荒涼とした大地を歩き続けた。
ローマから出発し、ちょっとした海を越えたり戦地を跨いだりと様々な事があったが、どうやら旅はもうすぐ終わりのようである。
私達が現在歩いているのは、イギリスのウェールズ南部であろうか。
湿地、草原、荒野、山地、様々な地形が点在しているが、概ね人や動物の生存に適しているとは言い難いだろう。
それでも野生の羊や小型の馬がいる辺りは、人が居ない故の恵みであると言えるのかもしれないが。
「人は居ないが、砦は多いようだね」
「ええ。昔ローマ人が遠征してきた際に立てたものの名残らしいわよ。一定間隔であるから、結構目立つわね」
見回せば、侘しい大地の上には点々と石造の砦が見て取れる。
見るからに魔法的なものではない、原始的な人間らしい砦であった。
あれらは全て、かつてこの地を侵攻していたローマ人の築いたものであるらしい。
だが、こうして砦だけが置き去りにされて遺っているところを見るに、どうやら征服活動は上手くいかなかったようである。
どのような相手を攻め立てに来たのかは謎であるが、まぁ周囲を見回しても食料らしいものはほぼ無いので、そういうことなのだろう。
天候もさほど安定しているとは言えない場所なので、ローマ人にとっては旨味が少なかったのかもしれぬ。
「最初に私とルイズさんが来た時は、あまりの魔力の少なさに引き返そうかと何度も話し合ったのよ。わかるでしょう? ライオネルさん」
「あー、まあ確かに」
天体の魔力は通常通り変わることがないので然程問題にもならないのだが、土地としての魔力で見れば確かに、貧相だと言えなくもない。
この平原……いや、荒野はほとんど樹木の姿もなく、山も低ければ水もぱっとしない。
感じ取れる属性魔力はほとんどが土属性だし、錆びついた利用し難い金、幽かな霧状の水、それにちょっと風が混ざる程度か。
……だが、地中から漏出するものの中からは微かに火の魔力も感じ取れる。
火属性は非常に貴重かつ重要だ。地下に堆積した自然燃料から燃素が溢れているのだとすれば、それは見逃すべきではないだろう。
アリスにはその点にも着目して欲しいものだが、……顔を見るに、あまり考慮している様子では無さそうだ。
「遠くに見える白っぽい山の麓が目的地よ、ライオネル。……多分、色々見えているとは思うけれど」
「ああ……」
気づいてもらいたい事は多かったが、どうやら終点のようである。残念だ。
既に目視できるということなので、私はウツボ仮面の中に“望遠”を作り、じっと山の付近を覗き見ることにした。
「ふむ」
そこに広がる光景は、密集した石の砦。
いや。人が築いた砦を何者かがそこへ集めた、砦の墓場と言うべきだろうか。
まるでビル群のように密集した砦が、利便性皆無の沼地に無数に生えている。
それらはほとんどが直立しておらず、土の上に乱雑に突き刺されただけであるためか、尽くが斜めに生えているような形であった。
喩えるならば、ピサの斜塔の墓場。
……うむ。あまり良い喩えではなかったかもしれない。
「気をつけて、ライオネル。あの砦の向こう……湖の中心で、ドラゴンが待ち構えているから」
傍にいるルイズが、いつになく真剣な口調で私に注意を促した。
それなりに楽しかった旅路も終わり、どうやら本格的に仕事が始まるようである。
下はいくらか荒野らしい様相を呈してはいるが、沼地も多い。
そのため私達三人は各々が“浮遊”などの飛行魔法を使い、現地へと移動した。
周囲の魔力が少ないためにアリスは不服そうではあったが、服や靴が泥だらけになるよりはマシなのだろう。ドラゴンへ迫る前でも、誰も文句を言うことはない。
「ふむ」
そして、ついに私たちは湖の前に到着した。
青く澄みきった、広大な山裾の湖。
貧相な周囲の荒野と較べて、豊富な魔力に満ち溢れた、異様な自然湖。
湖の中央では、半分水没した石造砦が物憂げに傾げており。
二人が危惧する赤きドラゴンは、その頂点に悠然と留まっていたのだった。
「……」
体高五メートルはあろう、現代において存在するはずもない巨躯。
自然に色づくことのない真っ赤な、そして刺々しい鱗。
そして魔力によって操舵される一対の翼。
地上に遺ることを決めたドラゴンのうちの一体は、確かにそこで佇んでいる。
「……やっぱり、まだここにいるのね」
ルイズがいつになく平坦な声で、小さく呟いた。
アリスの言葉はなかったが、額に垂れた汗と唾を飲む音が、おそらくはルイズ以上の緊張を物語っている。
「ああ、前回もここに居たんだ」
「ちょっと、ライオネル……! それ以上出過ぎるのは……!」
