東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遺骸王の乱入


 

 やはり人間がいると、暇をしなくて良いものだ。

 神族でも魔族でもない。人間だからこそ、価値があるのだ。

 

 生来よりの持たざる者であるが故に、一日も休むこと無く研鑽を重ね続ける。

 それはきっと、定命を逸した魔法使いの身となっても損なわれることのない、ある意味での貧乏性なのかもしれない。

 

 

 

 アリスはブリテンの魔法使いの集落に居を構え、研究に入った。

 彼女なりの方法で進めたいものがあるらしく、私に助言を請うこともなかった。

 情熱に水を差したくないのだろう。彼女の気持ちはよくわかる。

 彼女の内に灯った炎は、ともすると既存のアドバイスによるスタートラインを軽々と越えてゆくかもしれないのだ。

 そして延焼する火焔は、自信となってその後の燃料となり得るやもしれぬ。

 そう考えれば、私はアリスのある種軽率とも言える行為を止めるわけにはいかなかった。

 

 アリスの独り立ち。その時点で、ルイズは教師としての役目を全うしたことになる。

 私は彼女に望むもの……つまり、地上と魔界との恒久的な交通権を給与し、アリスへの教育の報酬とした。

 

 ルイズは喜んでいた。それも、嬉し涙を流すほどに。

 

「……ありがとう、ライオネル。私、これでいつでも、地球を旅することができるのね」

「もちろんだとも。ルイズならば地上の文明を荒らすことはないだろうから。これは、その信頼でもある」

 

 “恒久的な魔界との扉”は、複数設置されることとなるだろう。

 そこを通過できるのは限られたもの。無制限ではない。

 魔力圧縮よりは遥かに緩くはあるが、全ての存在を通過させるわけではない。地上や魔界の文化を守るためにも、それは必要な措置だった。

 しかしルイズならば大丈夫だろう。私はその思いを乗せて、彼女に権利を授けたのだ。

 

「地球は……魔界の外は、とても広いぞ。とくに宇宙などは、うんざりするくらい広い」

「宇宙……」

「地上の夜空さ。星が瞬く、本物の夜空。模した魔界のそれとは違う、本物の星の魔力が吹き荒れる、大いなる闇」

「……不吉。だけど、雄大ね」

 

 思いっきり不安を煽ったつもりだけども、私の喩えではルイズを怖がらせることはできなかったようだ。

 彼女の紅潮した顔は、次なる未知への期待でいっぱいだった。

 

「広いよ、ルイズ。それこそ魔界の果てよりも」

「!」

 

 私はルイズの“魔界旅行記”最新刊を手に、そう語りかける。

 本の最後に記された場所。魔界の果てを目指したその記録。

 それは、ぼかされてはいたものの、次なる旅人への警句のような、曖昧な言葉が散りばめられていた。

 

 魔界の終端。それを目の当たりにすることで思い至る、閉ざされた石室。

 ルイズの書いた文章からは、直接的な表現はないものの、目にした絶望の片鱗が記されていた。

 

「……そうね、広いと大変だわ。けど、良いんじゃない?」

「ほう?」

「ゴールは遠い方がいい」

 

 ルイズはオパールのような瞳を潤ませて、そう言いのけた。

 

「きっと、アリスだってそう言うものね」

「……はははっ、そうかも。そうかもしれないね」

「あの子、向こう見ずで、強がりだから」

 

 私とルイズは笑った。嫌な笑いではない。

 若き希望。情熱溢れる若き魔法使いの姿ににんまりと微笑むような、そんな笑みだった。

 

「……ねえ、ライオネル?」

「うん?」

「ライオネルは、神綺様の何なの?」

「!」

 

 その質問には驚いた。

 ルイズの放ったそれは、まさに魔界の核心に迫りうる質問だったのだから。

 

「……ふむ、そうだな。私が、神綺の何か……ふむ」

 

 神綺。そして私。

 それは切っても切れない二つの存在だ。

 

「……私は、神綺にとってかけがえのないものだろう」

「そう、でしょうね」

 

 ルイズは驚かない。心のどこかその答えを予想していたのだろう。

 

「逆に、私にとって神綺は、相談役だ」

「……相談役?」

 

 こちらはさすがに予想できなかったのだろう。どこか虚を突かれたようだった。

 

「うむ、相談役。私が困った時は、悩んだ時は、何でも神綺に聞いてもらう」

 

 行き詰まったとき。

 答えが見つからないとき。

 

 暇な時。

 とても暇な時。

 他に話し相手がいない時。

 

 彫刻の奥深さを語る時。

 魔法の素晴らしさを語る時。

 頭の中の物語を聞かせる時。

 

