東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遺骸王の開門


 

 黒い瘴気が吹き荒ぶ地、法界。

 外界から、そして魔界からさえも隔絶されたこの場所は、長きに渡って平穏を保ち続けている。

 

 地には草木も生えず、多少の水はあっても流れはない。

 生物らしい生物はおらず、辺りに魔力は満ちているが、神魔に対して強力な反発を生み出す結界の力場が、妖魔の発生を許さない。

 

 とてもではないが、法界は生ける者に優しい世界ではなかった。

 それでも私は、この場所で瞑想を続けている。

 

 目の前に白骨を組み重ね、胡座をかいて、祈り続けるのだ。

 

 母が望んだ、次なる世界の安寧を。

 安らかに眠る、母の平穏を。

 

 私の名は(コウ)

 この地で母の遺骸を護り続ける、赤き竜の成れの果て。

 

 

 

 

 ある日。長い長い時の果てに、私は封印された世界の中で、轟音が轟いたのを感じ取った。

 

「……」

 

 長らく瞑っていた目を開き、意識を表層へと浮上させる。

 音は強く響いたらしく、私の耳と腹には、未だに痺れが残っているかのようであった。

 

 法界には、ほとんど何者もやってこない。

 時折、小さな隕石のようなものがどこか遠くの方に落ちることはあっても、私の意識を起こすほどの出来事はこれまでは幾度も起こらなかった。

 

 神綺様やライオネル様であれば、もう少し丁寧な起こし方をするだろう。

 であれば、今の音はなんだったのか。

 

「……見るか」

 

 立ち上がり、音が響いた方向へと意識を向けた。

 同時に白骨の祠に纏わせていた氣を自らに引き戻し、臨戦態勢を整える。

 

 このアマノの分社を護るためにも、音の正体を突き止めなければならないだろう。

 

「……ゴホッ、けほっ……くっ」

 

 が、身体に氣を戻した瞬間、私の氣が肉体に牙を向いた。

 少々、力の調節を誤ったらしい。法界の中では不用意な力を込めると、こうして自らの力でさえも毒に変わり、敵に回ってしまう。

 

 ……長い瞑想で、加減を忘れていたようだ。

 

「……ふう」

 

 よし、呼吸は整えた。氣も抑える。

 これで問題ないだろう。

 

 さて。早速音の原因を見つけることにしよう。

 

 

 

 

 盆地を抜けて丘を登ると、瘴気を孕んだ風が強く吹き付けてきた。

 空間には封印の圧力が加わり、流れる風は鋭い魔力で身を削ろうとする。風のない場所であれば然程怖くもないが、こうして不安定な場所に移動すると、魔族の身としてはなかなか辛いものがある。

 私以上に穢れの多い者にとっては、かなり危険な場所と言えるだろう。

 

「……ん……」

 

 だから、おそらくは神魔の類ではなく、巨大な隕石でも降ってきたのだろう。

 私はそうアタリをつけて、見晴らしの良い丘に登ったのだが……その予想は、いとも簡単に覆されてしまった。

 

「あれは……いや、近くで見るまでもない。……魔族ね」

 

 登った丘から遠方の窪地に見えたものは……巨大な亀のようであった。

 大きさは、大洋の鯨をも超える程。そこに乗せられた灰色の甲羅には、山と見紛うほどの、これもまた大きな岩が乗せられている。

 黒々と、しかし金属のように輝く宝石のような岩。決して軽いものではないだろう。

 その山さえ背負えるほどの魔族となれば、身に宿す力は……私などとは比べようもないはずだ。

 

 だがそれだけに、この法界の圧力はより強く襲いかかる。

 

「ォオオオオッ……!」

 

 亀の苦痛の悶える呻きが、地響きのように世界を揺らした。

 肌を刺すような音の響きに、私は先ほどの轟音があの亀の咆哮であったことを確信する。

 

 ……何故この法界に、見知らぬ魔族が現れたのか。

 そしてあの亀は何者なのか。

 

 調べなくてはならない。捨て置くにせよ、度々ああして吼えられたのでは落ち着けない。

 私は丘から亀を目指して駆け下りて、接触を試みることにした。

 

 

 

