東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「……月に移住した神族達の暴走。そしてすぐさま行われた、魔界からの報復措置……」

「どうした、コンガラよ。浮かない顔だな? 全ては解決したというのに。地獄の者としては、結果に不満でもあったのか?」

 

 コンガラとクベーラ。二人の神族は魔界の管理者達から月に関する取り決めのいくつかを確認した後、魔界を出て地上を歩いていた。

 時刻は夜。月を中心に発生した天体の異変は全てが終息し、今では月も問題なくそこにあり、赤く染まった空も元通りの藍色に星々がちりばめられている。

 ヌブラ渓谷付近の荒涼とした砂漠は、普段通りの静寂を取り戻していたのだ。

 

 それでも、コンガラの面持ちは硬かった。

 

「……いえ。ただ、今回の事件で感じたのです」

「何をだ」

「魔界の逆鱗は、一体どこに潜んでいるものか……と」

「ふむ」

 

 コンガラは魔界を恐れていた。

 果てしなく強く、手中に収めることのできない不可解な勢力。

 それは当然、昔彼が魔界に攻め入った事を機に始まった恐れである。

 

 過去の過ちは当時の彼らの失態であるし完全な落ち度ではあった。自業自得であることも自覚している。

 それでも尚、見定めることのできない力に対しては、魔界への恐怖は残り続けていた。

 

 たとえ魔界が温和であっても、寛容であっても、彼らは一度振るわれれば勢力が全壊するほどの猛威を持っているのだ。

 それを目の当たりにしては、一度刃を向けた立場として安心できるものではない。

 

「月が動いた。そのことについて、私たちはさほど気にかけてもいなかった」

「まあ、地獄はな。こっちはチャンドラやら信者やらの問題もあって、まるきり看過することはできなかったが……そっちの都合では、大した事でもないだろうよ」

「はい。しかし、ライオネルは……魔界は、今回の月の異変を非常に重く受け止めていた」

「うむ。俺としても、今回のトラブルはちと意外だ」

 

 まさか、ここまでライオネルが激昂するとは。

 クベーラとしては長くライオネルと付き合っていただけに、その驚きは大きい。

 

 クベーラの抱く印象として、ライオネルという人物は“腰が重い”の一言に尽きた。

 とにかく研究熱心であり、魔界のどこぞに引きこもってよくわからない研究を続けている、奇妙な遺骸。

 魔界を訪れ、ライオネルとの交渉を試みる際、ほとんどの場合で彼は研究の最中なのだという。

 遅れてやって来ては“ごめんごめん、ちょっと研究してた”と軽い謝罪から入る挨拶を、クベーラはこれまでに何度も聞いていたのだ。

 

 そして何より、世界そのものに対して無頓着。

 地球で神族達が大きく動こうが、魔族の軍勢がどれほど肥大化しようが、魔界は決して表沙汰になるほど動くことはなかった。

 神魔の手によって大地震が起きようが、大洪水が発生しようが、魔界は監視の一つも飛ばそうとしていない。ある程度は外部の情報を集めてもいいだろうに、魔界は決して直接外界に対して干渉しようとはしなかったのである。

 

 そんな魔界が、突然ここにきて動いた。

 理由は“月が動いたから”。確かにそこそこ大きな異変ではあるが、神魔の勢力図が反転した時ほどではない。

 だが当時と比べてあまり混乱が起こっていなかったにも関わらず、ライオネルは一直線に月へと向かい、月に巣食う勢力……高天原を粉砕してのけた。

 

 魔界が直接、いいや、間接的にでも攻撃されたわけではない。

 地上に何らかの支配権を持っているわけでもない。

 だというのに、魔界が動いた。

 

 今回の魔界が見せた挙動は、不可解だった。

 故にコンガラは思う。下手をすれば、思わぬ行動によって魔界の逆鱗に触れてしまうのではないだろうか。

 今後の行動によって、再び魔界との抗争が起こってしまうのではないだろうかと。月の二の舞いになってしまうのではないかと、不安を募らせていたのである。

 

「近いうちに、魔界の思想を研究しておく必要があるのかもしれんな」

「ええ……理解できるかはわかりませんが、無駄な争いを起こしたくはありません。クベーラ様、ご協力いただけないでしょうか……」

「はは、まぁ、構わんよ。商売のついでだ、聞いといてやるよ」

「ありがとうございます」

 

 魔界。

 神綺という名の魔神によって創造された世界。

 魔力の行きつく果てであり、この世で最も重い異界。

 神族も魔族も支配下に置くことのできない、特異な空間。

 

