東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「あっ……がッ……!」

「その動きは流行りなのかね」

 

 輝夜が消えたその瞬間には既に、戦いと呼べるものは終わっていた。

 彼女はそのか細い首をライオネルによって捕まれ、宙に掲げられていたのだ。

 

「はなっ……さ……! なんで……!」

「術を纏ったまま“異形の煙”に突入すればそうなるのも無理はない。私にその手の力は無意味だ」

 

 やせ細ったライオネルの身体でも、輝夜の身体は易々と持ち上げられる。

 首にかかる手に、少しでも力が込められたら、輝夜は……。

 

 私はそこまで想像して、動き出さずにはいられなかった。

 

「やめて! やめてください! 輝夜は関係ないのです!」

「カグヤ、ほう」

 

 私が不用意に近づけば、輝夜の命が危ない。

 でも、止めないと。彼女が殺されたら、死んでしまったら……私は……!

 

「ぐぅっ……なによあなた! 私は蓬莱山の姫よ! こんなこと、許されると思ってるわけっ!?」

 

 輝夜が首の拘束から辛うじて気道を取り戻し、自棄っぱちに叫ぶ。

 彼女に似つかわしくない、わざわざ自分の身分を掲げての言葉に、私はすぐにその意図を悟った。

 

「私は、月の都で最も高貴な者よ! 大事なは、話が、あるならっ……エイリンじゃなくてっ、まずは私を通すのが、筋でしょうがっ……!」

「出鱈目です! 彼女は無関係です! 全ては私が発案し実行したこと! 彼女だけは赦してあげてください!」

「うるさい! エイリンはさっさとシェルターに引っ込んでなさいよ!」

「輝夜!」

 

 輝夜が罪を被ろうとしている。

 だがそれは無意味だ。彼女の苦しい妄言が、この魔法使いに通じるはずもないのだから。

 

 それに、私を守る必要などない。

 策の全てを打破された私はもはや賢者としての価値はないし、残された役目があるとすればそれはもう、敗北の責をこの身と魂で償うことだけ。

 

 何故この子は、私を庇おうとしているのか。

 何故こんな時にまで、駄々を捏ねて私を困らせるのか。

 

「お願いです、輝夜は本当に無関係なのです!」

「エイリン……」

 

 私はその場に膝を折り、手を地につけた。

 

「彼女は高天原の神族ではありません、彼女は無関係な神族なのです……」

「エイリン……なんでそんなことっ……」

「だから、だから彼女は……」

 

 私の懇願に、ライオネルが空虚な目を向ける。

 そこに感情は見えず、ただ底知れない恐怖と不吉さが感じられるだけ。

 

「……ここの神族とは別……か」

 

 しばらくの沈黙のうち、ライオネルは輝夜を解放した。

 輝夜はその場に倒れ、激しく咳き込む。

 

 が、彼女は完全に自由となったわけではなかった。

 

「どれ、魂を視てみようか」

「ひっ……!」

 

 倒れる輝夜の肩を掴み、髑髏が輝夜の顔に再接近する。

 それと共に眼窩は青い光を帯びて、輝夜の怯える表情を仄かに照らした。

 

 彼は“視ている”のだ。

 どうやってかは知らないが、輝夜の奥深くにある“何か”を。

 

「なるほど、実に美しい霊魂だ。神族にしてもかなり出来が良い」

「やっ、やめ……」

「しかしこれは、自然に発生するものとしては……ん!?」

 

 何かに気付いたライオネルが、突然輝夜の胸ぐらを掴む。

 

「嫌っ!」

「これは……」

 

 そして力任せに、彼女の服に顔を寄せた。

 

 卑俗な暴力。姫に対する許されざる蛮行。

 傍からみればそれは忌々しい暴力であったし、輝夜もそれを察知したように身をよじり抵抗している。

 本来ならば私は怒りに燃え、明確な死を覚悟してでも反撃すべき場面であるはずだった。

 

 しかし私には、この遺骸は何か別の目的があって、輝夜の服を掴んでいるように感じられた。

 

 彼は……見ている。

 前のボタンがいくつか弾け、肌蹴た輝夜の躰には一瞥もくれていない。

 

 彼はただ、輝夜が下に着込んだ古びた赤いローブを見ているようだった。

 

「……覚えているぞ。この生地を。この縫製を。この茜色を」

「きゃぁ! や、やめっ……!」

 

 ついに桃色の上着は破り去られ、彼女の最後の装いが露になる。

 

 それは、蓬莱山で出会った彼女が“最初に”着込んでいた、出自不明の赤いローブ。

 合っていなかったサイズを整え、華美な錦糸を加えた、彼女のお気に入りの服。

 

 ライオネル・ブラックモアは、何故かそのローブ姿の輝夜を見て、呆然と動きを止めているようだった。

 

「な……なによ……! 酷いことするつもり……!?」

 

 輝夜は未知の恐怖に震え、涙を流している。

 しかし彼女はそれでも気丈に挑発を続け、目の前の遺骸を睨んでいた。

 

 遺骸は答えない。

 ただ考えこむように輝夜の赤い裾をしばらく見つめ、そして……顎を開いた。

 

「ハハ、ハハハハ」

「……っ」

 

 この世のものとは思えない低い笑い声が、悪寒となって背筋を凍らせる。

 

「そこのエイリンとやら。良いだろう、このカグヤには手を出さないでおくとも」

「えっ……なっ……」

「ただしエイリン、貴女だけは絶対に許さない」

 

 ライオネルは私に向かって笑い、そう告げた。

 

