物部の総大将が討ち取られたことで、兵たちの士気は一気に地の底まで落ちた。
守屋の死亡。それはよほどのことであるらしく、敗北を知るや物部の兵は悲鳴を上げながら敗走を始め、我先にと逃げ出してゆく。
そこに統率はなく、殿もいない。
背面から一斉に攻める蘇我の軍勢は、逃げ惑う彼らに対し緩い追い打ちなどもかけたのだが、それもやりすぎればただの虐殺になってしまうだろう。追撃は誰かの指示でもあったのか、すぐに抑えたものへと変わった。
それでも、結果として生き残った物部の兵は一部だけ。
彼らは戦場を離脱し、散り散りになった。
彼らがこれ以降どうなるのかわからないが、まだまだこの日本には自然が多く、恵みも豊富だ。その気になれば野山や海辺で生活することも難しくはないだろう。
たとえ私の肉体が元の人間の生身に戻ったとしても、寿命を全うするまでの間、魔法を使わずに健やかに野宿できる自信はある。
まぁ、それも長年培ってきた知識があってこそなのだが……。
「どうだ、ライオネル。人間の戦争は」
一通りを眺めた後、隣のクベーラが私に訊ねてきた。
「宗教を巡った争いか。神族にとっては、目を離せない戦いになってそうだね」
「うむ。信仰の力は今の我々にとって無くてはならぬもの。こうした小さな島国であっても、信者は信者だ。あのような衝突も、これから多くなることだろうよ」
クベーラの言うとおり、国教をめぐる争いはしばらく終わることはないだろう。
私の知る限りでも、日本における宗教に纏わる戦いはまだいくつかあったはずだ。
比較的宗教に寛容な日本でもそれなのだ。他の国においては、それはもう血みどろな戦争が繰り広げられていることだろう。物騒なものである。
「まぁ、私はこの国の宗教がどうなろうとあまり興味はないのだが」
「ふむ、そうか? ……ははぁ、わかったぞ。お前は魔法を触れ回っているというわけか」
「そういうことだ。見ての通りね」
そう、私にとって重要なのは魔法だけだ。
魔法が周知されさえすれば、宗教はなんだって構わない。
逆に、神秘を覗こうとする宗教というものは、人間にとって魔への良き入り口となってくれるだろう。
科学に傾倒されるよりは、魔女狩りでも何でもされた方がずっとマシというものだ。そもそも賢き本物の魔女はそう簡単に殺されることはないので、宗教に関して言えば本当に何だって構わない。
「しかし……あの
「だろう?」
先ほどの戦いで注目したのは、やはり仮面の男である。
白き髪に青い瞳の男、河勝。
一人だけ飛び抜けた魔力を持ち、常に神族並の力を振るいながら単騎で物部守屋を討伐してしまった。一騎当千とはまさにあのことだろう。
「あれが、俺の言っていた奴だ。まぁ、他にも……頭の切れる奴も指揮官にはいるが、奴ほど特異ではない」
「だろうね」
この時代、人間が能力を持っていたとしても不思議ではない。
神族の血脈もあれば、影響力も色濃く残った時代だ。神通力を使いこなせる者も少なくはないだろう。
だが、秦河勝が持っているそれは飛び抜けていた。
「見たところ人種も違うようだけど、クベーラはあの男について詳しく知っているかい」
「いや……詳しくは知らん。大陸から渡ってきた者だという話は聞いているが、それ以上は俺も興味が無かったのでな」
「ほう。大陸」
となると、中国……この時代だと朝鮮もそうか。
どちらかから渡ってきたと考えるのが自然だが……しかし、あの顔立ちや色は……間違いなくもっと向こう側のものだ。
ふむ。彼は一体、どこからやってきたのだか。
「ああ、そうだ。奴は今、厩戸王という者に仕えている。そいつはまだ十いくつもしないような子供だが、頭の方はなかなかだぞ」
「ウマヤドノオウ……聞いたこと無いな。頭がいい……ああそうだ、クベーラ。知っていたらで良いんだが、聖徳太子という為政者について何か知らないか」
「ショウトク太子。すまんな、俺は聞き覚えがない」
「ふーむ、そうか……」
「人探しなら、手伝ってやらんこともないが」
「おお……いや、まぁこの件については大丈夫。私一人でどうにかするよ」
「そうか? ならいいのだが」
聖徳太子はまだクベーラも知らない、か。
まだこの時代には生まれていないということなのだろうか? それとも時代が通りすぎてしまったのか……。
……まぁ、別に会ってどうこうしたいというわけでもない。
有名人なわけだし、気まぐれに聞いてみて、居たら訪ねることにしよう。
聖徳太子は実は存在しなかった、なんて話もあるけれど……そうでないことを祈るばかりだ。
「それで、ライオネルよ。これから大和でどうするつもりだ」
「うーむ……そうだな。まずは、人の多い都に行きたいから……」
遠方で勝鬨をあげる蘇我の兵を見やり、顎を擦る。
「彼らについていくのも、ありかもしれないね」