東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遠ざかる虚ろな憧憬

 パチュリー・ノーレッジとレミリア・スカーレットとの出会い。そして別れ。

 

 それらはほんの数十分ばかりのことだったけれど、あの時の言葉や感情は、何日経っても忘れることができなかった。

 

 私を未熟者だと断言したパチュリーの、勝ち誇ったような顔。

 ……絶対に忘れられそうにない。

 

 いいや、忘れちゃいけないことなんだ。

 いつか必ず、あの嫌な子を見返してやらなければ。

 

 じゃないとウントインゲさんの弟子として、恥ずかしいもの。

 

 

 

「アリス、近頃魔法の勉強を頑張ってるみたいだけど……どうかしたの?」

 

 あれ以来、私は空いた時間を最大限に活用して、とにかく魔法の習得と研鑽に励み続けた。

 ウントインゲさんからもらった簡単なグリモワールは諳んじられるほど読み込んだし、教えてもらった範囲でやれる事は、何度も何度も、自分の魔力が空になるまで反復する。

 

 特別隠していたわけでもない。

 そんな日々を送っていれば、いつかウントインゲさんに気づかれるのは必定だった。

 

「私、もっとすごい魔法使いになりたい」

「うーん……? アリスはもう、既に充分凄い魔法使いだと思うな?」

 

 ウントインゲさんの言葉に、私は首を振った。

 

「ううん。私はまだ未熟者だもの。もっともっと、立派な魔法使いになりたいの」

「……誰かに、未熟者だって言われたの?」

 

 突然正解を言い当てられて、私はとてもびっくりした。

 

「やっぱり、そんなことだろうと思ったわ。アリス、誰かから未熟者だとか、才能がないだとか言われても、気にしては駄目よ。自分の成長を焦っては駄目」

 

 私の顔に書いてあったのだろう。ウントインゲさんは私が言い訳をするより先に、優しく諭してくる。

 

「でも、ウントインゲさん。私、もっと早く魔法使いになりたい」

「……アリス。貴女はもう人形を動かせるでしょう? 立派な魔法使いじゃない」

 

 一瞬言葉を詰まらせたウントインゲさんを見て、私はほんの少しではあるが、嘘の見破り方を覚えたかもしれない。

 

「ううん、違うわ。私はまだ魔法使いじゃない。だって、そうパチュリーが言ってたんだもの」

「……! パチュリー……あのノーレッジの子が? あの人にそう言われたの?」

「うん」

 

 ウントインゲさんは苦虫を噛んだような顔をして、俯いた。難しいことを考えているようだった。

 

「ねえ、ウントインゲさん。魔法使いって……本物の魔法使いって、歳をとらなくなるの?」

「……ええ、そうよ。魔法使いは、ただ魔法が使えるだけでは半人前。老いもせず食事も摂らない、自分の身体と命さえも魔法で保つ……それが、本当の魔法使いだと言われているわ」

 

 やっぱり、そうだったんだ!

 

 パチュリーの言っていたことは間違っていなかったんだ。

 あの子は私が本当の魔法使いでないことを見破って、見くびっていたのね。

 

「じゃあウントインゲさん、私……」

「アリスには早い!」

 

 私の言葉は、ウントインゲさんの大声で掻き消された。

 あまりにも突然のことだったので、私の肩が驚きに跳ね上がる。

 

「アリス……貴女が魔法使いになるのは、まだまだ早過ぎる。魔法使いになるのは、大人になってからにしなさい」

「……どうして? パチュリーはもう、魔法使いになってたわ。15歳でなったって……」

「あの人は……きっと何かしらの事情があったのよ。体が弱い人の場合、それ以上の病を抱え込む前に不老を選ぶこともあるから……。個人の資質や才能が劣化する前に、ということもあり得るけどね」

 

 確かに、パチュリーは病気がちな印象があった。

 咳ばかりをしていたし、顔色も悪い。一緒にいた吸血鬼のレミリアよりも、肌は白っぽかったようにも思う。

 

「良い? アリス。魔法使いになるためには、“捨虫の法”と“捨食の法”の二つの呪いを自分にかけなくてはならないの」

「呪い……」

「ご飯を食べず、魔力だけを食べるようにする。歳を取らず、魔力で若さを保つようにする。大昔には“不蝕”とも呼ばれていたわね。……この二つの呪いはとても強力で、一度自分にかけたら簡単には外せないの」

 

 呪いを自分にかけて、成長を止める。

 

 ……一度かけたら、外せない。

 

 魔法使いになったら、ずっとその時の歳のまま……。

 

「わかる? 魔法使いになったら、その人はもう人間ではないの。歳を取らないということは、良いことばかりじゃない。普通の人と一緒に歩けないことなのよ」

 

 わかってる。

 ウントインゲさんも魔法使いだから。この人も、歳をとらないから。

 だから何年かごとにお店の場所を移して、長い間同じ人達と触れ合わないようにしているんだ。

 

 ウントインゲさんほどの綺麗な人が歳を取らないというのは、モテモテになるだけじゃない。

 女の人から嫉妬され、同じくらい疎まれるということでもある。

 

「……でも! 私、パチュリーに負けたくない! 私も魔法使いになりたい!」

「アリス……でもね」

 

 色々と大変なのはわかっている。

 けれど、私はそれでも魔法使いになりたかった。

 

「ウントインゲさんも言ってたでしょ? 魔法は、子供の方が覚えやすいんだって! 大人になると、離れていっちゃうんだって! だったら、私、もう今から魔法使いになりたい!」

「アリス……」

「あの子に負けるなら……私、大人になんてなりたくない!」

 

 魔法使いになって、パチュリーと同じ場所に立って、今はまだ難しいけど……同じ目線で、あの子を負かしてやりたかったのだ。

 

「……アリスのわからずや!」

 

 高い音と、私の頬に熱い痛みが響いた。

 

「あ……」

 

 後からさらに熱をもったように、頬がヒリヒリする。

 

 私はウントインゲさんに、ぶたれたのだ。

 

「……アリス!」

 

 私は眼から溢れそうな涙を溜めたまま、ウントインゲさんの顔を見ることもなく、自分の部屋へと逃げ込んだ。

 

 そのままやけっぱちにドアを閉めて、ベッドの中に飛び込んで、そして……私は枕を強く噛んで、声を出さないように泣き続けたのだった。

 

 

 

 

 ふわふわと熱に浮かされたような夢の中で、私は昔の自分の姿を見つめていた。

 

 その私は殺風景な建物の、小汚い鉄檻の中で、ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいる。

 

 金髪は肩よりも伸びてしまって、前髪が目にかかり、肌はカサカサしているようだった。

 

 よく見れば、手足は今の私よりもわずかに長く、顔立ちもどこか大人っぽい。

 なんとなくではあったが、私はこの私が、15歳のアリス・マーガトロイドであることを確信した。

 

 彼女のぼーっとした目つきは檻の隙間を眺めているだけで、他の何も映していない。

 

 時々建物に響き渡る狂人の叫び声と笑い声にも、私は一切無感情のまま、ぴくりとも反応することはなかった。

 

 

 

 ……ああ、そっか。

 

 その私には、幻が見えていないらしかった。

 

 座り込む私には、古くボロボロになった人形と、擦り切れた一冊の絵本があるだけ。

 彼女にはそれ以外のものは、何も無い。

 

 大人びた彼女からは魔法も、幻も、大好きだったウントインゲさんも消えて……最後の最後に残ったものは、連れ戻された癲狂院だけ。

 

 あの私は、15歳になって……大人になって……全てを失ってしまったのだ……。

 

 

 


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