してやられた。
そう思った時には、何もかもが手遅れだった。
私は皇紫の“風”から力を注ぎ込まれ、あるいはそうなるべく先導され、神となってしまった。
肉体はある。だが、もはや私の内に潜む魂は、その神々しさを隠すことはできないだろう。
「まさか……皇紫にこのような力があっただなんて……でも何故最後に、このような真似を……? いえ、しかし考えたところで……」
……事実、私の全身は超常の、淡い輝きを纏っている。
そして人の域を外れてしまったとしか思えないような……不気味な力に満ちている。
「ありがとうございます、ありがとうございます……」
「我々を苦しめ続けた常世神を、かわりに討ってくだすった。ありがてえ……」
力の源泉は私自身でもあるが、同時に周囲にいる人々からも僅かずつではあるが、やってきているらしい。
人から敬われる度に、崇められる度に……その想いと信仰が、私の力となり、糧となる。
……なるほどな。これが、神というわけか。
……はは。なんということだ。
私は、大和の神に。さしずめ、守り神になってしまったということか。
「……その、溢れるような、周囲を刺すような力。紛うことなき、神ですね。河勝さん、おめでとうございます」
何がめでたいものか。
私は青娥にそう言いかけたのだが、真っ向から毒を吐くには周囲に人が多すぎた。
「まあ、冗談はさておき。……真面目な話。これから、どうされるのですか?」
河勝。秦河勝。
私を讃える民の声が、荒れ地から荒れ地へと波及し、広がってゆく。
……人から人へ。大事件の報せは馬よりも速やかに、隣の村へ、隣の町へと飛んでゆくことだろう。
これから私は、どうするのか。
……神になる?
大和を蝕んでいた悪神を討った神として、人に崇められ、守り神となるか?
それともこの神の力を用いて、おそらくは更に色濃く不老になったであろう我が身を使い、更にこの国を導いてゆくか……?
「……ふっ」
そんな他愛のないことを考えて、笑いがこみ上げてきた。
神になって崇められる? 指導者になる?
……馬鹿馬鹿しいことだ。
「青娥よ。私のすべきことなど、決まっているさ」
神。もはや化物すら逸脱し、神となった。
元より人の枠組みから外れかけていた私が、こうしてはっきりとその一歩を踏み外したのだ。
なに、常々考えていたことではないか。
今更に何を慌てる必要があるのだろう。
「私は……大和を出るよ。……可能な限り、目立たぬようにな」
「! あら、それはどうして……」
「決まっているさ。……知っているだろう? 霍青娥。太子様は……豊聡耳様は、仏教の世を望んでおられるのだ」
私がそう告げると、青娥は顔色を僅かに緊張させた。
「仏教の世に、神は要らぬ。無駄な信仰を集める神は不要だろう? 土着の信仰全てを消されるとは思っていないがね。しかし、世論を動かしうる力を持った神の出現だけは……何があっても、絶対に防がねばならぬのだ。……私自身がそう望めば、少なくともこれからの……私を取り巻く無意味な宗教だけは、回避できる」
「それは。河勝さん。今の貴方は神です。それがどういう意味を持っているのか、おわかりですか?」
「当然だとも」
大和は既に、物部と蘇我の戦いによって国教が定まっている。
仏教だ。清貧な心構えを奨励するこの教えにより、人々をより良く統治できるのだと太子様は仰っていた。
ならば、私はそれに従うまで。
常世神は消え去った。
ならば次は、秦河勝という神が消える番であろう。
私が、大和の宗教を乱すわけにはいかない。
私が神であるならば……次は、それを排するまでのこと。
「……本当に、河勝さん。貴方は、愚かですね」
「好きに言え」
「ええ。愚かです。とても……強く、そして同じくらい愚かな人でした」
人が集い、賑わいは更に増してゆく。
青娥は私に対してどこか無感情な目を向けると、さすがにもう居たたまれなくなったのか、ついに外側への一歩を踏み出した。
「……次にお会いする、とのことでしたが」
「すまんな。無理やも知れぬ」
「でしょうね。貴方はきっと、それを望まないのでしょう」
彼女の微笑みに、私も苦笑を漏らした。
「神になど、なるつもりはないのでな」
そう、このまま神を生んではならない。
生まれたとしても、その神を大和に広めてはならない。
……きっとこのままだと、私はこれから、神として崇められるだろう。
私はそれを、様々な工作でもって阻止し、人々の崇拝を挫かなければならない。
そうすれば、私への信仰は失われる。
同時に、神となった私の身に良からぬことが起こるだろうが……。
それはそれで、その時だ。
「……さようなら。河勝さん」
「ああ、さらばだ。青娥」
「……あ、最後に一つ。河勝さん」
「ん?」
青娥は、私達を囲む人だかりの壁を前に立ち止まり、再びこちらに笑みを向けた。
「太子様……豊聡耳様は、あらゆる物事を予知し予測できる方ですが……一つだけ、本当に先が読めない人がいたそうで。それが豊聡耳様にとって、悩みの種だったそうですよ」
「……それは」
「結果を狂わせ得るものは、計算から外すべきである。……さすがは豊聡耳様ですねぇ。まさに言葉通り、ここで番狂わせが起きてしまったというべきなのでしょう」
私の方を見つめながら、邪仙がくつくつと笑う。
そして彼女の右手にはいつの間にか火球が握られ、細い指の中で煌々と輝いていた。
「おい、青娥、何ッ――」
「皆さん、道を開けていただけますか?」
青娥が突然、火球を放った。
――彼女の前に立つ、人だかりに向けて。
「きゃああああ!?」
「うわぁ!? 鬼火か!? 逃げろ!?」
「妖怪がいたのか!? ひいっ……!」
火球が人ごみに衝突し、爆ぜる。赤い輝きが辺りへと、一気に広がった。
炎は肌や服に付着し、逃げ惑う人々は火だるまになり、恐慌状態に陥っている。
……だが、それだけだ。
人々は逃げ惑っているが、死傷者も負傷者も出ていない。
そう。彼女が人に向けて放った火球は、見てくれだけの幻だったのである。
「……ですが。豊聡耳様はその人を悩みの種と思うと同時に、信頼してもいたようです。最後にお会いしたときも、そう仰っていましたから」
哀れなほど必死に逃げ回る人の姿を眺めながら、青娥は淡々と歩き去ってゆく。
「……“河勝は、何を仕出かしてくれるかわからないが”」
その華奢な後ろ姿は、どこか。
「“彼の行いはいつだって、貴いものだと信じているわ”」
遠い昔、まだまだ幼き頃の、太子様のようであった。