 神綺は、いつでも聞いてくれる。

 私の言葉を。私の、時に理解しがたい何であっても。

 彼女は聞いてくれるのだ。いつだって、私の心に生臭い泥が溜まった時に、それを微笑んで聞いてくれる。

 

「素晴らしいことだ」

 

 もしも神綺がいなかったら。

 ……考えたくもないな。

 

「……そうでしたか。やはり、ライオネル。貴方は」

 

 ルイズが珍しく目をしっかり開き、私の姿を映している。

 濃灰色に染まった骸の顔。私の顔は、いつものように、内面にある僅かな期待を表に出してはいなかった。

 

「貴方は……」

「……」

「……本当に、偉大なる魔法使いだったのね」

 

 何かが氷解したようなルイズの笑み。

 私は、彼女の賛辞をそのまま受け取り、ただこう答えた。

 

「ああ、そうだとも。私は偉大なる魔法使い、ライオネル・ブラックモアだ」

 

 元の名前など欠片もない。

 だがそれでいい。私は一から始めたライオネルなのだ。

 一から始めた、誰よりも先に、一から始めただけ。

 ただのそれだけの、それ故に偉大を名乗っても良い、ライオネル・ブラックモアなのだ。

 

「ねえライオネル、今は、(さみ)しい?」

「……いいや、淋しくないよ」

 

 淋しくなどない。昔は多少、そうだったが。

 

「今は、とても賑やかだ。魔界も。地上も」

 

 魔界の果てに、陽が落ちる。

 それは、魔界の壁を見た者にとって嘆かわしいものにしか見えないものかもしれないが、それでも多くの人々にとっては本物で、様々な感慨を思わせる、私の記憶にあるであろう夕焼けなのだった。

 

 

 

 

「ふむ」

 

 手紙が舞い降りた。

 どこかしらからやってきた手紙なのだろう。

 サリエルや他の様々な相手に、私はこの便箋を渡していた。

 

 書いて封をし、そのまま風に投げ放てば自然と私の元まで届く、そんな手紙だ。

 識別に必要なのは名前だけ。

 裏を見れば、送り主は一目瞭然であった。

 

八意(やい) 永琳(えいなんとか)

 

 知らん名前だわ。

 

「いや違う、ヤゴコロ エイリンか? ほうほう」

 

 八意(ヤゴコロ) 永琳(エイリン)。なるほど、ヤゴコロエイリンとはそう書くのだそうだ。

 

 永琳。それは、サリエルの想い人であり、おそらくは永琳のほうもサリエルを想っているのだろう。

 月の公転を操作するという許されざる罪を犯した不届き者ではあるが、色々と甘い温情もあって手を下さずにいた月の民である。

 

「どれ」

 

 手紙を開けると、一枚の文書が収められていた。

 

「ふん」

 

 が、その前に目の前に浮かんできた“1”という数字をなんとなく握り潰しておいた。特に意味はない。

 

 さておき、宛先は私であった。

 サリエル宛てではない。なので、中身を閲覧するのにサリエルの許可はいらない。

 仮にサリエルが直ぐ側にいれば色々と文句を言ってくるのだろうが、それに構っていると本当に時間がゴリゴリ削れていくので、こちらから教えたくはないものである。

 

「……ほう」

 

 中身には、地球上に降りる算段がついたという旨が記されていた。

 具体的な内容こそ記されてはいないものの、実行に移す大まかな年などが書かれている。

 地上についた後、また別の手紙を寄越すとも。

 

 なるほど、つまりこの手紙は予告というか、行動に移すためのワンクッションなのだろう。

 そんな七面倒臭いことをしなくとも、着いたら着いたでその時に手紙を送ってくれればよかったのだが。

 

「ま、大丈夫そうだし、別に良いか」

 

 月の騒動について反省してくれている内は大丈夫だ。何も心配することなどない。

 私は別に他者を奥底から信用しているわけでもないので、妙なことをすればその都度赴いてひっぱたくだけである。

 

 月はそのまま。異常がなければ別によし。

 

 であれば、私は思いのままに地上散策ができるということだ。

 

「もう一度、大和に……日本に行くかな」

 

 アリスとルイズと別れ、魔界の魔法施設を回ったりゴーレムの研究を見直したりしているうちに時間が経ってしまったが、河勝と別れてからまだ四十年ほどしか経っていない。

 河勝はもっと寿命が長いのだろうし、まだまだ余裕はあるだろうが、移り変わりの激しい地上のことだ。そろそろ赴いて、彼の様子や日本の様子を見なければならない頃合いだろう。

 

「さて、戻りましょっと」

 

 そんなわけで、私はまた日本への扉を開いたのだった。

 

 


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