東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「Jamme, jamme 'ncoppa, jamme jà……♪」

 

 ハスキーボイスで歌を口ずさみながら、足元の脆い火口を下ってゆく。

 

 ここから先は危険な領域だ。

 猫のタレースは火口縁でお留守番となり、私とエレンだけがそこへ突入してゆくことになった。

 

 人間的な感覚からすれば、もうすぐ日暮れなのであまり大っぴらに動くべきではないのだが……魔法使いに昼夜の関係などほとんどない。

 むしろ月の光に照らされたこの時間からが、魔法使いの独壇場となる。むしろこれからが調査本番なのだ。この機を逃す手はない。

 

「エレン、足元は大丈夫かい」

「平気平気、でもちょっと靴の中に砂が入ってるかも……」

 

 火口とはいえ、年中噴火している火山というわけでもない。ある程度のところまではそれまでと同じように降りて行けるし、おそらくこの様子では噴気も熱泥も無く、安全に歩けるだろう。

 

 もちろん、私達が追い詰めつつある危険は噴火どころではない可能性もあるのだが……。

 

「やれやれ、私の靴の中にも砂が……“浮遊”」

「あっ、ずるーい! ライオネルだけ!」

「いやぁ、申し訳ない。荷物持とうか?」

「持って!」

「ほい」

 

 エレンには申し訳ないが、私も靴に砂が入ってくるのはあまり好きではない。

 包帯を厳重に巻いているとはいえ、ちょっとした異物感はストレスなのだ。

 魔法使いたるもの、己の精神は常にケアしなければな。うむうむ。

 

 かといってエレンはそう気軽に“浮遊”も使えない体質だ。浮く度にパチパチと静電気を起こしていたのでは、そりゃあ嫌にもなるだろう。

 なのでかわりに、彼女の背負う荷物を持ってあげることにする。

 このくらいならば、彼女を手伝ったうちに入らないはずだ。……多分。

 

「……ふむ」

 

 そしてエレンのバックパックを持って見た感じ……中身は触媒で詰まっているようだ。

 少し魔力を通しただけでもすぐにわかる。どれも純度が高く、複雑な調合を施しているものも混じっているらしい。

 

 すぐに発動でき、少ない魔力で高い効果を発揮する触媒魔法。

 静電気に悩まされるエレンがこの方面に特化したのは、必然だったのかもしれない。

 

「う……硫黄くさーい……」

「エレン、毒があるかもしれない。気を付けて」

「ヘーキヘーキ……でも臭いのは嫌だわ。服と髪に匂いがつかないといいけど……」

 

 妖魔も硫化毒も恐れないとは、さすがはオーレウスの末裔である。

 

 

 

 下り坂なので、登りの時よりも格段に早く移動することができた。

 ヴェスヴィオ山の火口は広く、すり鉢上の壁面は非常に険しい。

 さすがのエレンも一度の魔法は仕方なしとしたのか、傾斜が激しい場所になると観念したようにふわりと浮き上がって、そのまま火口の中心まで移動していた。

 

「もー、最後まで使わずにいけると思ったのにー!」

「まぁまぁ、自然相手だから仕方ない。むしろエレンはよくやっているよ」

 

 もちろん、その後は髪の毛が盛大にパチパチと弾けてしまったが……。

 ここまでほとんど魔法無しでやって来れた事は、むしろ凄いことである。エレンはもう少し魔力の節約の上手さを誇るべきだろう。

 私なら最初から最後まで“浮遊”におんぶにだっこだもの。

 

 

「うう……で、でもこれでようやく火口の中央までやって来れたわね……魔法臭いのも、登ってきたよりずっと強くなってるし」

「そのようだ」

 

 エレンはふわふわな金髪を櫛で整えながら、あたりを見回す。

 

 火口の中央から見回す一面壁だらけの景色は、まるですり鉢の真ん中に放り込まれたかのような圧迫感を覚えてしまうものだ。

 草木はほとんどなく、何十層もの地層がむき出しになった岩と土だけの荒涼とした盆地。

 さて、本当にこんな場所に妖魔が潜んでいるのだろうか?

