東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 琵琶湖の一部分が凍りつき、夏が冷え込むという大異変。

 だがそれも河勝が主要な妖怪の多くを討伐したことによって、ひとまずの解決を迎えた。

 そこにはチルノという、異様に強い氷妖精も出没していたのだが、そちらの方は特に害があるわけでもないようなので、手出しはしていない。

 別れ際、チルノは河勝に“また遊ぼうねー”みたいな事を言ってたような気もするが、おそらく河勝は当分の間、琵琶湖に近付くことはないだろう。

 

「……静木よ。冷気でも熱気でも矢弾でも、軽く跳ね除けるような扇などはないものだろうか」

 

 帰りの道中、彼は随分と疲れた様子でそんなことを呟いていた。

 空を飛ぶチルノを相手に防戦一方だったのが、相当に悔しかったようだ。

 

 まぁ、何事もなく終わって何よりである。

 私としても珍しいものが見れたので、なかなか有意義な散歩であった。

 

 今度琵琶湖に行くときは、丸木舟にでも乗ってのんびりと釣りでも楽しもうかなと思う。

 

 

 

 時に河勝の仕事を見守り、時に細々とした魔道具を売り、私の大和での活動は非常に順調であった。

 何の障害もない。あるとすれば人々の無関心さだけだろう。

 それも時を経れば、いずれ解決することである。

 

 私の存在が大和に溶け込み、魔道具への忌避感が薄れた時こそ、魔法という学問が世に広まる好機なのである。

 魔法使いは機を見逃さない。

 今はまだその時ではないというだけのこと。

 つまり何ら焦る必要など無いのだ。

 

 私が自分自身に言い聞かせる、そんな最中の事であった。

 

 

 

「おい、ライオネルよ」

「うん?」

 

 私が開く店のすぐ傍で、どこか聞き覚えのある声が聞こえた。

 そして、私をライオネルと呼ぶ人間は、この地球上ではほとんど居ない。

 

「おお、これは。珍しいお客さんだな」

 

 声のした方へとシーラカンス仮面の顔を向けると、そこには予想していた通り、彫りの深い顔立ちの男がいた。

 金と銀に彩られた華美な装束。

 右手には、魔法的に鋭いであろう、立派な()

 左手には、魔力を収束させる作用があるらしい神の宝塔(カンテラ)

 彼が表通りを歩けば、誰もが立ち止まってその威容に竦み上がるに違いない。

 

「おう、ライオネル。随分とこの島が気に入ったらしいな」

 

 気づけばそこに、毘沙門天(クベーラ)が現れていた。

 

「まぁ、それなりに愛着はある方だね。ここの風土は私に合っている」

「ほお……意外だな。俺はてっきり、ライオネルは魔界からほとんど一歩も出んものだと思っていたのだが」

「ははは、まさか。私はよくこうして地球にいるよ」

 

 もっとも、最近はそう長く地球上に留まっていなかったのだが。

 

「で、クベーラ。こうして人の生活圏に出張ってまで私に会いに来たのは、一体どんな風の吹き回しだい。魔界での取引なら、既に私の手を離れているはずだが……」

「うむ。まぁ、俺もわざわざ自らの神性を脅かしてまで人の社会に現れたくはないのだが……少し、お前の耳に入れねばならぬ案件が浮上してな」

 

 クベーラは声量を抑え、険しい顔でそう言った。

 

「どうも穏やかな話ではないらしいな」

「ああ。……まずは、これを見てもらいたい」

 

 そう言ってクベーラは、懐から一枚の羊皮紙らしきものを取り出した。

 羊皮紙にはこげ茶色の、実際に焦げ付いた細かなドットによって、非常に精密で写実的な白黒絵が描かれている。

 

「これは……?」

 

 鏡、だろうか。

 白黒のために全体像がどのような物質であるのかはわからないが、そこには一枚の大きな丸い鏡のようなものと、それに映った女性……らしきものが描かれていた。

 いや、それは正確な表現ではないだろう。この穏やかに目を閉じた女性は鏡に映っているのではなく、鏡の中に“入っている”のだ。

 

「これはつい最近、地底の地獄に出現した正体不明の神族……らしきものの写真だ」

「ほう」

 

 羊皮紙を焦げ付かせて現像する写真とは、そんなものがあったのか。

 いや、今はそんなものへの興味はどうでもいい。

 

「正体不明の神族らしきもの、か」

「ああ。これの材質は銅。つまりは銅鏡なのだが……鏡として何かを写すことはなく、こいつの中には常にこの女が居座っている。意思疎通はできない上に、不定期的に異界移動を発動させる厄介な代物でな。しかし、かといって魔族というわけでもない故、地獄では扱いに困っている奴なのだ」

 

 ……ああ、これを見て思い出したぞ。

 

「私、こいつを知っているな」

「なんと! おお、駄目で元々、お前に聞いて正解だった!」

 

 そう、私はこの鏡の女に見覚えがある。

 出会ったのは一瞬。それも、すぐに処理してしまったために強く印象に残っているわけでもない相手だったが……私の枯れない記憶力は、どうにかこの女を思い出してくれた。

 

「これは、おそらく月の都の神族……その力の破片だろうな」

「なに……月の都?」

「うむ。私が月に乗り込んだ際、私の魔法によって無力化した者の一人だ。名前は聞きそびれたが、転移系の力を持つ神族だったと思う。その能力が独り歩きしているのだろう」

「おお、なんと……」

 

 クベーラは険しい顔のまま、曖昧に唸った。

 

「ふむ、私が撒いたような種だ。もしそれの処理に困っているようであれば、私が請け負うが……?」

「いや、それについては解決したのだ。どうにか地獄から出られぬよう封じ込めた故な。だがしかし、なるほどな、月の都か。ハッハッハ、それではいくら探ろうとも、情報が入って来んわけだ!」

 

 なるほど、正体不明の謎生命に遭遇して、少し不安だったのだろう。

 その気持は私にもよくわかる。たまに突然変異の不思議生命体に遭遇すると“えっ、お前誰?”みたいな感じになるようなものだな。

 まぁ、地獄の神族達がスッキリできたようなら何よりだ。

 

「……しかし、もしかしたらこの鏡、知らぬ間に異界と現世を往復して悪さをしているかもしれんな」

「うん?」

 

 クベーラは難しいものを考えるように、怖い顔で腕を組む。

 

「いや、地獄には質の悪い怨霊が彷徨っている事があるからな。そいつらを巻き込み、現世に放逐していたとしたら……この地上にまた再び、穢れを多分に含んだ強力な魔族が現れないとも限らんだろう」

「ああ、そういうことか……」

「こちらとしても、迅速に鏡を拘束したつもりではあるのだがな」

 

 本来、穢れた魂を焼却するための施設である地獄。

 だがもし、そこに集まった穢れをこの鏡が持ち出し、地上に流していたのだとしたら……。

 それは少々、厄介な事になるかもしれないな。

 まぁ、穢れ単体であればすぐに拡散するのだろうが……。

 

「うむ。もしも私がそれらしい……怨霊か。そいつを見つけた場合には、速やかに処理しておくよ」

「おお、そうか。それは助かるぞ、うむ」

 

 私はクベーラとそんな約束を取り交わし、お互いに頷いた。

 彼は元々それが目的だったのかもしれない。私の意志を確認すると、宝塔の光と共にさっさとどこかへ帰ってしまった。

 

 ……ふむ。異界を無作為に移動する銅鏡、か。

 地獄から変なものがやって来ていなければ良いのだが。

 

 


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