない理由は、ここにあったわけか。

 

 

 

「えいっ!」

 

 触媒を投げて、魔法を発動。

 大きな煙がぼわんと立ち込めると、山積みにした薪から見事に樹皮だけが剥がれ落ちた。

 

「きゃー、いたたたた」

 

 そしてバチバチと静電気。

 

 

 

「えいっ!」

 

 今度は触媒無しで星の魔力だけを利用した簡易魔法。

 大きめの岩塩が白い輝きによって内側から破砕され、滑らかな粉状へと変化する。

 

「ひーっ」

 

 そして静電気。荒ぶる金髪。

 

 

 

「えーいっ!」

 

 最後は触媒を放り投げての薬剤調合。

 樹皮を浸したお湯に水苔と岩塩と草食獣の羊膜の粉末を加えた水釜が、大きな白煙を上げて瞬時に再沸騰する。

 

「おほほほ……で、できたわよーっ……」

「お、おおー……」

 

 もはやスタンガンばりにバチバチとけたたましい音を発するエレンの髪。

 水釜の中に目的の薬は出来上がったが、エレンの髪に蓄積された静電気は凄まじいことになっている。

 

「す、すごいなエレン……魔法も上手いし、それに……髪も」

「うう、だから魔法は嫌なのよー……」

 

 魔法の腕前は、素晴らしいの一言に尽きる。

 “本当は使えないのではないか”という私の疑念は、的外れも甚だしいものであった。魔法の純粋な腕前だけを見れば、彼女は現時点でも初代のオーレウスを超えているし、マーカスと比肩し得るだけの技術を持っているだろう。

 

 しかし、魔法を使うと帯電するこの体質。これはこれで、かなり厄介だと言わざるをえない。

 彼女が魔法を使い渋るのもよく分かる。こんなに年がら年中バチバチしていたのではストレスも溜まるだろう。

 

「ごめんよ、エレン。まさか貴女にこんな体質があったとは……」

「い、良いのよ。使えば仕事は早く進むし……たまにはやらないといけないものね」

 

 水釜の中は、魔法の軟膏で満たされていた。

 痛み止め、止血、消毒、様々な効能を持つ薬だ。出来上がり後の魔法的要素は少ないが、この時代の人間にとってはまさに“魔法”のようなものであろう。

 この薬はエレンの店における主力商品らしいので、釜いっぱいに作っても未だ足りない程なのだとか。

 

「私も、このパチパチがなければ魔法を使うんだけどね……ライオネル、これってどうにかならない?」

「うーむ……こればかりは霊魂の……神族的な部分が持つ特徴のようだから、根本的に治すのは少々難しいな」

「ひーん」

 

 やろうと思えばできるはずだ。

 彼女の霊魂から神族的な部分だけを切り取って、形を整えてやれば良いのだから。

 

 しかしこれにはリスクが生じる。

 かつてゼンなどの魔族に施したこの荒療治は、結果が安定するとは限らないのだ。

 たとえ帯電体質を治療できたとしても、それと同時にエレンの魂から他の様々な要素が消滅する可能性がある。あるいは、彼女の記憶がごっそりと抜け落ちてしまうかもしれない。

 酷な話ではあるが、エレンがエレンでなくなるくらいであれば、この帯電体質と付き合っていく方がまだマシだろう。

 

 ……いや、まてよ。

 何も霊魂単位で治療する必要はないのではなかろうか。

 

 発生しているのは、魔法の静電気だ。静電気という点に着目すれば、意外ともっと簡単に解決できるかもしれない。

 

「そうだ、エレン。髪に静電気を除去する呪いをかけておくのはどうだろうか?」

「え、なにそれ……大丈夫なの?」

 

 エレンは私の提案に不安げな顔を見せるが、私は問題ないと軽く手を振る。

 

「呪いとはいっても、無害なものだよ。魔法が引き起こす静電気でも、同じ電気であればきっと対処できるはずだ」

「本当!? ありがとー」

 

 本来であれば火事などの事故を予防するための魔法なのだが、こういう事情があるならば仕方ない。

 建造物でもエレンの髪でも、同じように使えるだろう。

 

「じゃあ髪に魔法を……“輝きの沈黙”」

 

 静電気を抑制する呪いをエレンの髪に放ったその瞬間。

 

 先ほどまでよりもずっと大きなバチバチ音が、エレンの髪から鳴り響いた。

 

「ひーっ! な、なになに!? なんでなんでー!?」

「うわっ!? なぜ悪化……ああっ、まさかこれ私の魔法にも反応するのか!?」

 

 雷光と騒音を放つエレンの頭髪。

 それはもはやふわふわ頭やパチパチ頭を通り越し、チクチク頭と形容できるくらいにまで膨らみきっていた。

 

「ライオネルー! 止めて止めて! これ治してーっ!」

「ええとええと、解除用の……ああ呪い全般が駄目なのか! なんて面倒な! ああもうわかった! “逃れ得ぬ解呪”!」

 

 エレン・ふわふわ頭・オーレウス。

 彼女はあらゆる魔法に反応して帯電するという、実に厄介な体質を持っていたのであった。

 

 ……マーカスよ。できればこういう事情は、最初のうちに伝えて欲しかったよ。

 まぁ、わかっててあえて言わなかったんだろうけどさ。

 

 


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