東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 長大な青炎の剣が水平に倒され、私達の真横に構えられる。

 不思議と熱は感じないが、絶対に触れてはならない。本能的にそう思わせる不可解な気質の炎がすぐ傍にあっても、私たちは指先だけでさえも動かすことは叶わなかった。

 

 動きたくないのではない。動けない。

 一歩退くことも、恐怖に慄いて足を震わせることも、力が入っていないはずの手から銅鏡を滑り落とすことも……目の前の悪夢から目を逸らすことさえも、できなかった。

 

「あ……」

 

 唯一動いたのは、己の口だけ。

 どうやらこのささやかな発声と呼吸だけが、私達二人に許された自由らしい。

 

 ……本来であれば、発声はそれだけで価値を持つ。

 サグメならばその能力を遺憾なく発揮できるだろうし、私にだって幾つかの呪言を紡ぐくらいは可能だ。

 

 それでも、その言葉が効くとは思えない。

 

 私達の目の前で炎剣を握る、この恐ろしい遺骸には。

 

 

 

「まず一つ目。月を動かした理由を答えろ」

「……!」

 

 炎剣が探女の喉に近付き、彼女の肌が青白い輝きに照らされる。

 

 尋問が始まったのだ。

 ……八意様から通信機を受け取っていて正解だった。

 これから私たちは苦境に立たされることは間違いないだろうけど……それでも、役目を果たすくらいならばできる。

 

「……つ、月を動かしたのは……あなたのような穢れから、都を守るためよ」

 

 探女は素直に答えた。

 そう、それで良い。

 こちらが不利にさえならなければ、その程度の情報は漏らしても問題ない。

 

 むしろ相手の情報を得るためには、相手からの質問が必要だ。

 八意様の叡智を持ってすれば、相手が放った質問から“相手の求めるもの”を探り当てることは容易いだろう。

 相手は尋問しているつもりなのだろうが、尋ねる事こそ多くを語る。

 

「月の都とやらを守るために、月を動かしたと。ふん……」

 

 あとは、可能な限り会話を伸ばすだけ……。

 既に八意様にも異常は伝わっているはずだ。こちらの映像も届いていると考えて良い。

 運が良ければ、増援が助けてくれるだろう。

 

「……それにしても、どうやって私の呪言を――」

「黙れ」

 

 探女が自発的に言葉を発したその瞬間、青い剣が彼女の首元へ一気に近づいた。

 

「……」

 

 探女の白い長髪が首の辺りではらりと断ち切られ、それはゆっくりと下へ舞い……風に煽られる煙のように、散り散りになって吹き飛んだ。

 

 ……今のはなんだ。

 ただ、髪を斬っただけではない。斬られた髪が……消滅した?

 

「この剣は“逃れ得ぬ裁断”。剣の輝きを目にした者の動きを高度に封じ込め、生物を斬ればその者の魂を粉々に切断し……彼方へと弾き飛ばす」

 

 ……なんということ。

 

「魔族だろうが、神族だろうが……“裁断”で斬られた者はたとえ死のうとも、その魂のまま生まれ変わることはない。自然に霊魂が集まろうとも、地獄で加工されようともな。だから……」

「ひっ……」

 

 青い炎剣が探女の頬に触れた。

 探女の頬は白っぽい煙をチリチリと上げ……少しずつ、ほんの少しずつではあるが……“消滅”している。

 

「口を滑らせた末に、来世があるとは思わない事だ」

「……」

 

 もはや、探女も挑発的な言葉を口にできやしなかった。

 私はそれを、ただ見ていることしかできない。

 

「わ、わかった……あなたの質問にだけ答えます……だから、その右手のっ、右手の……それを……」

「次の質問だ」

 

 上ずった声をあげる探女に、遺骸は満足したのか、青い剣を僅かに下げる。

 ……魂にすら傷をつける剣。あの気の強い探女でさえも、さすがにあれを前にしては為す術がなかったのか……。

 

 ……右手。

 

 いや、そうじゃない。

 右手……そうか、右手か。私の右手のことだったのね、探女。

 

 私の右手に持った銅鏡。身動きは取れないけれど……この銅鏡を操ることくらいならば、私にもできる。

 探女を一緒に連れ去ることは不可能だが、私自身を銅鏡に封じ、八意様の元へ帰還するくらいであれば可能かもしれない。 

 

 ……探女。

 でもそれは、あくまでも最後の手段よ。

 ここで時間を稼いでおけば、八意様が増援を出してくれるかもしれないのだから。

 

 仮に私だけの脱出が成功したとしても、間違いなくその直後には、探女の命が亡くなっていることだろう。

 希望は多い方がいい。お願い。できることなら、あなたも生きて。

 

