立派な魔法使いとは何か。
いや、そんな漠然としたこと聞かれても……と、私はそう思ってしまうのだが、世の中にはそうは考えない魔法使いもいるらしい。
なので、興味はなくとも真面目に考えてみることにする。
魔法使いはわかる。魔法を使う者のことであろう。
魔法を扱える者全般。それはちょっとした着火用の火しか起こせないものから、私程度の実力を持つ物に至るまで、全てが魔法使いであるといっても差し支えはあるまい。人間、神族、魔族、あるいは理解しているのであれば、突然変異した動植物だってこれに含めても良いだろう。
しかし、それではあまりにも範囲が広すぎる。
実際、“立派な魔法使いとはなんぞや”なんて疑問を投げかけてくる者が、“全ての魔法を使える者のうちの上位n%じゃないかな”などという答えを望んではいないだろう。
じゃあ立派とはなんぞや。
魔法を使えるだけではだめ。他に何が加われば“立派”になれるのか。
そんなもの、属する社会と自分の考え方、それによって影響を与えた結果に左右されるとしか言えないのだが、まぁそんなふわふわした回答が好きなひとも、やはりそう多くはないらしく。
私は私なりに、きっちりと腑に落ちる回答を示さなければならないのだった。
「私、一人立ちしたい。一人になっても大丈夫な、立派な魔法使いになりたいんです」
青い瞳に決意の篭った光を宿し、アリスはそう語ったのである。
「ライオネルさん。どうしたら、立派な魔法使いになれるんですか?」
で、その直後にそう聞かれたわけだ。
んで、私は彼女の疑問に、こう返したわけ。
「修練あるのみじゃないかな」
「そうじゃなくて!」
聞いときながら、そうじゃないのだそうだ。
だから、私はアリスに対して、彼女が納得するような“立派な魔法使い”を示さなければならないのだった。
……ほんのちょっとだけ、会社にいた頃の、クライアントに振り回される同僚たちの姿が思い浮かばれた。
どうやら、アリスはルイズと離れ、魔法使いとして独立したいのだそうだ。
きっと、というよりもほとんど、メルランとの会話が影響しているのだろう。
ルイズにべったりな姿を皮肉たっぷりに煽られて、しかしそれがある程度的を射ていたのか、思うところがあったのかもしれない。
静かに聞いていたルイズから落ち着くべきではないかと諭されかけたものの、アリスの意志はそこそこ固いようだった。
「私、今まで色々な人に助けられてばかりだから。ウントインゲさんにも、神綺様にも、ルイズさんにも………………それにライオネルさんにも」
よし、私を入れ忘れてないな。
汝を許そう。
「私、色々甘えているんです。確かに、二人から見たら全然未熟者かもしれないですけど……それ以上に、他の人がいるってことに、きっと甘えている」
「ふむ」
「優しくしてもらって、助けられて……それを受け入れて、麻痺してたのかもしれません」
ルイズはどこか複雑そうな表情を俯かせていた。
アリスの言葉を否定はしていない。彼女もまた思うところがあるのだろう。
旅好きのルイズ。そして未来からやってきたアリス。
二人の仲は悪くない。良好だと言って良い。師弟関係としても、魔法の修練はうまくいっている。
だが、足りないものがあった。それを今日、アリスは悟り、そして同じくルイズにも心当たりがあったのであろう。
「一人で、できるようになりたい。立派な魔法使いになりたい。……未熟者でも半端者でもない。子供でもない。……私はやっぱり、そうなりたいんです」
「立派な魔法使いねぇ」
そんなこんなで、“立派な魔法使い談義”は始まったのであった。
「うーむ。私の言う“立派な魔法使い”は、万人がそう思うようなものではないかもしれないよ?」
「それでも良いんです。……参考までに、聞かせてください」
……アリスはどうもこの“立派”とか“大人”というキーワードが敏感らしく、しつこくその定義を聞いてくる。
哲学だ。というより人によって答えは異なる。尺度は様々。定義づけられるものでもない。
