東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 アリスが魔界を訪れてから一週間後、神綺と共になんとルイズがやってきた。

 久しぶりの再会である。というか、まだ生きていたとは正直思っていなかったのだが。

 

 ルイズ自身の話によると、仕事については特に問題なく大丈夫なのだとか。条件もわりと適当でいいらしく、向こうの意志を尊重するとのことである。期限が二千年近くあることについても、嫌な顔せず了承してくれた。

 日本でそんなこと言ったら企業に骨の髄まで吸い尽くされて殺されそうな社畜宣言であるが、暇な魔人さんにとってはあまり珍しいことでもないのだろう。神族でも似たような人は多いらしいので、別段驚きもしないのだが。

 

 まぁ、条件は適当でも良いのだろう。見返りはこちらとしても、その後に渡すほうがやりやすい。

 全体的に、長命かつ魔法的なこの世界はアバウトなのである。

 約束事に書類も判子も“契約”もなかったが、悪魔や魔族を介さない取引などだいたいこんな感じだ。

 

 

 

 ルイズは『魔界旅行記』を執筆した随筆家でもあり、旅人だ。

 最近、偶然にも彼女の本を読む機会があったので、それは掠れない記憶の中でも特に新しい。

 魔界旅行記は現在かなりの巻数に及んでおり、魔界の八割以上を踏破しているように思えた。私が昔に書いた観光案内本を軽く上回る情報量である。

 現在の魔界において、既に滅亡したり消滅した都市や場所なども記されているため、貴重な資料にもなっているのだとか。早期から旅の記録を記した彼女の著作は、非常に高く評価されている。

 

 そして、旅の記述の中には、彼女がいくつもの魔法を扱う場面も記されていた。

 それを見る限り、彼女はアリスの指南役として十二分以上の活躍を見せてくれるであろうことは間違いない。

 人となりを既に知れているというのは、話が早くて実に助かる。

 

 ……私もここ一週間は、時間感覚の鈍さを自覚するばかりで大変だったのだ。本当に。

 人間ってあんなに忙しない生き物だったんだな……確かにそうであった。うむ。いや、私はもともとノロマだったので、それに気付かされただけではあるのだが。うむ。

 

 

 

「さて。ルイズ。そしてアリス。二人にはまず、お互いの自己紹介をしてもらおう」

 

 ルイズからの了承はほんの十数秒で取り付けた。

 “その子が私で良いと仰るなら喜んで”とのことである。

 なのでルイズは一先ず良いとして、私はアリスの意志を確認するべく、お互いの情報を交換することにした。

 

 一応、一週間の……慎重な付き合いによって、アリスは私にも心を開いている……はずだ。

 きちんと挨拶してくれる……はずである。

 

「自己紹介……わかった」

 

 アリスはどこか不本意そうに冷めた横目で私を見ながら、ぽつりと呟いた。

 うむ。表情はともかくちゃんと言葉をきいてくれたようだ。良かった。本当に良かった……。

 

「……うーん、じゃあまず私からね。私の名前はルイズ。魔界で暮らしている魔人の旅人よ」

「旅人?」

 

 先に名乗ったのはルイズだった。旅人という言葉に、アリスは素直に首を傾げている。この子供特有の初々しさは、まるで私に出会った当初のようである。

 良かったアリス、君はまだ子供らしい反応を失ったわけではないんだね。本当に良かったよ。

 

「ええ、旅人。魔界を歩いて、魔界の様々な地域を訪ねて、見て歩く……うふふ、そんな、ただの旅行好き」

「……なんか、良いなぁ……」

 

 おお、アリスの反応はなかなか良さそうである。

 私が“立派な魔法使いになるための二百箇条”を挙げた時とは随分違う反応だ。

 これが脈アリというやつだろうな。

 

「ちょっとくらいなら魔法も使えるし、魔界の素敵な場所も知ってるわ。アリスが何を勉強したいのかは詳しく聞いてないけれど……多分、大抵のことだったら教えられるんじゃないかしら?」

「ほ、ほんと?」

「ええ、私に任せて? ただし、不真面目な子は嫌いよ?」

「だ……大丈夫!」

 

 あれれ、アリス君随分と素直じゃないか。

 この一週間、熱心に基礎魔法を教えようとした私には後半ずっと無関心だったのにな……。

 

「私は、アリス・マーガトロイド……です! ま、魔法使いの、見習い……です」

「アリス・マーガトロイド。いい名前ね。アリスって呼んでも良い?」

「はい! ……あの、私は……ルイズさんって呼んでいいですか?」

「もちろん、とっても嬉しいわ。よろしくね?」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 なんかもう、目を離してても全然大丈夫そうだな。

 うむ、おそらくは大丈夫なのだろう。私が一週間付き添ってきた信頼度よりも上を行ってそうだものね。うん。

 

「……ライオネル? 一週間の間、私はあそこで待ってましたけど……その間アリスとずっと一緒にいたんですよね?」

 

 もはや用済みと、部屋の壁に寄りかかって沈黙する私に、優しい神綺が声をかけてくれた。

 