 

「んー……」

 

 既に居場所を確信した私は、その場で待機。ここから先はエレンの仕事だ。

 彼女は盆地の荒野をとてとてと歩き、時に立ち止まり、ある時は足元の土を摘んで匂いを嗅いでみたりを繰り返し……。

 一歩ずつではあるが、妖魔の隠れる場所へと着実に近づいていった。

 

 魔力の感知、使用済み触媒の確認、魔力の傷痕を見てからの妖魔の通り道の推察……。

 

 ううむ、エレンは本当に才能はあるし知識も豊富なのだが……静電体質、本当に勿体無いことだ。それさえなければエレンも記憶を失わずに生きてゆけるし、魔法も使い放題だというのに……。

 どうにかして、この問題を解決できないものだろうか……。

 妖魔退治なんかよりも、実際こっちの方が重大問題なんだよなぁ……うーむ……。

 

「ライオネルー! こっちきてー!」

「む」

 

 クチバシマスクを撫でながらそんなことを考えている間に、どうやらエレンが妖魔のねぐららしき場所を探し当てたようだ。

 月の輝きと星の位置からして、所要時間は十分といったところか。魔法を使わず観察だけで探り当てたにしては信じられないほどの凄いスピードである。

 

 さて。まぁあっちの不自然な洞穴が塒で間違いはないのだが……答え合わせにいくとしますかね。

 

 

 

 

「ここ、噴火口のようにも見えるし、硫黄臭くもあるんだけど……それにしては漏れ出てくる煙の属性がちょっと変だし、作りも不自然なように見えるのよねぇ」

 

 エレンが私を呼び寄せた場所は、火口の壁面の一つ。洞窟の入り口のように大穴が空いた場所であった。

 

 高さは八メートル。横幅は五メートル以上。見回した限り、こことにたような穴はいくつか存在するのだが、その中でも特に魔法的に怪しいのはここだけである。

 本来は蒸気や泥や噴火物が漏れ出るばかりの横穴なのだろうが、私達魔法使いの目は誤魔化せない。

 

「その通り。ここの中が妖魔の拠点だと考えて間違いないだろう」

「そうよね? 良かったー、間違ってたら反対側まで見に行かなきゃいけなかったから、安心したわ」

 

 そりゃ徒歩で火口の反対側まで歩くのは確かにしんどいけどもね。

 まぁいいや。こっちで正解なのである。あとは商人の人から頼まれた問題を解決するばかりだ。

 

「エレン、これから中へと突入していくわけだが……」

「え? 入るの?」

 

 逆に入らないのかい?

 私は呆気にとられ、無言で首を傾げるしかなかった。

 

「わざわざ私達が入らなくても、向こうから出てきてもらえば良いんじゃないかしら」

 

 エレンは至極当然であるかのように真顔でそう言い放ち、バックパックから何種類かの布袋を取り出してみせる。

 

 ……ふむ、ここから内部に潜む妖魔をあぶり出そうというわけか。

 それはそれでスマートだ。面白い、エレンのやり方を見せてもらおうじゃないか。

 

「エレン、その触媒は? 一応言っておくが、あまり強すぎる属性系の火触媒は……」

「わかってるわよー、火は使わないから安心して」

 

 うむうむ。ヴェスヴィオ山の内部を刺激して噴火させてしまったらどうしようかと思っていたところだ。強い火属性を扱わないのであれば安心である。

 

 ……しかし、ヴェスヴィオ山といえばローマ時代に噴火していたような気もするな。

 あれっていつごろの話なんだろう。まさか今じゃないだろうな……違うよね?

 

「エレン、本当に触媒選びは慎重に頼むよ。本当に」

「なんでそんなに慌ててるの? ……あったあった、これこれ」

 

 エレンが選んだ触媒は、全部で五袋。

 そのどれもが異なる性質を持たせたものであることは、袋を縛る紐の色から一目瞭然である。

 

「ふむ……なるほど。ちなみにエレン、その様子から見て……触媒は当てずっぽうのようだが」

「もちろんそうよ?」

「そうなのか」

「ええ。色々試して、潜んでる妖魔が一番苦手なものが当たることを祈るのよ。妖魔って怒りっぽいから、当たりだったら勝手に飛び出してきてくれるでしょ?」

 

 いや、まぁその、うん。その通りだけど……いや、ぐうの音も出ない正論だ。

 確かにジャストミートで相手の妖魔の弱点を突く必要などどこにもない。数撃って当たればそれで充分なことである。

 

 ……なかなか要領が良ろしいようで。

 

