東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「いいだろう。ひとまず磔は無しという事にしてあげよう」

 

 暫くの不気味な沈黙の後、ライオネルの口から出たのは赦し……。

 

「ただし、罪を赦すわけではない。償い、相応の結果を出してもらう」

 

 いや、当然だ。赦されるはずはない。

 別の手法に切り替わっただけだったか。

 

 ……それでも、背後のヤゴコロからは安堵するため息が聞こえてきた。

 

「……すまないな、ライオネル」

「妥協したわけではない。私はただ、罪の大きさに相応しい時間を設けただけだ」

 

 尖った言い方をするものの、ライオネルからは先程までの殺意や悪意が完全に霧散していた。

 私が普段から見ていたような、のんびりとした姿のライオネルがそこにある。

 

「今回の月の大異変、責任の所在が各所にあるといえば、確かにそう言えなくもない。もちろん全てはヤゴコロエイリンが考えたことだろう、その重さは比類なきものだが、指示を出したのはそこの……カグヤだという話だったな」

「そ、そうよ!」

 

 震えながらも胸を張って、黒髪の乙女は堂々と答えた。

 

「しかし、月の重要な秘密を溢したのはサリエル、貴女だ」

「……もちろん、わかっている」

「だが更に辿れば結局の所、書物は……」

 

 無言になったライオネルが地球を見上げ、手の中の杖を回す。

 まるで魔法でも使っているかのような杖捌きだが、この杖の取り回しに関しては全く魔力を使っていないらしい。

 

「今回の大異変、力ある者が事前に抑えきれなかった部分もある。サリエルの言う通り、詳しく精査すれば罰を受けるべきは一人ではない……とも言える。故に、責の半分ほどは考えないものとしよう」

 

 杖を掴み、軽く振り下ろす。

 その動きだけで、巨大な天秤が僅かに傾いた。

 距離で言えば、半分ほどだろうか。

 

「そして月の重要性を理解していながら引き起こしたこの事件。ほとんど狂気の沙汰と言っても良いだろう。……月の魔力は心を狂わせる。月の狂気にあてられた事も考慮すれば、納得できないでもない」

 

 月の狂気。

 それは、月そのものが保つ狂気の力だ。

 月は莫大な魔力を地上に注いでいるが、同時に強い狂気を放ってもいる。

 

 ……月の狂気が、月での長い生活が、ヤゴコロの正常な判断を狂わせていった。

 確かにそう考えれば……多少の情状酌量の余地はあるのかもしれん。

 

「とはいえ、それでも罪がないとは言えぬ。ヤゴコロ。貴女の犯した罪は、非常に重い」

 

 ライオネルが更に天秤を傾けたが、月の重さには勝らない。

 僅かなところでヤゴコロの罪は深いものと決まった。だがヤゴコロはその結果を認めたのか、受け入れるように瞑目し、頭を下げた。

 

「……私に出来ることがあれば、何でもします」

「その言葉、永遠に忘れないでもらおうか」

 

 永遠。

 ライオネルが軽々しく使う言葉ではなかった。

 

 こいつが永遠と言うならば、それは間違いなく永遠ということなのだろう。

 

「ヤゴコロ。魔界の偉大なる魔法使いライオネルの名にかけて、貴女に千年の猶予を与えよう」

「千年……?」

「千年待つ。その間に、月の防備と啓蒙を徹底するのだ」

 

 ライオネルがヤゴコロに与えたものは、時間だった。

 千年。決して短くはないこの時間の間に、二度と月が動かされないようにしろということなのだろう。

 

 もちろん、そこには防備というものがある。ただ“月を動かしてはならない”という事を周知すれば良いというものではない。

 この月の都には定期的に襲撃者があるのだという。それを安全に、完全に退けるだけの力を常備しなくてはならないのだ。

 

 千年。この時間がヤゴコロにとって長いか短いかは、私にはわからない。

 