「ああ、一緒にいたよ。時間がもったいないだろうと思って、ついでに基本的な魔法について教えながらね……」

「あー……」

「しばらくは真面目に聞いてくれたんだけどね、なんだか……興味を失っちゃうっていうか、頑張ってるのはわかるけど寝ちゃうというか……いや、うむ。絶対に私の教え方が悪いとは思うんだけどね……」

 

 誤解を招かないように言っておかねばならないが、アリスは決して不真面目ではない。

 むしろ、ほとんどわからないであろう私の魔法講義を、最初の三日間はしっかりと聞いてくれるほどの我慢強さを持っていると言っても良いだろう。

 ただ、私が絶望的なまでに、教えることに向いていなかったのである。

 

 最初の最初。天体と属性の影響と魔力の揺らぎに関する授業は絶対に大丈夫だろうと思ったのだが……教え方を40パターンほど切り口を変えてやり直しても、現在のアリスが理解するまでには至らなかった。

 

 少々、魔法の分野としては先走りすぎたのであろうか……いや、しかし私はここから魔法に入った部分もあるし……ここから導入を進めていったほうが後々に有利な面もあるから、二、三年くらいは根気よく続けて行くべきだとも思うのだけども……。

 もしかすると、導入部のテーマ選択を誤ったのだろうか。触媒の選び方から始めるべきだったか?

 それとも実技から入って魔素収集技術を教えこむべきだったのだろうか……。

 

「それじゃあ、魔法使いになりたいのね?」

「はい! 私……あの、まだ難しいことは全然わからないし、まだ物を動かすくらいしかできないですけど……それでも、魔法使いになりたいんです!」

 

 ふと目線を戻せば、アリスはルイズに対して、強い意志の篭った目を向けていた。

 魔法使いになりたい。その意志は、……理由はまだ聞けてはいないものの、やはり本物なのであろう。

 

「……ライオネル。神綺様。アリスを立派な魔法使いにする……私に与えられた仕事は、そういうことで宜しいのでしょうか?」

「ええ」

「ああ、その通りだ。頼めるだろうか」

 

 私にはあまりにも荷が重いらしいのだ。

 

「もちろん、素直で……熱意もあって、とても良い子だわ。……アリス、ちょっと長い付き合いになるかもしれないけれど……私の下で、きちんと勉強できるかしら?」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 ルイズに優しく頭をなでられると、リラックスするというよりは、むしろより強い熱意を湛えて、アリスは勢いのある返事をした。

 うむ。甘えたい年頃だろうに魔法に対するその熱意。素晴らしいことだ。私が直々に教えられないことが残念だよ。

 

「では……ルイズ。彼女について……魔法を教えることもそうだけれど、出来る限り守ってあげてくれると助かるね。可能な限りは放棄せず、アリスのことを面倒見てやってほしい。それが、私と神綺からの唯一のお願いだ」

「……? あなたと、神綺様? そういえば、二人の関係って……」

「私達からの仕事の依頼だと思ってくれていいよ。質問があったら、後でまとめて聞こう」

 

 私がそう言うと、ルイズは細い糸目を僅かに開いた……ような気がした。

 

「……わかったわ。でも、出来る限りというのはどういうこと? なんだか、柔らかな表現に聞こえるけど」

「やむを得ない場合は、仕方ないということさ。アリスは特殊な立場の人ではあるけれど、特別な立場という程ではない。もしもアリスが死ぬような事があったら、それはそれで仕方ないから、気にしないでということだよ」

 

 私の言葉に、アリスは鋭く反応した。

 どこか緊張した面持ちで私を見て、じっと探るように仮面を見つめている。

 

 ……言い方は少々棘があったかもしれないが、これもまた本音だ。

 アリスは未来から来た。確かにその通りである。けれど、だからといって何から何まで御膳立てをしては全く意味が無い。

 過保護に守ってやれば、その分だけ甘えてしまうことだってあるだろう。それは、長い時間を無為に過ごすには十分な温さでもあると私は考える。

 彼女を特別扱いしないのは、そんな意味もあるのだ。

 

「ま、もしも……期限までに生きていける気がしないなら……アリス、いつでも私を呼ぶと良いだろう。私に言ってくれれば、いつでも“その時”まで、貴女を“凍結”させてあげるから」

「……必要、ありません。大丈夫です、ありがとうございます」

 

 アリスはどこか硬い表情で、私に言い返す。

 うむ、しっかりと魔法使いとして生きるつもりなのだね。良いだろう、尚の事気に入ったよ。

 

「では、私からは特に言うこともない。あるとすれば、もしも……万が一にも、ルイズから教わる魔法だけでは満足できなくなったなら……その時こそは改めて、私から魔法を習うと良いだろうね」

「……」

「露骨に嫌な顔しないでくれる?」

 

 私はピーマンか何かかい。

 

「……じゃ、神綺。後のことは、よろしくお願いするよ」

「わかりました」

「私は少しの間、仮面の作り直しと入門向け魔導書の試作をやってるから……」

「はーい」

 

 そんなわけで、私は嫌われ者になりきる前に、その場から早々に立ち去ることにした。

 

 コミュニケーションは上手く行かなかったものの、成果は得られた。

 人間社会に飛び出す前に、色々と手直しするものがある。それがわかっただけでも、アリスとの邂逅は実に有意義なものであったと言えるだろう。

 

 


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