パチュリー・ノーレッジとレミリア・スカーレットとの出会い。そして別れ。
それらはほんの数十分ばかりのことだったけれど、あの時の言葉や感情は、何日経っても忘れることができなかった。
私を未熟者だと断言したパチュリーの、勝ち誇ったような顔。
……絶対に忘れられそうにない。
いいや、忘れちゃいけないことなんだ。
いつか必ず、あの嫌な子を見返してやらなければ。
じゃないとウントインゲさんの弟子として、恥ずかしいもの。
「アリス、近頃魔法の勉強を頑張ってるみたいだけど……どうかしたの?」
あれ以来、私は空いた時間を最大限に活用して、とにかく魔法の習得と研鑽に励み続けた。
ウントインゲさんからもらった簡単なグリモワールは諳んじられるほど読み込んだし、教えてもらった範囲でやれる事は、何度も何度も、自分の魔力が空になるまで反復する。
特別隠していたわけでもない。
そんな日々を送っていれば、いつかウントインゲさんに気づかれるのは必定だった。
「私、もっとすごい魔法使いになりたい」
「うーん……? アリスはもう、既に充分凄い魔法使いだと思うな?」
ウントインゲさんの言葉に、私は首を振った。
「ううん。私はまだ未熟者だもの。もっともっと、立派な魔法使いになりたいの」
「……誰かに、未熟者だって言われたの?」
突然正解を言い当てられて、私はとてもびっくりした。
「やっぱり、そんなことだろうと思ったわ。アリス、誰かから未熟者だとか、才能がないだとか言われても、気にしては駄目よ。自分の成長を焦っては駄目」
私の顔に書いてあったのだろう。ウントインゲさんは私が言い訳をするより先に、優しく諭してくる。
「でも、ウントインゲさん。私、もっと早く魔法使いになりたい」
「……アリス。貴女はもう人形を動かせるでしょう? 立派な魔法使いじゃない」
一瞬言葉を詰まらせたウントインゲさんを見て、私はほんの少しではあるが、嘘の見破り方を覚えたかもしれない。
「ううん、違うわ。私はまだ魔法使いじゃない。だって、そうパチュリーが言ってたんだもの」
「……! パチュリー……あのノーレッジの子が? あの人にそう言われたの?」
「うん」
ウントインゲさんは苦虫を噛んだような顔をして、俯いた。難しいことを考えているようだった。
「ねえ、ウントインゲさん。魔法使いって……本物の魔法使いって、歳をとらなくなるの?」
「……ええ、そうよ。魔法使いは、ただ魔法が使えるだけでは半人前。老いもせず食事も摂らない、自分の身体と命さえも魔法で保つ……それが、本当の魔法使いだと言われているわ」
やっぱり、そうだったんだ!
パチュリーの言っていたことは間違っていなかったんだ。
あの子は私が本当の魔法使いでないことを見破って、見くびっていたのね。
「じゃあウントインゲさん、私……」
「アリスには早い!」
私の言葉は、ウントインゲさんの大声で掻き消された。
あまりにも突然のことだったので、私の肩が驚きに跳ね上がる。
「アリス……貴女が魔法使いになるのは、まだまだ早過ぎる。魔法使いになるのは、大人になってからにしなさい」
「……どうして? パチュリーはもう、魔法使いになってたわ。15歳でなったって……」
「あの人は……きっと何かしらの事情があったのよ。体が弱い人の場合、それ以上の病を抱え込む前に不老を選ぶこともあるから……。個人の資質や才能が劣化する前に、ということもあり得るけどね」
確かに、パチュリーは病気がちな印象があった。
咳ばかりをしていたし、顔色も悪い。一緒にいた吸血鬼のレミリアよりも、肌は白っぽかったようにも思う。
「良い? アリス。魔法使いになるためには、“捨虫の法”と“捨食の法”の二つの呪いを自分にかけなくてはならないの」
「呪い……」
「ご飯を食べず、魔力だけを食べるようにする。歳を取らず、魔力で若さを保つようにする。大昔には“不蝕”とも呼ばれていたわね。……この二つの呪いはとても強力で、一度自分にかけたら簡単には外せないの」
呪いを自分にかけて、成長を止める。
……一度かけたら、外せない。
魔法使いになったら、ずっとその時の歳のまま……。
「わかる? 魔法使いになったら、その人はもう人間ではないの。歳を取らないということは、良いことばかりじゃない。普通の人と一緒に歩けないことなのよ」
わかってる。
ウントインゲさんも魔法使いだから。この人も、歳をとらないから。
だから何年かごとにお店の場所を移して、長い間同じ人達と触れ合わないようにしているんだ。
ウントインゲさんほどの綺麗な人が歳を取らないというのは、モテモテになるだけじゃない。
女の人から嫉妬され、同じくらい疎まれるということでもある。
「……でも! 私、パチュリーに負けたくない! 私も魔法使いになりたい!」
「アリス……でもね」
色々と大変なのはわかっている。
けれど、私はそれでも魔法使いになりたかった。
「ウントインゲさんも言ってたでしょ? 魔法は、子供の方が覚えやすいんだって! 大人になると、離れていっちゃうんだって! だったら、私、もう今から魔法使いになりたい!」
「アリス……」
「あの子に負けるなら……私、大人になんてなりたくない!」
魔法使いになって、パチュリーと同じ場所に立って、今はまだ難しいけど……同じ目線で、あの子を負かしてやりたかったのだ。
「……アリスのわからずや!」
高い音と、私の頬に熱い痛みが響いた。
「あ……」
後からさらに熱をもったように、頬がヒリヒリする。
私はウントインゲさんに、ぶたれたのだ。
「……アリス!」
私は眼から溢れそうな涙を溜めたまま、ウントインゲさんの顔を見ることもなく、自分の部屋へと逃げ込んだ。
そのままやけっぱちにドアを閉めて、ベッドの中に飛び込んで、そして……私は枕を強く噛んで、声を出さないように泣き続けたのだった。
ふわふわと熱に浮かされたような夢の中で、私は昔の自分の姿を見つめていた。
その私は殺風景な建物の、小汚い鉄檻の中で、ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいる。
金髪は肩よりも伸びてしまって、前髪が目にかかり、肌はカサカサしているようだった。
よく見れば、手足は今の私よりもわずかに長く、顔立ちもどこか大人っぽい。
なんとなくではあったが、私はこの私が、15歳のアリス・マーガトロイドであることを確信した。
彼女のぼーっとした目つきは檻の隙間を眺めているだけで、他の何も映していない。
時々建物に響き渡る狂人の叫び声と笑い声にも、私は一切無感情のまま、ぴくりとも反応することはなかった。
……ああ、そっか。
その私には、幻が見えていないらしかった。
座り込む私には、古くボロボロになった人形と、擦り切れた一冊の絵本があるだけ。
彼女にはそれ以外のものは、何も無い。
大人びた彼女からは魔法も、幻も、大好きだったウントインゲさんも消えて……最後の最後に残ったものは、連れ戻された癲狂院だけ。
あの私は、15歳になって……大人になって……全てを失ってしまったのだ……。