日本に魔法使いは生まれるのか。
そんな懸念を抱いた私であったが、それは数年の山暮らしを経て早々に解消されることとなった。
なんてことはない。
魔法と呼ぶには少々雑味を含んでいるが、その原型となり得る呪い師がちらほらと出現し始めたのである。
「おお、このような山地に、これほど立派な……! さぞ、激しい修行をされたのでしょうなぁ……!」
「はあ」
私の研究ラボを見上げて感激したように目を輝かせているのは、つい先程ここの登山に成功した男性である。
ここは、決して高い山ではない。
だが、山登りというには防寒も防風も防水もなっていない装備で、健脚と経験それだけで登頂を果たしてしまったこの有り余るエネルギーには、注目すべきものがあるだろう。
「そのような奇っ怪な面で隠されているところを見るに……さぞ高名な術者とお見受けする」
「いや、エメラルドの都から来た通りすがりのオズの魔法使いです」
「えめ……? な、なるほど? ふむ……世界は広いッ!」
男は何がそこまで愉快なのか、カッカッカと大笑いしながら山頂を去っていった。
彼は再び野山を駆け回り、修行に励むのだろう。
とまぁ、こんな感じである。
ただの登山客じゃないかと思われるかもしれない。
だが、あれはあれで、確かに魔法使いの原型と呼べるものなのだ。
山には様々な魔法的エネルギーが満ち溢れている。
自然豊かな山地で暮らし、自らその神秘性に耳を傾けるという行為は、実は魔力の気づきを得るにあたって、原始的ではあるがかなり効果的だったりするのだ。
また山地は触媒も豊富であるし、平地にはない物質、生物もいる。魔法的な出会いが限りなくゼロに近い都会で、ルーチンワークに閉ざされた生活を送るよりは、何千倍も効率的だと言えるだろう。
山伏、と呼んで良いのだろうか。
それとも修験者と呼ぶべきなのだろうか。
彼らは、自前の杖やら槍やらを持って旅をしており、野山に入っては登ったり走り回ったりしているらしい。
これはどうも中国というか大陸の方から伝来した情報に日本風のアレンジを加えた修行法であるそうで、聞くところによれば実際に妖怪を張っ倒したりするほどの力を手にした修行者もいるとのことだった。
「……思っていたより、たくましいもんだなぁ」
足袋よりも薄っぺらい履物だというのに、登ったばかりの山をさっさと駆け下りてゆく修行者。
伝来した術を使うのではなく、自ら魔を求め、荒行とも呼ぶべき修行に明け暮れるその姿は、私が今まで見てきた魔法文化の勃興でも、かなり特殊だと言えるだろう。
……が、その修行法にも欠点がある。
山を駆け回るのは魔という大きな分野に飛び込むには間違っていないのだが、この方法はあまりにも原始的すぎて、結果的に魔法使いになるかどうかが非常に怪しいのだ。
場合によっては仙人になるかもしれないし、妖怪になるかもしれない。魔の力に気づいた後、それをどう運用するかが全くの未知なので、私としては“魔法使いの卵”とまでは呼べないのが心苦しいところである。
先程やってきた男もそうで、彼が将来どのように魔を扱うかがわからぬ。
なので私は素直に同胞を迎える気にもなれず、いつも適当な自己紹介をしてあしらっているのだった。
せっかくなのだから来た人に魔術を教えれば良いじゃないかと思われるかもしれないが、それも上手くいっていない。
……実際に私が魔術を見せても、彼らは的はずれな驚き方をしたり、空回りしそうな修行を始めてしまい、これっぽっちも成果が上がらないのだ。
これは私の教える技術が低いせいもあるのだろうが、それにしたって修行に明け暮れる彼らは“理論よりも肉体的な修行”な気質があり、お互いの路線が噛み合わない。
確かに健全な肉体に宿るものだってあるし、鍛えるのはいいけども……筋肉だけじゃ、魔法は使えんのですよ。
近頃の私は、そう言ってやることさえも、諦めつつあるのだった。
まぁ色々愚痴ってしまったけれど、全ては贅沢な悩みだ。
これまでの神秘的な技術に懐疑的だった時代と比べれば、近頃は方向性こそ迷子ではあっても、悪い傾向ではない。
人間が妖怪という身近な脅威に対して、有効的な力を身につける。
その意識は、必ずや魔法へと到達するだろう。
「もし、そこのお方」
「うん?」
いつもの山頂。
大岩の上に座って木彫りの(ほぼ)真球を作っていた時のことであった。
普段であればむさくるしい男が声を掛けてくるところなのだが、この日に限ってはどういうわけか、若くどこか艶やかな女性の声がしたのである。
ウナギの仮面で振り向いてみれば、そこには大きな編笠と白いヴェールに顔を隠しきった、しかし女性であろう細身の人物が立っていた。
修験者には見えない。しかしこの山頂に身なりをほとんど汚さず立っているのだから、只者ではあるまい。
白いヴェールの裾からは、僅かに長い金髪も覗いている。
おそらく人外なのだろうが、はてさて。この女は一体何者なのだろうか。
「卓越した術を修めた、陰陽道の開祖……
女は断定するようにそう言った。
「違います」
私はすかさず否定した。
「え……」
女は呆然としている。
だが、そんな声を出されても私だって困るのだ。
もう何度目になるだろうか、この疲れるやり取りは……。
「私はオズの魔法使いを名乗ったことはあっても、エンノなどと名乗ったことはありません。貴女の人違いです」
「……! オズの……って、それ古い映……まさか実在……いえ、でも……!?」
女はぶちぶちと小声で独り言を呟いているが、徒労は徒労である。
まぁ面白半分に“オズの魔法使い”などと名乗っていた私にも非はあるかもしれないのだが、聞き間違える方もどうかと思うよ。
「ちなみに
「……そ、そうでしたか。……ああ、もう、聞き間違えばかり……私、疲れているのかしら……」
「いえ、よく間違えられますので。お嬢さんも道中お気をつけて」
「ええ……失礼しました……」
女はどこかしょぼくれた様子で、私が指し示した方へと去っていった。
……この時代、まともな地図もないからね。
いくつかの山が密集したような地形じゃ、まともに特定の山に入ることも難しいのだろう。
通り名がちょっと似ているということもあるのかもしれないが、近頃はこうして
実際の小角さんは別の山に実在するのだが、意気揚々と彼を訪ねにやってきた勘違い修行者の相手をするのは、なんというかこう、疲れるものがある。
そんなに悪いことをしているわけでもないのに、罪悪感があるというか……相手の疲れ果てた目が“紛らわしい所にいるんじゃねえ”とでも言っていそうというか……。
……そろそろ、私も資材集めを中断して都会の方に繰り出すべきなのやもしれぬ。