 

「ォオオ……苦しい。苦しいぞ。なんたる重圧よ。我が身がこれほどまでに苛まれるとは……」

 

 亀の動きは鈍く、首が緩やかに動くことはあるものの、その場から歩こうとする気配はない。

 いや、あの場から動くことなど出来るはずもない。彼がああしてあそこで立っているだけでも、私の目から見れば奇跡に近かった。

 

 言葉も扱えるようだし、封印は効いている。危険はさほど大きくないと判断した私は、亀の正面に回って近づいた。

 

 浅黒い老いた肌に、赤く輝く目。

 亀の顔立ちからは、人となりは掴めなかった。

 

「ォオ……そこにいるのは何者か」

「私の名は(コウ)。この法界で暮らしている、塔の守り人です」

 

 名も役柄も私の誇りである。偽る必要はなかった。

 

「なんと。このような苛烈な地に根付くとは、随分と酔狂な民草よ」

「そう仰るあなたは、何故ここへ」

「申し遅れた。我が名はヒキ。長らく大地と共に緩やかな歩みを続けていたが、忌々しい仙術使い共によって、この地へと沈め込まれた者である」

 

 その亀は、ヒキと名乗った。

 大地と共に緩やかな歩みを続ける……。その言葉の意味は深くはわからなかったが、どうやらここへは、何者かの手によって送り込まれたらしい。

 

 穏やかな語り口ではあるが、その一言一言には厳かな響きが込められている。

 理知的であることは伺えるものの、このヒキが身に宿す力の莫大さは、私が地上を旅していた時でさえもそうそうお目にかかれるものでもないように感じた。

 

 しかし、仙術とは。耳慣れない言葉だ。

 

「仙術使いとは、どういった者達です? 彼らにやられたのですか?」

「ォオ……いかにも。雲を歩き、霧に隠れ、霞を食む人間どもだ」

 

 霞を食う。変わった連中だ。

 

「一人一人は大したものでもない。我が荷を奪い去ろうと企む人間は度々現れるが、我がひと鳴きすれば大抵は逃げ帰る。だが明くる日、奴らが一斉に我に立ち向かい、奇妙な術によって我を囚えた」

「そうしてあなたは、ここにやってきたと」

「いかにも、その通りである」

 

 ……ヒキの甲羅に乗った巨大な鉱石の塊は、なるほど。よく見れば、希少なものであるようにも見えなくはない。

 それを狙った魔族がいても不思議ではないだろう。

 

 しかし、人間か。聞けばあまり強くはない種族であるらしいけれど。

 仙術使いとやらが、ここへヒキを送り込んできたとなると……私としては、あまり落ち着けるものではないな。

 

 私はこの法界を、母が眠る場所として護り続けてきた。

 巻き込まれたらしいヒキにはすまないが、あまり余所者に寄り付いて欲しい場所でもない。

 仙術使いは、一体どのような理由で……どのような力で、この法界へとヒキを送り込んだのであろう。

 

 ……理由によっては、生かしてはおけない。

 

「ォオオォオ……紅よ。すまないが、我は暫し眠りにつく」

「いえ、その背にある大荷物。この法界では尚のこと疲れることでしょう。お疲れの所申し訳ない。静かに眠られるがよろしい」

「うむ。だが、くれぐれも我が荷に手を触れぬことだ」

「もちろんです。それはあなたが護るべきもの、私が手を出すことはありません」

「うむ、うむ……」

 

 私が無害を主張すると、ヒキは意外なほどすんなりと納得した。

 赤い光を宿る目はゆっくりと黒く染まり、彼の身体に漲る氣がゆっくりと萎んでゆく。

 

 どうやら、ヒキは穏やかな眠りについたようだった。

 

「……仙術使い。人間、か」

 

 法界に現れた巨大な魔族。そして、送り込んだであろう人間という種族。

 母の眠る地を護るためには、あまり放ってはおけない問題のように思えた。

 

「ん……神綺様かライオネル様に、訊ねてみるのが良いかしら」

 

 長い眠りを終え、目の覚めるような出来事だ。

 まぁ、これも仕事である。しばらくは、また調べまわってみるのも良いだろう。

 

 


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