私と河勝は馬に跨り、北を目指した。
出発地点がだいたい奈良県だったので、このまま京都を突っ切る形でいけば数日かけて日本海側へと出るだろう。
ちなみに、私の馬は自分で買ったものである。
随分と値も張ったが、細々と続けていた行商により穀物や布などが大量に死蔵されていたので、ノリで購入してしまった奴だ。せっかくなのでポニーみたいな貧弱な馬ではなく、軍用にもなりそうな高級な個体である。灰色のくすんだ毛並みと、長いまつげがチャーミングだ。
名前は最初、メスなので馬子と名付けていたのだが、河勝に“それだけは絶対にやめとけ”と窘められてしまった。
なるほど、確かに今の大和の最有力豪族は蘇我馬子さんといったな。確かにそれはまずかった。
故に、この馬の名前は先程“花子”になった。よろしく花子。
「静木! この速度でいけるか!?」
「おー、問題ない!」
河勝は荷物と薙刀を背負い、長い銀髪を靡かせるように走っている。
神族じみた怪力の持ち主であるにも関わらず、細身な後ろ姿は髪も相まって、まるで女性のように優美だ。
ふむ。これが俗にいうところの“遠乗りデート”とかいうやつか。まさかこの歳になって、こんな経験をすることになるとは思わなんだ。もちろん冗談だけども。
「河勝! 私はこの辺りの地理に明るくないが、だいたいどの程度で沿岸部に着くだろうか!?」
段々と涼しさが強まりつつある中で、私は先導する河勝に向けて叫んだ。
「そうだな……真っ直ぐ突っ切れば話は早いのだが……山が邪魔だからな……西側に逸れることを考えると……多めに見積もって、十日といったところだ!」
「おお、そうか! 了解した!」
十日と聞くと長く感じられるかもしれないが、この時代だ。
道は全く整ってなどいないし、日が暮れたら野営するしかない。山もそのままなので、上手に迂回しなければ馬も進めない。妥当なところであろう。
しかし、河勝はきっと私の身体能力を見てそんな決断を下したのかもしれない。
彼一人であれば、おそらく大荷物を自分で背負って山道を全力疾走した方が早いのだから。
そう考えると、まるで私がお荷物になっているようで少し悲しい気分である。
“私実は一人でもすぐに現地まで飛べるんだ”と言いたい気持ちもあるが、馬に乗って旅をするのも悪くない。河勝には申し訳ないが、彼の希望でもある。ゆっくりと旅の付き添いをさせてもらおう。
ある程度平地を走り、時折馬を歩かせ、そうしているうちに日暮れになった。
「この辺りは川も穏やかだ。静木、そろそろ野営の支度をしよう」
人よりも先に馬のほうがくたびれてきたので、私たちは適当な場所を見つけて一晩を明かすことになった。
馬を休ませ、薪を拾い、石を組んでかまどを作り火を熾す。色々と大変な作業もあったのだが、全て河勝が一人で済ませてしまった。
「雉でも鹿でも猪でも、獲ろうと思えば穫れるが……ひとまずは荷を軽くして、馬の負担を減らそうと思う。残りは気にせず、食ってしまおうか」
そして旅路があと十日あるにも関わらず、河勝のこの強気な発言である。
自然を舐めきっているようにも思えてしまうが、まぁ実際の所、彼の並外れた力ならそこらの野生生物など簡単に仕留めてしまえるだろう。
鉄鍋に川水を汲み、よく煮沸して飲み水を確保。
そして穀物を練り固めたような、お世辞にも美味いとは言えない携帯食をもさもさと食べながら、ひっそりとした夜を過ごす。
そう表現すると、どこか心温まるシーンのように思えるかもしれないが……実際の絵面はそんなに和やかなものではない。
確かに焚き火を挟むようにして私と河勝は食事を取っているが、私はアノマロカリスの仮面を付けたままだし、河勝は猿の仮面をつけたままだ。
