東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「私が太子様を殺したと。やはり貴方はそう仰るのですね」

「……」

「邪仙ならば殺すに違いない。貴方はそう決めてかかっているのですから、貴方自身が納得される理由はそれでよろしいのでは?」

 

 人を食ったような笑みで、邪仙は嘲笑う。

 そこに刃を突きつけられた恐怖はなく、ただ私を小馬鹿にする愉悦の色が浮かぶのみ。

 

 ……いや。

 事実、彼女は私を嘲笑っているのだろう。

 太子様を殺したのは、彼女であると。そう結論付けた、私のことを……。

 

「ォオオッ! こっちだ! こっちにイル!」

 

 私はこれまで考え続けてきたことを彼女に伝えようとしたが、状況はそれを許さないようだ。

 薄い木壁の向こうからは、早くも亡者たちのうめき声が聞こえてきた。

 

「……さて、大和最強の兵士さん? ここから、どうされるおつもりですか? 私をお斬りになります?」

「まさか。……青娥よ。お前もまた、この常世神の騒動を疎む者なのだろう」

「さて」

「でなければ、連中に追い回されるわけもないだろうよ。……ひとまず、この場においては協力を頼みたいのだ」

 

 私は薙刀を下げ、襤褸屋の中を見回した。

 出口は一つ。もうじきあそこから、大勢の亡者が押し寄せてくるだろう。

 その前にどうにか脱出し、態勢を立て直さなくてはなるまい。

 

「……良いでしょう。ひとまずのところは、河勝さん。貴方と共に動いてあげますわ。羽衣が破れたせいで、私も本調子ではありませんしね」

 

 邪仙の青娥は少々不服そうではあったが、協力してくれるらしい。

 良かった。ここで足並みを揃えられたのは幸運と呼ぶ他ないだろう。

 仙人の扱う術はどれも妖しいが、味方に回るならばこれほど心強いものもない。

 

「さて。まずはここから脱出し……亡者の群れを撒くことにしましょうか?」

 

 青娥はゆったりとした動きで、簪を壁に突き立てる。

 すると木壁に丸い大きな穴が広がり、瞬く間に向こう側への入り口を形成した。

 

「……便利なものだな」

「うふふ」

 

 壁に穴を開け、自由自在に行き来する能力。

 ……敵に回ったときの事を考えると厄介極まりないが、廃屋が立ち並ぶこの町を動くには、これほど良い力もないだろう。

 

 

 

 青娥の簪によって、私たちは無事に亡者の集団から逃げることができた。

 逃げるとはいえ、駿河を脱したわけではない。回り込むような動きではあるが、しっかりと大櫓に近づいている。

 時間はかかるが、家屋を自在に移動できる青蛾がいれば確実だ。私は亡者の気配を探ったり、偶然遭遇した奴を瞬時に切り捨てる役目を担っている。

 ……青娥は隠密に動く事を得意とし、私は押し通る事を得意としている。二人が合わさると相性が良いというのが、なんとも嫌なものだ。

 

「河勝さん」

「ああ……そこにするか」

「堅そうな、良い壁だわ」

 

 しばらくは家伝いに動き続けていたが、それも途中で止まる。

 身動きが封じられたわけではない。それまで常に活動していたので、休憩を挟むことにしたのである。

 

 私も青娥も人ならざる力を持ってはいるが、それでも無休で活動できるわけではない。

 特に今日は戦闘も多く、多量の力を浪費している。それは青娥も同じであるらしく、落ち着ける場所があるならばしばらくは備えておきたいのとのことだった。

 

 敵の本拠地は目と鼻の先だが、焦って仕損じては元も子もない。

 私と青娥は、作りの良い無人家屋を見つけると、しばらくそこで休むことにした。

 

 

 

 狭い部屋に藁を敷き、私と青蛾が向き合っている。

 青娥は力を貯めるために特殊な呼吸を必要とするようで、ここ数分の間は眠るように静かに瞑目し続けているようだ。

 私はといえば、仙人のような変わった力を操れるわけではない。なので、持ち歩いていた軽食と水を補給している。

 おそらくこれが大宇部多を討つ前の、最後の食事になるだろう。よく噛み締めながら、しっかりと胃の中に流し込んでゆく。

 

「……河勝さんは、この宗教。……常世神について、どこまでご存知ですか?」

 

 私が仮面の下で携帯食料を噛んでいると、いつの間にか瞑想を終えていたらしい青娥が小首をかしげて訊ねてきた。

 

「常世の神。……民を騙す、悪しき宗教だろう」

「ええ、その通り……ですが、それだけだと?」

「……それだけだとは、最初のうちは思っていたがな。妖しい術を用いて財を巻き上げる凶悪な宗教だと。だが、調べ、真相に近づくにつれ……もっときな臭いものが見えてきた。具体的なものはわからないが……これには、想像以上の悪意が関わっているものと見える」

 

 さすがにこの期に及んでも尚、この宗教を“人騙しの新興宗教”とは思っていない。

 実際に不死身に近い人間の化け物が生まれ、こうして亡者の町が出来上がっているのだ。多の目的は、金集めだけに留めるものではないだろう。

 

「そういう青娥よ。お前は、この大異変を何だと考えているのだ?」

「ふふ。私が言って、貴方は信じてくださるでしょうか?」

「……そう言うなよ」

 

 青娥は意地の悪そうにくすくす笑うと……すぐにその笑みを潜め、ひどく真面目な顔で、ため息を吐いた。

 

「……常世の神。それは……まさに、地獄の権化なのでしょう」

「地獄……なに?」

「地獄の使者。あるいは、地獄そのものか……常世の神が行おうとしていることの一端は、この町でも見えるでしょう。死を忘れた亡者が蠢き、死の象徴である蝶が怨霊を纏って空を舞う……。穢れと怨霊が渦巻く、忌むべき地獄。きっと首謀者は、この世界に地獄を生み出そうとしているのでしょう」

「なんだって……」

 

 地獄をここに?

 馬鹿な。地獄……地獄とは、もちろん私も仏教を推し進めた者の一人。知ってはいるが……。

 

「河勝さんは気付かれていますか? ここに飛び交う蝶はどれも怨霊の念を纏い、縄張りを作っていることを。それによって生み出される怨霊と穢れの障壁が、様々な神や妖怪からこの町を守っていることを……」

「……神や妖怪すら? 馬鹿な」

「信じられませんか? ですが事実ですよ? 現にこの町には、夜になっても妖怪が現れることも、祈っても神が応えることもありませんからね」

 

 “ああ、常世の神は別かもしれませんが”。そんな笑えない冗談を付け加えて、青娥は笑った。

 ……全く、本当に全く笑えんことだ。

 

「なんだ。それはつまり……大宇部多は、この大和に地獄を作ろうとでもいうのか?」

「具体的な形は不明ですが、それに近しいことを目論んでいることは間違いないでしょうね」

「……そして青娥は、それを好ましく思っていないということか?」

「詳しくはご想像にお任せしますが、そうですね。何かあってからでは困りますので、こうして対処に当たっています。あるいはここで徳を積めば、いざという時の役に立つかもしれませんねえ?」

 

 溢れる亡者。穢れを纏う蝶の群れ。

 そこには神も仏も、妖怪さえも近づけぬ、と……。

 

 ……どうやら現状は、私が思っていた以上にまずいらしい。

 

 


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