「……承知しました。従います」

「そして……ヤゴコロ。貴女は月を去ることだ」

「……月を去る。ですか?」

「そうだ」

 

 恐る恐る聞き返したのだろう。ヤゴコロは不思議そうな顔をしていた。

 月を去る。その意味がまだ、完全にわかっていないのだろう。

 

「先程も言ったが、月は心を狂わせる。貴女は知らぬ間に狂気に冒されているかもしれない」

「……狂気」

「狂った研究者ほど恐ろしいものはない。貴女は月の都を整えた後、地上なり地獄なりに居を移し、そこで生活してみることだ。狂気の和らぐ地上であれば、自らの過ちとはっきり向き合えるだろう。自らの罪を認識しなさい。まずは、それからだ」

 

 ライオネルが軽く杖を振り、石造りの巨大な天秤は粉々になって崩壊する。

 同時に彼の持つ石の杖も砂に還り、地面と一体化して見えなくなった。

 

「そして、死ぬことは許さない。貴女はこれから永遠に生き、月の守り人となるのだ」

「……はい」

 

 一つの星の終わりを見守り続ける。

 ヤゴコロに与えられた罰は、気が遠くなるほど長いものであった。

 もちろん神族にとって、命とは長いものである。あるいは私もその時まで生きているかもしれん。

 だが直接そう宣告されると……やはりどこか、恐ろしいものがあるのは否めない。

 

「承知しました。月を整え、月を守り、月から離れる。……私は咎人。寛大なる罰に感謝いたします」

 

 ヤゴコロは拱手し、深々と頭を下げた。

 

 彼女に下された罰は決して軽いものではない。

 しかし先程まで強要されかけていたものと比べれば雲泥の差であろう。

 

 それに、今のヤゴコロの目にははっきりとした意志が宿っているように見えた。

 彼女がどのような気持ちでこの罰を受け入れたのかはわからないが、彼女がああいった表情を見せるのであれば、私はそれで良いと思う。

 

「サリエル様。……またしても私をお救いくださり、ありがとうございます」

「……気にするな」

 

 もっと言葉を交わしたかったが、ライオネルの視線が気になった私はそれ以上言うことはできなかった。

 案の定、ライオネルは意味もなく咳払いをして、ローブの長い裾を翻した。

 

「もしも次、貴方達がこの月面にそぐわない行動を見せたならば……その時は、覚悟しておくことだ。人数分のモニュメントで月が埋まることを考えて、しっかりと備えておきなさい」

「……!」

 

 次はない。

 もしも次があったならば、その時は月の都は確実に崩壊する。

 

 そればかりではない。都に生きる全ての神族が、それこそ永遠の苦しみの中に囚われ続けることとなるだろう。

 その様を想像してか、ヤゴコロの顔色は一気に蒼白に染まった。

 

「サリエル、そこにいるのは咎人だ。長話は好かないな」

「……わかった」

 

 歩むライオネルの背中を追い、私は“浮遊”した。

 

 ヤゴコロともっと話したい。もっと、これまでの空白を埋めてしまいたい。

 だがやはりというべきか、その本音は見透かされていたし、案の定咎められた。

 

 ……仕方あるまい。だが、それでも構わない。

 ヤゴコロがまだ生きている。まだ生かされている。それだけで、私は十分だよ、ライオネル。

 

「サリエル様……」

「……暫く、お別れだ。ヤゴコロ」

 

 私はライオネルに楯突いた。

 地上に堕とされた私を拾い上げ、魔界に住まわせ、より強い魔術を教えてくれたライオネルに、杖を向けてしまった。

 

 私もまた罪人だ。

 ならば私も罪人として、粛々と自らの罪を濯ぐとしよう。

 

 ヤゴコロを救いたい。ライオネルは私の望みを聞き入れてくれたのだ。

 そのさらなる恩に報いるため、また再び、魔界に身を投じなくてはなるまい。

 

「……またな」

「! ……はい……」

 

 涙で潤む声を背中に受け、私達は月を去っていった。

 

 

 


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