「もちろん。できれば一発で当てたいけどね……前に似たようなことがあった時は、強い光で目を見えなくして解決したけど、今回は同じ手が使えないかもしれないし……」

「ふむふむ。そうすると、何から使っていくつもりつもりなんだい」

「そうねぇ……硫黄だし、火だし……うーん……悩むわー……」

「まぁ、ゆっくり考えていると良い」

 

 一発成功させる必要などないが、一発で妖魔を退治したり弱体化させることができれば、それに勝ることはない。

 よしよし、なんだか魔法のテストらしくなってきたぞ。これは面白い展開だ。

 

「むむむ……」

 

 さて、エレンはどの触媒を真っ先に選ぶだろうか。

 私としては、これまでの妖魔の特徴から迷わず“これ”を選ぶのだが……。

 

「決めた、これにする」

「おお」

 

 エレンが意を決した手に取った袋は、なんと私が心の中で選んでいたものと同じであった。

 これは偶然だろうか。理由があるのだろうか。

 

「エレン、ちなみにそれを選んだ訳は?」

 

 途中式が違うからとか、そういう理由で減点するほど私も意地悪な先生ではない。

 しかしエレンの習熟度は気になるので、思い切って訊ねてみた。

 

「んー……そうねぇ。妖魔は火属性の魔法を使うみたいだから、それを打ち消したり弱体化させられたら、きっと妖魔を追い出せるんじゃないかって思ったの。だから、最初は苔から作った水の触媒を選ぼうと思ったんだけど……」

「ふむ」

「妖魔って、魔法の属性みたいにはっきりとそれを司っているわけじゃないでしょ? だから思い直したのよ。“火の妖魔じゃなくて、硫黄の妖魔なんじゃないか”って」

「ふむ! なるほど!」

 

 口には出さないが、素晴らしいと言っておこう。

 

 そう、まさにその通りである。エレンの答えは全く正しいものだ。

 

 今回彼女が相手にする妖魔は、確かに火を熾し火事を齎すような輩ではあるが……かといって、火で出来た妖魔だとか、溶岩人間だとか、そんな安直なものでは決して無い。

 

 効率よく使われた硫黄の触媒。そしてそれ以外にはほとんど見当たらない属性の痕。

 何より、火山の内部に居を構えるほどの硫黄好き体質。

 

 それらの情報から推察するに、相手は間違いなく硫黄に纏わる何らかの能力を持っている。

 そこにきづくとは、やはりてんさいか。

 

「だからエレンは、金属性の触媒を選んだわけだね」

「ええ。火じゃなくて硫黄を司る妖魔だったら、きっと水銀をぶつけてやるのが一番効果的だわ」

 

 エレンの手に握られた革袋には水銀が入っている。青い硫黄に対して赤い水銀。これは触媒魔法の常識である。

 

「さて? ではエレンよ。貴女はその触媒を使って金魔法を発動するのだろうか?」

「まだまだ。この中に岩塩と銅粉と輝安粉を入れてー……」

「ふむふむ……それで終わり?」

「ふふ、もちろんまだよ。これを一旦凍結させないとねー……えいっ!」

 

 エレンが調合を終えた水銀袋の前で独特なポーズを取ると、触媒の袋は真っ白な霜に覆われて凍りついた。

 よく撹拌した直後に凍らせているので、袋の中の水銀と触媒粉は混ざったまま固まっていることだろう。

 

「凄いなエレン。私からはもはや特に教えることがなさそうだよ」

「ふふ、どう? 見直した?」

「見直したというか、再確認したというか。いや、触媒魔法使いの良いお手本だね」

「ありがとう♪」

 

 ふわふわな髪をぱちぱちと弾けさせながら、エレンが嬉しそうな笑顔を私に向けてくる。

 明るく元気で、そして知的な魔法使い。文句なしの百点満点である。

 

「それじゃ、早くしないと水銀が溶けちゃうから……」

「ああ、やってしまおうか」

「ええ。これで仕上げねー……っと!」

 

 エレンは凍てついた触媒袋をつまみ上げ、それを勢い良く洞窟の中へ放り込む。

 

 そして再び額の前に指を構え、僅かな魔力の通り道を辿るように力を注ぎこみ……。

 

「えいっ! “メタルファティーグ”!」

 

 洞窟の中で袋が輝き、金属製の触媒魔法を内部で炸裂させた。

 

 効率よく金属性と金属片をばら撒く金魔法“重い雨”。

 魔法の発動に際しても問題はない。彼女は文句なしの、立派な魔法使いだ。

 

 

 


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