 クベーラ自身、魔界とは長い付き合いではあるが、その世界の成り立ちや構造を把握しているわけではない。むしろ、知らない事の方が多いだろう。

 魔界の存在が神族達に周知されてからかなりの時が経っているが、未だに自発的に魔界へと立ち入った者は多くない。クベーラは耳が良かったが、魔界に関する情報だけは何年経っても不足気味のままだ。

 

 それは確実に、魔界が“魔力を高度に圧縮しなければ移動できない”ことに由来している。

 たとえ神族や魔族であっても、魔力の扱いに長けていなければ魔界に踏み込むことさえ困難なのだ。

 

 そもそもクベーラが魔界に立ち入れたのも、全ては彼が手にする宝塔の力あってのものだった。

 光や魔力を収束する類稀なる神具の助力によって、クベーラは魔界への移動を比較的容易なものとしているだけのこと。もしも宝塔がなければ、クベーラは魔界との取引なく過ごし続けていたに違いない。

 それほどまでに、魔界への扉を開くことは難しい。自らの能力に傾注し、魔法というものを蔑み関心を寄せない神族ならではの壁であった。

 

「まぁ、コンガラよ。そう不安がることもないぞ」

「……クベーラ様は、何故そこまで平静でいられるのですか。恐ろしくは、ないのですか」

「はははっ、恐ろしい、か」

 

 コンガラの言い様に、さすがのクベーラも笑った。

 

「確かに恐ろしいかもしれんな。力では到底敵うもんでもないだろう」

「では……」

「とはいっても、奴らの生む利は莫大なのだ。それをみすみす見逃す手はなかろうよ?」

 

 利。漠然とした言葉に、コンガラは難しい顔で俯いた。

 

「確かに魔界は不可解だ。今回の事件が広まれば、魔界と距離を置こうという勢力もいくらか出て来るだろう。しかし自分が理解できぬからと言って蓋をするのは、俺から言わせれば得策とは言えん」

「得策、ですか……」

「確かに魔界は恐ろしい。だが良き隣人として付き合っていけば、これほど頼もしい勢力もないはずだぞ」

「……む、む」

 

 そう上手くいくだろうか。コンガラの眉間はそう語っているかのようだった。

 

「理解できぬならば、学べば良い。魔界を知ることは魔界から身を守ることにもなるが、利はそれだけではない。魔界の動きを予測できれば、誰よりも早く大きな利を掌握できる」

 

 クベーラはギラギラとした笑みを浮かべ、月を見上げた。

 月が動いた影響か、月面の模様は僅かに変化している。見方によっては、獣や女性の姿に見えなくもない。

 彼はその月の模様に、かつて彼が言うところの“ジジイ”が召し上げたという、心の優しい兎の姿を思い描いた。

 

「上手く避けるのもいい。だが、近づくことも忘れるなよ」

「……了解しました」

「お前、いまいちわかっとらんだろう?」

「……申し訳ございません」

 

 相変わらずの硬い反応のどこが面白かったのか、クベーラはがっはっはと大きく笑い、コンガラの背中を強く叩いた。

 コンガラは恐縮しながらも、若干迷惑そうな顔を浮かべている。

 

「まぁ、今はそれでいい。とりあえずは、そうだな。高天原の勢力はしばらく沈黙するだろうから、信仰集めの布石でも作っておくのがいいだろう」

「……ふむ」

「ともすれば、連中が放置しているあの島も、お前らの地獄の支配権に組み込むこともできるかもしれんぞ」

「……検討してみましょう」

「うむ。機を逃すなよ。商売でも、戦いでもな……おっと」

 

 やがて砂漠を歩く二人の前に、巨大なムカデが現れた。

 現在の地球では全く見られないタイプの、かなり特異な形をしたムカデである。

 

 その全長は、10m以上はあるだろうか。

 鋏のような鋭い口をガチガチと鳴らし、ムカデはクベーラの前で頭を垂れる。

 

「さて、眷属の迎えもきた。コンガラよ、どうせ通り道だ。送っていってやろう」

「わざわざすみません、クベーラ様」

「なに、若いもんがそう気にするな。厚意は受け取るものだぞ! ハッハッハッ!」

 

 二人が巨大ムカデの背に乗り込むと、ムカデは二度顎を打ち鳴らし、無数の足を動かして砂漠を疾走し始めた。

 やがて砂埃を巻き上げながら猛進するムカデの姿が光に包まれたかと思うと、突如としてこの世から姿を消す。

 

 後に残ったのは静かに棚引く埃と、魔力の残滓のみ。

 

 月の綺麗な夜であった。

 

 


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