私はアリス・マーガトロイド。
生まれはブラショブ、育ちはブクレシュティ。けれど一番長くいたのは、魔界都市クステイア。
知る人ぞ知る都会派ゴーレム使い……だったけれど、最近大きな黒星をつけられたおかげで、軽く傷心中……。
いえ、でも決してめげないわ。
私は立派な魔法使いになるのだから。一度負けた程度で、挫けてたまるものですか。
「アリス? どうしたの、拳握っちゃって」
「これは……決意表明です」
「そう? よくわからないけれど、頑張ってね?」
私はルイズさんとライオネルさんと共に、再びブリテンへと向かっていた。
ブリテン。未来のイギリスだ。ロンドンがあるという、あの国である。
……とはいえ、私達の目的地はずっと奥。今はまだ誰も名前をつけていないような、田舎の中の田舎が終点だ。
旅はローマから始まり、今朝ようやくブリテンに入ったところ。
とはいえ、正しい地名は定かでない。昨今、この辺りは様々な人種や宗教が入り乱れており、移り変わりが非常に激しいのだ。
今はキリスト教の布教が盛んに行われているけれど、ちょっと前は廃れかけていた。今の状態も、十年後にはどうなっているかわからない。
住んでいる人だって、大きく変わってしまうかもしれない。
……いつの時代も、人は戦争を繰り返すもの。
わかってはいたけれど、こうして人の歴史を最初の方から眺めていると……とても虚しい気持ちになってしまうわね。
国。歴史。戦争。平和。
そんな単語を連想していくと、頭に浮かんだのはある夜に聞かされた、ライオネルさんのお話だ。
彼が語ったのは、遠い遠い、はるか昔の物語。この世界がまだひとつの陸地だった頃の時代の物語なのだという。
……真偽は、まあ、物語だから本気にはしていない。
ただ、彼の語ってみせた竜の世界は、私にとって美しい……かけがえのないものに思えてしまったのだ。
家程の大きさはあるという、巨大なトカゲたちの群れ。
仲間の骨を咥えて歩く、厳粛な弔いの旅。
高空を飛び回る、元々は世界の守護者であったらしいドラゴンたち。
そして世界の中心で天高く聳え立つ、竜骨でできた塔の神様“アマノ”。
その世界は不動の唯一神によって見守られ、祝福されていたらしい。
全ての生き物は飢えること無く命を巡らせ、美しい一つの輪として循環し続けていたのだと。
全生命は偉大な塔を讃え、竜骨を捧げ、アマノは時を経る毎に天高く伸びていった……。
けど、完成された竜達の世界は、ある日、宇宙の果てからやってきた大きな隕石によって終わりを告げる。
塔だったアマノはその巨体を地から引き抜き、自身を白骨の巨龍へと変え、黄金の目と白銀の目を凶星に向け……そして、アマノはその生命を引き換えに、隕石と相打ちし、地球を護ったのだ。
隕石の破片は地球に降り注ぎ、地上を幾つもの大陸に砕くほどであったけれど……それでも、竜の時代の終焉と引き換えに、アマノは地球を救ってみせた……そんな、荒唐無稽な物語である。
……でも、美しい物語だと思った。
人間は出てこないし、陸地が一つだったというのも信じられないし、そもそも地球が酷いことになったのに、どうしてそんな物語を語り継ぐ人がいるのっていう素朴な疑問は、当然ある。
けれど、もしもそんな世界が続いていれば……とも思ってしまうのだ。
今のこの地球はどうだろう?
ブリテンを、ローマで過ごす人々の姿を見ていると、私は悲しい気持ちになってくる。
人は恐竜たちのように優しくない。
表向きに神に祈りはしても、人は自分と少し違う相手を見ると、肉食獣のように食らいつく。肉食と草食が仲良く一つの目的の為に動くことなど有り得ない世の中だ。
弱い人間はいつだって侘しい思いをする。
時には些細な理由で殺され、奴隷にされ、犯されてしまう。
今の時代では特に顕著だと思う。
そして私は……そんな理不尽な世界が、これから千年先でさえも続いてゆくことを知っている。
……魔法使いは長生きだ。
きっと私は、大きな不幸さえなければ西暦1900年を越えるだろうし、2000年以降も生き続けるだろう。
それでも人の世界が変わるとは、どうしてか思えなかった。
物語の世界とは違う……なんて言ってしまえばそれまでだけれど。
でも、地球ももっと、平和であればいいのにと……願わずには、いられないのよね。
地球を救ってくれたらしいアマノさん。
そんな素敵な世界が、いつか地上にやって来ないものかしら。
――あら。貴女は、この世界が嫌いなのかしら?
「――ッ!」
「ん? アリス、どうしたの?」
「今っ! 声……女の人の声が! あっちから!」
「あっち?」
確かに聞こえた! 間違いない、頭の中に響くような声が確かに、向こうのっ……!
「うん? 私?」
「……」
私が指差した先には、木箱を背負ったウツボ顔の変質者がいるだけだった。
「アリスよ。その表情からして今、私を見て結構失礼なことを考えなかった?」
「……なんでもないわ」
「そうか……」
“まだ嫌われてるのかなぁ”なんてぼやきながら、ライオネルさんが再び先を歩き始めた。
その後を、どこか私を心配するようにしつつも、ルイズさんがついていく。
私は辺りを見回してみるけれど、近くには女の人どころか、誰かがいそうな気配はなかった。
人らしい痕跡は、ずっと後ろに離れた先にある、丘の上の教会だけ。
「……長旅で、疲れたのかしらね」
私は遠い屋根に掲げられたケルト十字を眺めながら、そっと溜息をつくのだった。