だが、他人にどう見られるかが気になるお年頃なのだろう。ファッションでいえば具体的なトレンドを訊かれているようなものなのだ。そんな彼女に好きなものを着たら良いと返すのは、少々酷かもしれぬ。
ふむ。まあ、アリスも年齢の上では既に大人だ。
私の語る“魔法使い像”を鵜呑みにし、それだけに邁進するほど盲目的ではないだろう。
自分自身で魔法使いのスタイルを見つけていく方が面白いとは思うのだが、彼女が求めているのであれば、語ることも吝かではない。
「そうだな。私が考える立派な魔法使い……となると、やはり魔道を探求する者、ってことになるだろうね」
「魔道を探求……」
私の言葉にアリスはつばを飲み、ルイズは興味深そうに薄目を向けてきた。
「ライオネルさん。それは、魔法の研究をする人ってことですか?」
「いかにも。何故星々から魔力が降り注ぐのか。何故属性魔力は世界に満ちているのか。魔力とは。魂とは。神魔の固有能力との違いは。どこからどこまでが魂の死で、生なのか。我々にとって研究すべきテーマは多岐にわたり、それら全てに魔法の謎は隠されている」
魔法とは学問だ。実践すべきものであると同時に、机の上で解き明かすべきものでもある。
そして魔法は理論なくして存在できない。理論と象徴なき力だけの魔法は魔法ではない。
漠然と有され振るわれる力は能力でしかない。魔法は、その筋道から結果に至るまでが、術者の明瞭な意志によってコントロールされるべきものなのだ。
……少なくとも、私の美学においては、そうなのだ。
「他にない独自の魔法を開発し、自らの理論に基づいてまとめ上げる。そして、魔法使いがそれを認め……讃えるのだ。新たな世界を開いたのだと。あなたは魔法の新たな歴史を築いたのだと。……そう賞賛されることこそが、立派な魔法使いではないだろうか」
もちろん他にも色々とあるだろう。
人助けをするようなオーレウスのような魔法使いだって当然、立派な魔法使いだ。むしろ、人によってはそちらのほうがずっと賞賛されるべきものかもしれない。
天気を占うだけの原始的な魔法使いだって、立派な魔法使いの一人だ。この時代の農業従事者からは崇められるほどかもしれぬ。
だから、これはあくまで私の考え。
魔法の技術を研く者。それこそが私の思う、立派な魔法使いなのだ。
「……わかります。魔法を考える。誰も知らないようなものを……けど、メルランも言ってましたよね。貴方も言ったと思う。……ライオネルさんは、他の人が追いつけないほど、魔法を研究して、先んじてきたって」
「そうだね」
そう。だから私の思う立派な魔法使い像は、私の期待でもあるのだ。
私の他にも、誰かが“ここ”までこないものかという。
そのためならばある程度の知識を啓蒙しても構わないという、私の軽躁なる期待。
「……私は、貴方にすぐに追いつく自信がない」
「ふむ」
アリスがしょげてしまった。
いや、無理もないことなのかもしれない。
しかし……ここでやる気を損なわれるのは、ちょっとな。
魔法は楽しいのだ。面白いし、興味深い。
私を見て尻込みしては、その魅力を知ることなど……ううむ。
「……ねえ、ライオネル」
「うん?」
私が頭を悩ませていると、ルイズが遠慮がちに訊ねてきた。
「貴方には、魔法で不得意な分野とかないの? 研究の余地があるところとか。まだまだ未解明な部分とか……」
「むむむ」
「そんな部分がないと、アリスは研究分野には魅力を感じないと思うわよ。私だってやりたいとは思わないし……」
そ、そうかな……そういうものか。
だが、既知だからといって本質が損なわれるわけでは……いや、そういう問題ではないのか。
……魔法における未知の分野か。
魔力彗星? いやいや、まだまだ時間がかかる上に、あまり人にやらせたくはないな。
あとは何だろうか。異界……は、微妙だな。神族……うーん、いまいち関係ないだろうし……。
そもそも、魔のつくもので私の苦手なものなどこの世に存在するのだろうか?