「月の魔力が著しい減衰を見せた。非常に浅慮にして愚劣極まる行為だが、これも月の都を守るための計画なのだろう。で。……この計画の首謀者はどいつだ? 実行者は? 二人以上いるのはわかっている。時間を取らせるな。答えろ」

 

 ……八意様だ。

 

 実行者は、嫦娥様だと聞いている。月操作の詳しい原理については聞かされていないが、八意様はそう仰っていた。

 

 しかし、それだけは言えない。

 あの方の名を出すくらいならば、我々の時間はもうお終いだ。

 

 探女、絶対に口を滑らせないで。

 

「ふ、ふふっ……見たところ術の扱いだけは立派なようね。なるほど、確かに術では叶わないでしょう……けれど、身体そのものは軟弱のようね。貴様如き、月の力が集まれば一捻りだわ」

 

 探女は震える声で嘲笑った。

 言った。貶してやった。そして、八意様に伝えた。漠然としてはいるものの、この侵入者を駆除するための方法を。

 

 しかし意外にも、青い炎剣はすぐさま振られなかった。

 骸は探女の言葉を受けて、興味深そうに顎に左手を添えている。

 

「薄汚れた地上の民が! 高貴なる月の賢者たちに辿り着けるはずもない! 貴様は無様に息絶えるのだ! はは、はははっ! あははははははッ!」

 

 探女の狂ったような、そして気を引くような嘲笑。

 私は彼女の過剰な演技の始まりを合図に、右手に持った銅鏡に力を込めた。

 

 鏡を巨大化し、その内部へと潜り込む。

 身体は動かないものの、この銅鏡はそのものが私の分身であるようなもの。

 ひとたび鏡を発動させれば、ちょっとした場所を移動することくらいの事は難しくない。

 それこそ、月であれば指先を動かさずとも、どこへだって飛んでゆける。

 

「我が名は天探女(あまのさぐめ)! たとえ呪言を紡げずとも、この名において貴様の行く末を呪ってやる!」

「……アマノ?」

「はははっあははははははっ!」

「そうか、お前はアマノサグメというのか」

「は――」

「存在ごと、その名を変えろ」

 

 

 

 一閃。

 

 私の髪飾りを掠めるように大きく斜めに斬り上げられた青い炎剣が、知己の身体を貫いた。

 

「ぁ……」

 

 青白い霊魂の欠片は、飛沫のように空へと打ち上げられ、地球目掛けて迸る。

 

 そして弱々しいうめき声と共に、探女の身体がよろめいた。

 

 彼女の美しかった両翼の一方がバラバラに砕け散り、無数の羽根が宙を舞う。

 長かった髪さえ半ばで断たれ、背は僅かに縮み――その姿はまるで、探女が根本の部分から“失われた”ようであった。

 

「あ、ぁあああッ!」

 

 サグメが、やられた。

 増援は間に合わなかった。

 絶望が私の胸を締め付けるが、それでも右手に取った銅鏡には力を注ぎ、転移を発動させる。

 

 行き先は月の都。八意様のいるあの場所へ!

 

 伝えなければ、今すぐに……!

 

「これほど不愉快な気分になることも早々無いな」

『あ、あれっ……』

 

 大きく広がった銅鏡の中に身体を移し、転移を試みる。

 しかし、銅鏡は私を内包したまま、一向にその場から消えようとしない。

 普段であれば一瞬のうちに発動するはずの力が、今この時に限って少しも湧いてこなかった。

 

 何故。どうして。なんで!?

 さっきまでは、出来たはずなのに……!?

 

「全くもって不思議だよ。普段は滅多に憤らないのだが」

『嫌……!』

 

 依然として身動きの取れないまま、不吉な骸が炎剣を手に私を見下す。

 

 ……ぁあ、この、不吉な、恐ろしい顔……。

 

 そうだ、この顔、思い出した……。

 

 この恐ろしさは以前にも……確か、あれは、私達が月にやってきた時の……。

 

「お前たちは愉快なほど、私の気分を害してくれる」

『あ』

 

 死の剣が真下から振り上げられる。

 青い炎は銅鏡ごと、私の身体を真っ二つに切り裂いてゆく。

 

『ぁぁ――』

 

 存在が斬り離されてゆく。

 私という存在そのものが傷つけられ、失われ、離れ離れになってゆく。

 

 身体が。能力が。魂が。

 何もかもが、全て……。

 

「さぐ、め……」

 

 私は多くの記憶と力を失い、その場に倒れ伏した。

 手元には何もなく、辺りには何かの……銅欠が散らばっている。

 

 それが何だったのか、今の私にはわからない。

 

 自分が何者かも。何故こうも苦しいのかも。

 

 重いまぶたの隙間から僅かに見える、白い大地に倒れた片翼の女性のことさえも。

 

 

 


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