「やめてよ! 止まって!」
「おっと」
二人から言われては仕方がない。私はそれ以上踏み越えることなく、その場に立ち止まる。
するとドラゴンが、広げていた翼膜を静かに、ゆっくりと縮めるのが見えた。
……あのまま前に踏み出し続けていれば、ドラゴンからの歓迎があったのかもしれぬ。
「やめて。本当にやめて。変なことはしないで。……お願い」
「ライオネル、私からもお願いするわ。アリスを危険に巻き込まないで」
うん、わかった。わかったから私のことを爆弾を見るような目で見ないでほしい。
悪かったよ。うむ。もう少し落ち着いた感じで対処しますので、うむ。だからもう少し安心してはいただけないものだろうか。
ドラゴンはヤバい。それは魔界人にとっての共通認識であるらしく、ルイズとアリスにとっては、今回の一件でその認識がより一層強化された形であるとのこと。
それ故に、私たちは更に十歩ほど湖から距離を取った上で、作戦会議を行っていた。
「見ての通り、魔力源である湖をドラゴンが占有しているの。周りに沈んだり、放り棄てられている砦も、全てはあのドラゴンの仕業よ。習性なのか気に障ったのかは知らないけれど……ローマ人が撤退するのも無理はない光景ね」
石造りの砦は、そこそこ古めのものであるらしい。数百年……ものによっては、五百年以上前のものもあるだろう。
それらが全てこの湖周辺で座礁しているかのように倒れている。壮観と言えばそれまでだが、ここを拠点としたい、あるいは征服したい人間にとっては悪夢のような景色であろう。
砦を構築する度に積み木遊びに運び去られたのでは堪ったもんじゃない。
「……ルイズさんの見立てでは、湖の魔力は潤沢みたい。けど、今はあんな風になってるから……魔界の門として使うかどうかは、ライオネルさんの判断に任せるわよ。もちろん、使うならドラゴンをどうにかしなきゃいけないけどね」
「まあ、そうだろうね」
ドラゴンは私がかけた“不蝕”による不死を体得している。
そのため、生命の維持には魔力が必要だ。しかし逆を言えば魔力だけで済むので、他の水や食料は必要ないとも言える。荒野の中にポツンと浮かぶこの魔法的オアシスは、ドラゴンにとって過ごしやすい場所だったのかもわからん。
そして火属性の魔力だ。もしもこれが石炭、あるいは火山的な資源による触媒から漏出した魔力であるならば、ドラゴンが好む理由もよくわかる。
ドラゴンはとりわけ、火の魔力を好むのだ。
人間で喩えるならば、ここは駅近かつ目の前にコンビニと業務用スーパーがある優良立地と言えるだろう。
「……ライオネル、どうする?」
ルイズは探るような薄目で、私を見た。
このまま、ドラゴンをどうするのか。その答えを聞きたいのだろう。
「立ち退いてもらうとも」
それに対し、私は特に迷うこと無く返した。
当然である。魔力が豊富で人が居ない。これほど素晴らしい条件、ドラゴンにくれてやるにはあまりにも惜しい。
先客がいるからどうしたというのか。私は魔界と魔法を広めるためならこの程度の立ち退き交渉などいくらでもやってやるぞ。ふははは。
「ねえ、ライオネル……さん。それ、本気で言ってるんですか」
「もちろんだとも。なに、どうせ使うのは湖底に流れる濃密な魔力だからね。それを掠め取ったとして、ドラゴンがここに居残る程度の魔力くらいは残るだろうさ」
「いえ、そうではなくて……ああ、もう。ドラゴンと、戦うってことなのよ?」
「戦う? 立ち退き……ああ、戦うってことか。まあそうかもしれないが」
「わかってるのかしら……」
ドラゴンは、アマノが神格を獲得する以前から存在する生命だ。
現在生きているあらゆる神族、魔族よりも長命であり、それ故に幾つかの霊魂由来の術への非常に高い耐性を備え、霊魂に刻まれていない本能外の恐怖を呼び起こす力を持っている。
が、まぁそれはさほど私に関係ないことだ。特殊な魔法生命であろうと、口から色々な魔法ビームが出ようと、手の内は最初から私に筒抜けなのである。連中が暴れようともそれは大きな障害には成り得ない。
それよりむしろ、地上にいるドラゴンが私のことを完全に忘れ去っているという事実を攻撃によって突きつけてくることの方がダメージが大きいかもしれない。
仕方ないとは思うけども、やりきれないものがあるというかね、うむ……。
「まあ、とりあえず脅かしてみるから、二人は離れてて」
「……大丈夫なのね?」
「私とルイズさんに来ないようにしてよ?」
「大丈夫大丈夫、平気平気」
そんなこんなで、私はドラゴンを追っ払うことにしたのだった。