 輝夜が助かる。

 彼女は彼の言葉に訳も分からず呆然としていたが、私にとっては訳や理由など些細なことだった。

 

 輝夜が助かるならば、もうそれだけで思い残すこともないのだから。

 

「……全ての、この月の都の民に対する全ての責めを私が受け入れます」

 

 後は、輝夜がまたわがままを言う前に首を差し出すのみ。

 

「殊勝なことだ。となると、永遠に悔悟と苦悶の声を放ち続けるオブジェとなり、この月の都の中心地に立ち続けるというのかい」

「構いません。お願いします」

「エイリンッ! 駄目よ! そんなの私が許さない! そんなこと絶対に許可しないわ!」

 

 ああ、私一人で済むのであればそれも有りだろう。

 月の都から人が消えれば、輝夜の行く宛が無くなってしまう。この子を寂しがらせるわけにはいかない。

 

「貴女は永遠に今日という日を悔み、月の禁忌を犯した己を嘆き、永劫の苦しみに囚われるだろう。それはきっと、あの幽閉されていた嫦娥とやらの苦しみの比ではない。それでも受け入れると?」

「……はい」

 

 ……あの嫦娥に仕組んだものよりも苦しいのね。

 そう……でも、仕方ないわ。

 

「なによ、無視しないでよ……ねえどうしてよ! エイリンは謝ってるのよ!? 確かに、私、よくわからないけど……酷いことをしたのかもしれないけど……! なんでまだ、エイリンが酷いことされなきゃいけないのよ!?」

 

 泣き叫ぶ輝夜の声が、耳に痛い。

 私は彼女に安堵してほしいのに、悲痛なその金切り声は私の心と魂を揺さぶってくる。

 

「もういいでしょ!? やめてよ……!」

「今引き返せば、確かに貴女達の胸に恐怖は刻まれるだろう」

 

 泣きじゃくる輝夜の額に暗色の指を置き、ライオネルが言葉を遮った。

 

「しかしその恐怖は、保って数百万年程度だ。下手をすれば、私の見立てよりずっと短いかもしれない」

「な、何の話よ……」

「だがこのエイリンとやらで私がモニュメントを作成すると、今日の恐怖はずっと長きに渡って残るのだ」

「意味分かんないわよ! わかるように言ってよ!?」

「……いつか解かる時が来る。話はそれだけだ」

「やっ……!」

 

 輝夜とのやり取りにうんざりしたのか、ライオネルは輝夜の身体を魔法か何かで吹き飛ばし、シェルター側へと放り投げた。

 

「エイリン! いやぁ、エイリン……やめて……!」

 

 地を転がり、砂まみれになった輝夜。

 彼女は這い上がろうと藻掻いているが、力を大きく損耗しているのか、速やかにこちらにたどり着く様子はない。

 

「……私は全てを……受け入れます。輝夜が無事なら、どんな、苦しみでも……」

 

 向かい合うのは、私とライオネル。

 逃げも隠れもできない、一対一の状況。

 

 これから私は、この者によって……おそらくは、恐ろしいモノへと変えられるのだろう。

 

 月の操作。月の魔力の狭窄。

 それは彼、もしくは彼らにとってのタブーであり、私はそれを安易に踏み込んでしまった。

 

 ……このライオネルという魔法使いは、そのタブーを我々に伝え続けるために……私を生け贄とするのだろう。

 

「そうか。ではまず月の魔法を軽んじた罰として、貴女の手足を“月の槍”によって貫き、拘束する」

「っ……」

「それから涙の書によって貴女の霊魂的な死を封じ、痛みを与え続ける」

 

 ……蓬莱の薬を飲み、拷問にかけられ続けるようなもの、か。

 きっと、それは……ひどく痛むのでしょうね。

 

「その呪いは誰にも解くことはできないし、痛みが和らぐこともない。私も未だ、生物に使ったことはないし、使う機会もないと思っていたのだが……残念だよ、本当に」

 

 淡々とした口調で語り、ライオネルが軽く石の杖を掲げる。

 そこに白い輝きが小さく灯り、辺りの魔力を引き込みながら、段々とその光度を増してゆく。

 

 

 

 ……ああ、そうか。

 

 ようやく、今更になって理解できた。

 

 あの白い輝きは紛れも無く、月の魔法……。

 

 あれは確か、かつて私が盗み見た新月の書に記されていたもので……。

 

 

 

 ……私がまだまだ未熟だった頃から存在した、恐ろしい魔法の一端。

 そして目の前にいるこの遺骸は、その魔法を操る未知の種族。

 

 

 

 ――やっぱり痛いのかな

 

 ――この世界は一体何?

 

 ――手を出すべきではなかった

 

 ――サリエル様は何故あの書物を?

 

 ――怖い

 

 ――魔法とは?

 

 ――月の都の無事を祈るしか

 

 

 

 混濁した感情と思考が入り乱れ、吐き気がせり上がり、それより先に涙が溢れてくる。

 

 私はこれから永遠の苦しみに囚われて、きっと今のような支離滅裂な思考すらも許されなくなってしまうのだろう。

 

 それを悟ってか私の脳は、この最期の時に大切な思い出ばかりを追想していた。

 輝夜との出会い、高天原での暮らし、気ままな研究の日々……。

 

 ああ、月の煌めきが刃を成して、苦痛を携えて私を貫かんとしている。

 

 涙と混乱ににじむ景色。

 恐ろしくも美しい白銀が視界を埋める。

 

 ――サリエル様

 

 

 よかった。

 

 ……最期の最期で、ようやくあの方の顔を想い出せた。

 

 

 

 

 

「……“月の盾”」

 

 


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