東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 行ったり来たりで慌ただしいことである。

 が、せっかく小悪魔ちゃんが帰ってきたのだ。紅と会うのもしばらくぶりだろう。となれば、その再会を手伝わないわけにもいかぬ。

 私はその場で速やかに瞬間移動を発動し、紅と共に魔都の紅魔館前へと跳躍したのであった。

 

 

 

「うえ~~~ん……」

 

 そこには、大荷物に押しつぶされて大泣きする小悪魔ちゃんの姿があった。

 

「え、ええ……なにそれ……」

 

 私の心情は大体その通りである。目の前に……というか、眼下に広がるよくわからない光景に、上手く思考が働いてくれない。

 

「ちょ、ちょっと小悪魔。どうしたの」

「うえーん……」

「泣いてたらわからないでしょう。……背中の荷物、どけるわよ。起きれる? 怪我はない?」

「ひぐっひぐっ……ぅう……紅さぁん……うぇええん……」

 

 大量の四角い風呂敷包みに押しつぶされたまま、ひたすらガチ泣きである。

 紅があやすも効果はさほどないようで、返事らしい返事も返ってこない。ただただ彼女は、泣きわめくばかりだ。一体何がどうしてこうなったのだろう。

 

『魔界に戻ってきたと思ったら、これだ。多くの荷物に押しつぶされたまま、ずっと泣き続けている』

「おお、サリエル」

 

 私の傍らに、青い羽根つき手鏡が舞い降りた。

 そこから響くサリエルの細い声は、あからさまに疲れた様子である。

 

『私も何度か……会話を試みたのだが。この有様でな』

「ううむ……確かに、これは……言葉だけじゃあ、手がつけられないなぁ」

 

 サリエルは遠隔で攻撃したり物を見たり会話することには長けているが、遠くのものに繊細な干渉を加えることは難しいのである。

 多分超遠距離でゴーレムを生成することもできなくはないのだろうが、それよりも私達を呼んだほうが早いと判断したのだろう。

 

 実際、既に紅は山積みになった荷物を速やかに脇へとどかし、小悪魔ちゃんを救出したところだ。

 せっせと介抱する紅と泣きじゃくる小悪魔の姿は、本当に親子や姉妹のようである。

 

「うっううっ……」

「怪我は……無いみたいね。あのくらいなら、貴女一人でも脱出できたでしょうに」

「うう……」

 

 そこら中に転がった荷物の一つを、魔法で浮かせて手元に引き寄せる。

 荷物は四角く、布で巻かれているようだ。

 が、それは梱包というよりはただ単純にまとめただけの、実に雑な結び方が成されていた。

 

 そもそも小悪魔は何故、この大荷物を持って帰還したのだろうか?

 ただ仕事を終えただけであれば、来た時と同様ほとんど手ぶらの状態でやってくるはずなのだけれども……。

 おみやげにしたって、ちょっとこの量は異常に見える。

 

「解いてみるか」

 

 ガワだけでは何の荷物だかわからないので、雑な梱包を魔法で取っ払ってみよう。

 私は名も無き単純な魔法で、複雑な結び目をひょいひょいと解き、荷物を解き放った。すると中から現れたのは……。

 

「……本?」

 

 本であった。しかも、かなり分厚く……それなりに高価そうな、しっかりした本である。

 魔界製の本ではない。書かれている文字も、地上で見られる人間の文字だった。

 これは魔神や悪魔の本ではない。人間の本だ。

 

 この時代の本の貴重さは、さすがに歴史を知らない私でもよくわかっている。

 これ一冊一冊はとんでもなく高価な代物であるはずだ。

 

 ……そして、おそらく……小悪魔ちゃんが持ってきたこの大荷物。

 いや、間違いない。そこらへんにある四角い荷物は、全て人間の本なのだろう。

 

「小悪魔ちゃん、この本は一体?」

「うっ、うう……わ、私が働いてた図書館のものですぅ……」

 

 小悪魔ちゃんは涙をぼろぼろと流し、少しずつ語る。

 

「図書館の人達はみんないい人で……私にもすっごく親切でぇ……なのに、図書館が戦争で、焼けちゃって……あぅう……!」

「ああ、よしよし。大丈夫、泣かないで……」

 

 図書館。戦争。焼ける。

 この時代の図書館は……ふむ?

 

「私も、みんなも頑張ったんですけど、それでも火が強くて、消しきれなくてぇっ……! みんな大怪我してたのに、みんな私と本には残っていて欲しいからって、魔界に帰るんだって……!」

 

 ……なるほど。

 小悪魔ちゃんの働いていた図書館が戦争で火災を起こし……それを食い止めようとしたものの既にどうにもならなかったので、小悪魔ちゃんを本と共に魔界へと送還したのだろう。

 使役する悪魔を送り返すのは簡単だ。特別なリスクも無い。それにちょっとだけ荷物を纏めてやれば、片道の魔界宅配便の完成である。

 

 とはいえ、これは人間にとって旨味のあることではない。

 悪魔を魔界へ戻すとその時点で契約は切れるし、悪魔に託した持ち物は人間の手を完全に離れるからだ。

 よほど悪魔個人に対して信頼がなければ……このように、小悪魔ちゃんに高価な本を持たせて送り返すことはないだろう。

 人間はそれだけ小悪魔ちゃんを大事に想っており、そしてこの多くの本を守りたかったのだ。

 

「……小悪魔。私は、悪魔や……貴女の仕事に明るくない。……けれど貴女は、地上の世界で……自らの仕事を全うして、戻ってきたのね?」

「う、ぅううう……はいぃ……」

 

 紅の問いかけに、小悪魔ちゃんは泣きじゃくりながら頷いた。

 よく見れば、小悪魔ちゃんの服や髪には。

 

「そう。だったら、泣くのはやめなさい。貴女は良くやったのよ」

「うっ……あぅ、でも、でも私、全然役に立てなくて……アレクサンドリア図書館、ぼろぼろになっちゃって……!」

 

 紅は無言のままに小悪魔ちゃんを抱きしめ、優しく頭を撫でる。

 すると小悪魔ちゃんは、再びえんえんと子供のように激しくむせび泣くのであった。

 

 人間から本を託された悪魔。

 そこには、きっと私達には知る由もない異種族間の絆があったのかもしれない。

 

 ……ていうか、アレクサンドリア図書館かぁ。

 さすがの私でも聞いたことのある、大昔の巨大な図書館だ。

 

 たしか、アレキサンダー大王が作った……世界中の数多くの書物を保管していたものだったか?

 私の知識の中でも、なるほど確かに、アレクサンドリア図書館は焼け落ちただとか、そんな末路をたどっていたように思う。

 

「……そうか。小悪魔ちゃんは、アレクサンドリアで働いていたのかぁ」

 

 人間と戦争。

 悪魔と魔法。

 

 どうやら現代人が古代と呼ぶこの時代は、まだまだどこの国でも、悪魔や魔法が身近に存在していたらしい。

 

 果たして神や悪魔、そして魔法などは、いつの時代まで人々の中で“現実”のものと認識され続けるのであろうか。

 おそらくは二度と地上に帰ることのないであろう、地面に散らばった数多の本たち。そこに記された神秘の記述のように、苛烈な戦火と刷新の中で、人々は少しずつ研鑽の末の幻想を忘れてゆくのやもしれぬ。

 


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