お互い仮面を付けたまま、器用に携帯食を食べている。
ちなみに私の作ったアノマロカリスの仮面は底部に口があるので、そこから食べ物を押し込むだけで食べたフリができるので非常に便利だ。
実際に食べてやってもいいのだが、今は包帯で全身の穴に封をしている状態なので、あまり体内に食べ物を押し込みたくはない。あとで仮面の空洞部に貯めた携帯食を、馬にでも食わせる予定である。
「……なあ、静木よ」
「うん?」
私が小枝を削って木彫していると、河勝が訊ねてきた。
「私が言えたことではないのだが。……いや」
「どうした」
「いや、良いんだ。なんでもない」
何かもったいぶった切り出し方だったが、河勝は本当にその話題を遠慮したがったようなので、私も深く追求するのはやめておく。
私に何か、聞きたいことでもあったのかもしれないが……結局、彼が薙刀を抱いて眠りにつくまで、その沈黙は守られた。
妖怪の出現を警戒していたが、運良く絡まれることなく朝を迎えた。
馬は適当な草をもさもさと食い、疲れも飛んだのか元気が良い。この調子なら、今日もまずまずの距離を走ってくれるだろう。
「今日は巨大な湖に沿って走るつもりだ」
「巨大な湖……」
「とてつもなく巨大な海だが、塩気は無いらしい。地中海かもしれん。私も直接確認したことはないがね」
ああ、琵琶湖かな?
まぁ確かにこの時代だとまだ測量なんてできないし、衛星写真もない。どんな形をしているかなんて、わからんわな。
「まあ、水場に沿って移動した方が楽かもしれないしね」
「そういうことだ。馬の調子にもよるだろうが、人も多い地域故、道もある。そこでいくらか距離を稼げるだろう」
水辺は文明に欠かせないものだしね。河勝の言う通り、移動のしやすさは期待できそうだ。
少なくとも山や森を気にして走るよりは、精神的にもずっと健全である。
「とはいえ、それを過ぎれば後は山道も多くなるだろうがな……平地は水沿いまでを覚悟しておいてくれ。以降は悪路だと思っておいた方が良い」
「おお、了解了解。まぁ、好きに進んでおくれよ。ただし、馬の体調が崩れない程度にね」
「……私はお前の心配もしているのだが……まぁ、そこまで自信があるならば良いだろう。出立するぞ」
「うむうむ。そうしよう」
琵琶湖を眺めながら乗馬かー。
なかなか風流というか、本当に今しかできない旅行プランって感じがするな。
その後は山々を眺めながら、日本海を目指して試行錯誤。よしよし、なかなかこの旅も楽しくなってきたぞ。
日本海沿岸には冷気を扱う妖怪がいるという話だが、この旅もこの旅で、既に結構面白いな。
売れない魔道具を並べてじっと店番したり、仮面の彫刻をし続けているよりはずっと新鮮だ。
たまには魔道具商人をやめてツアーを楽しむのも悪くはないかもしれんね。
旅は河勝の勘定で、あと九日だ。
それまではのんびりと、花子との友情を育むとしようじゃないか。
……なんて、私はちょっと気長に構えていたのだが。
「……おい、静木」
「……なんだい、河勝」
「あの……あれは、なんだと思う」
「あれか……あれは、そうだな……」
馬を降りた私は、遠方の琵琶湖の端に見える小山のようなそれを眺めて、言った。
「多分……巨大な氷、なんじゃないだろうか」
「……そうだな。私にも、そう見える」
旅立って二日目の昼。
私と河勝がたどり着いたのは、日本海……ではなく、琵琶湖。
そして、その沿岸部に降り積もる、季節外れの雪であった。
……おい、日本海じゃないじゃないか。
琵琶湖じゃんこれ。
誰だ、海とか適当抜かした奴は。
私の旅行プランを返せ。