いつもいつも思うことであるが、言語の習得にはそれなりの時間がかかる。
いい加減慣れている私ではあるものの、さすがに初めて耳にする言葉をそのまま使えるほどに万能ではないのだ。
対象の霊魂を取り出して何らかの処置を施せば、まぁ魔導書と似たようなメカニズムで言語を読み取ることはできるかもしれないが……語学学習のためにそのようなことをやらかすのは、さすがの私でも少々気が滅入る。
なので言語は現場で覚えることにしている。
なに、会話の多いところであれば数時間でどうにかなる。言語も基本的な法則には大差がないのだ。
記憶力が怪物的に良い人であれば、さほど苦労することもないだろう。
「おっと」
集落を目指して沿岸部を歩いていると、砂浜の向こう側に白い煙が見えた。
見覚えがある。あれはおそらく、飯炊きの煙であろう。
浜辺には人工物が朽ちた後の、ある程度形の整った木片なども見られる。
どうやらこの付近では、人の営みがあるようだ。
「早速か、ありがたい」
個人的にも、何年も探索するのは御免であった。いきなり人の気配があったことは素直に嬉しい。
いや、今の時代はそう何年も人を探して回る必要は無いのか。うーむ。
「やっぱり、こまめに“月時計”を確認しないとな……」
内心で、ほとんど守ったことのない自戒をもう一度心に刻みつけながら、私は人の気配がする方へと歩みを進めたのであった。
「誰だ?」
えっちらおっちらと沿岸部の集落に近づいていくと、漁師らしき三十路半ばほどの男が私に声をかけてきた。
おお、なんとも懐かしい日本人顔である。
背はまだまだ低いが、それでも体格は筋肉質で、がっしりしている。
五億年ぶりの半透明じゃない日本人との遭遇である。私は感動のあまり、仮面の中で感嘆を漏らした。
いや、しみじみしている場合ではない。
相手の顔色はあからさまに私を警戒しているのだ。
幸いにして、相手の言葉はなんとなく私にも通じる。非常に強い訛りがある日本語ではあるが、意思疎通も不可能ではないだろう。
今こそ、私が長年考えていた設定を試す時である。
「初めまして。私は旅の陰陽師の……
「……おんみょうじ? なんだそりゃ?」
あれ?
私こそ不思議な顔をしたかったが、漁師風の男も不思議そうに顔をしかめている。
い、いかん。このままではいかん。
いや、何故だろうか。日本の昔といえば陰陽師ではなかったのだろうか。
「……おや、陰陽師をご存知でない?」
「わけわからん、なんだそれは」
「陰陽道に聞き覚えは?」
「怪しいやつだな。それは結局何なんだ。盗人じゃあるまいな」
質問を重ねていくと、漁師の男の顔つきがどんどん険しくなっていくのがわかる。
うむむ、思いの外短気だ。このままではよろしくない。
……しかし陰陽師も陰陽道も通じないとは。場所が悪かったのだろうか? それともまだそういった時代ではなかったのか……うーむ、そんなこともないとは思うんだけども。
安倍晴明とかもいるんだろうし……あれ? 安倍晴明って平安? わからん。
飛鳥と奈良と平安ってものすごく近いイメージしかないのだが……。
……いや、今はそれどころではない。
とりあえずは私が無害な者であることを示さなくてはならないだろう。
「盗人などとは、とんでもない。私は術を用いて魔を祓う者」
「なに、魔除けだと? ……確かにそれらしく怪しい風体だが……そのような格好、聞いたことがないぞ」
怪しい? いや、それらしいならば良しとしよう。何も問題はない。
「私が扱うのは、遠方にて栄えるエメラルドの都より伝わりし秘術。聞いたことがないというのも無理はないでしょう」
「え、えめ……? ほ、ほおお……とにかく、すごいのだな?」
「もちろんですとも」
なんだか結構ちょろいな。
霊験あらたかな雰囲気を見せれば、この時代の人はわりとあっさりと信じてしまうのだろうか。
詐欺の耐性がものすごく低そうである。
そもそも彼はエメラルドがなんだかもわかっていないように見える。
カンザスやらオズの魔法使いという言葉を混ぜてもなんだかどうにでもなりそうだ。
「な、ならばどのようなことができるのだ? ちょっとばかし俺に見せてくれ」
「もちろんですとも、お安いご用です。……では、とりあえず簡単なものからお見せしましょう」
論より証拠。不思議な事ができることは事実なのだ。言葉で説明するよりは、見てもらったほうが早いだろう。
とはいったものの、私は陰陽術などというものは全く知らない。
いや、見ればそれを再現するのはきっと簡単だとは思うのだが、どんなものかまではわからない。
故に、私は雰囲気だけそれっぽくしつつ、こっそりと魔法を発動させることにした。
「オン・キリキリ・ドクロ・ハックション」
適当な呪文ここに極まれりである。
しかし、海に向かって差し伸べた私の手からはしっかりと魔力の奔流が駆け抜けた。
私が放った指向性のある“打ち据える風”は、まっすぐ海と向かって遠くの方に高い飛沫を上げた。
遠方に立ち上る、十メートル近い高さの水の柱。
見た目にも派手だし、十分にわかりやすいだろう。
どうやら漁師の男は、今の光景を見て口をぽかんと開けているようだ。
「信じていただけたかな?」
「は、ははぁー!」
「って、あれー」
とりあえず信じてもらうだけでも良かったというのに、何故か平伏される私。
男はまるで神でも崇めそうな勢いで、頭を砂地に押し付けている。
……いや、そりゃ撃ってからちょっと派手だったかもしれないとか思ったけど、そんなにしなくてもいいんじゃないの。
私だって迷ったんだぞ。ふわーっと宙に浮かぶだけにするか、炎を出すかで。
ただ私としては、その二つの方がなんとなく神様っぽく見えるかもしれないと思ったから控えたのだ。
……もしもそれが裏目に出たのだとしたら、なんともマヌケな話である。