私は偉大なる魔法使いだぞ。伊達で偉大を語っているわけじゃないのだ。
私にできないことなど……。
「あ、そういえば」
ひとつだけあったな。
できれば、恥ずかしいので思い出したくはないのだが。
「何?」
「……霊魂。霊魂の作成。既存の霊魂を用いず、魔力か……あるいは他のものだけを使い、新たなる命を創り出す。……その分野においては、私はさじを投げている」
「あら、そうなの?」
「うむ……」
色々と試したことはある。
人間。魚介類。ゴーレム。……だが全て駄目だった。私は生命を創ろうとしても、霊魂とは似て非なる、呪いで稼働するゴーレムのようなものしか作れないのだ。
魔界においても、原初の力で生み出すことはできないが……まぁこちらは別の理由だ。
とにかく、私は未だ、純然たる魔力を用いた生命創造には至っていない。
「意外……え、ライオネルさんって、アリとかも作れないんですか?」
「作れないよ。人間も動物も昆虫もね。操ることや改良することはできても、無から有の霊魂を生み出すことには成功していない」
「へー……」
アリス、なんだか嬉しそうだね。私の弱点を見つけた気にでもなったかい。
まぁ弱点といえば弱点だよ。実際のところ、お手上げなんだからね。
アリスはまだ読んではいないだろうし、彼女の持つ変色した本を開いても出てはこないだろうが、生命の書はそういった私の“生命創造”を目指した足掻きが刻まれている。
いずれ進化し到来するであろう未来の生物相をわざわざ創り出すことに、なんだかんだと途中から面倒くさくなって放り投げたといえなくもないのではあるが。
「だったら、私が……そうね。自分で生き物を作れたら、その分野では私の方がライオネルさんよりも上ってことですよね?」
「そうなるね」
「もしそれが一人でできたら、私は立派な魔法使いですか?」
「当然だとも」
私は力強く頷いた。
「それが実現できたとすれば、偉業だ。私だけではない。世界中のあらゆる者が、アリスの成し遂げたことを盛大に讃えるだろう」
「……!」
アリスは頬を紅潮させ、にんまりと微笑んだ。
「なら……なら! だったら! 私が最初に、その偉業を達成してみせます!」
「ほほう……茨の道だよ。私がペンを投げるくらいには、遠く険しい道のりかもしれない」
「良いじゃないですか。そのくらいの方が、良いんです」
「アリス……?」
アリスは可愛らしい人形を胸に抱き、しかしどこか迫力のある生き生きとした目で、焚き火を見据えていた。
「半端だって、未熟だって思われるのは嫌ですから。だから私は、誰もが認める、誰にでも認められるようなことを、成し遂げてみたいんです」
「……ハハハ、言ったね? アリス。私は記憶力が良いからね。今言ったこと、私はずっと覚えているよ?」
「覚えていてくれるなら、むしろ嬉しいです」
アリスは私とルイズを見て、微笑んだ。
「うん……良いわ。誰も見つけたことのない魔法。生命の創造……うん、良い目標ができたわ」
「……アリス。本当にそんな凄いことを目指すの? ライオネルにもできないとなると、それは……」
「わかってます、ルイズさん」
心配そうなルイズに、アリスは優しげな声で返した。
「わかってます。……でも、魅力的じゃないですか。誰にもできなかった魔法だなんて……ふふ、とっても楽しみ」
アリスの脳内では、果たしてどのようなイメージが繰り広げられているのやら。
私とルイズは顔を見合わせ、私の方は表情を変えられなかったが、しかしルイズは私の気持ちを代弁するかのように、軽く苦笑いを浮かべていた。
生命の創造。それは非常に険しい道となるだろう。百年や千年でどうにかなるものでもない。下手すれば、億年を費やしても徒労と終わるかもしれない。
しかし、アリスは未知の魔道を開拓するという興奮や胸の高鳴り、そして未来への期待を覚えたのだ。
私はそれに水をさしたくないし、ルイズも冷やかしたくはないようだった。
「人形……そうだわ、人形に魂を吹き込むっていうのはどうかしら……それならきっと、いえ、絶対に……!」
挫折するかもしれない。諦めるかもしれない。
だが、彼女の小さな胸に灯った情熱の火は、偽りではないのだ。
その火が煌々と燃え続ける限り、彼女は立派な魔法使いとして歩んでいけるだろう。
「ふふ。頑張ってね、アリス。私は応援してるから」
「ありがとうございます! ルイズさん! あ、あでも! 別にお別れとか、そういうわけじゃなくて……!」
「あはは、知ってるわよ、もちろん。言いたいことはわかってるつもり」
願わくば、たとえ道半ばで立ち止まったとしても、その時の彼女が立派な魔法使いであれるように。
私はまだまだ幼さの残るアリスを見て、そう思わずにはいられなかった。