東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 時が過ぎるのは早い。

 それは、蓬莱山にいた頃や月の都で暮らしていた頃とはまた違った、穢土(地上)ならではの感覚だった。

 

 蓬莱山や月では、今のようなむず痒いような、それと同時に虚しく思えるような時間の過ごし方はしなかったように思える。

 それらの日々は、姫としてもてはやされる事に違いないというのに。

 

「来たわね」

 

 屋敷の中で、丸窓の向こう側に浮かぶ満月を見上げていると、夜空に銀色の輝きが瞬いたのがわかった。

 厳戒態勢で屋敷を取り囲み私を警備している(らしい)兵士たちの騒々しい話し声が、こちらまで聞こえてくる。

 どうやらあの妖しげな輝きを見上げ、妖怪だか何だかと慌てているらしい。

 

 けど、私は知っている。

 先程の輝きは非常に科学的なもので、一度瞬けばそれだけで地上の様子を解析・把握することのできる……ナントカ、という機械によるものなのだ。

 

「遅いわよ、永琳」

 

 流刑から待ちに待って、十余年。

 ようやくやってきた臣下の到着に、私は思わず口の端を緩めたのだった。

 

 

 

 謎の飛行物体の襲来。

 その奇襲劇について、語るべきことはあまり多くない。

 

 空からやってきた箱型のそれは、まず無数の光線で屋敷の周囲に展開した私兵を撃ち抜き、外傷を作ることなく昏倒させた。

 次に耳がキーンとするような音の波? だかをジグザグに放って、屋敷全体をなぞり、内部に潜んだ警備をも無力化した。

 

 徹底して、死者は出さない。

 私はこの十余年あまり、生物の生き死にが当たり前なこの世界で暮らしていたので危うく忘れかけていたけれど、そうだったわね。

 月の民は、生物を殺めないんだったわ。

 こうしてまどろっこしい無力化の様子を見ていると、少し新鮮な気持ち。

 

 まぁ、だからこそ安心できるのだけどね。

 

「輝夜! 輝夜は無事か!?」

 

 ……あら。幸運なのか、そうじゃないのか。

 私兵はあらかた沈黙したはずなのに、爺はまだ動いているのね。

 これまでの攻撃が何も当たらなかったということだけど……さて。どうしたものかしら。

 

 ……あるいは、これも永琳が気を利かせてくれたことなのかもしれないけれど。

 考え過ぎかな。

 

「爺」

「輝夜!」

 

 私の部屋に入ってきたのは、なんというか……珍妙な装備を着込んだ老人だった。

 彼は背中に無数の矢筒を背負い、両手には短槍と剣を握っている……駄目だわ。最期だっていうのに、爺の姿を見てたら笑えてきちゃう。

 婆にはその格好止められていたのに、“輝夜を守るためだ”って、聞かなかったんだから……。

 ……本当、困った人間だわ。

 

「爺、騒々しいわよ。こんなに良い夜なのに」

「輝夜! 空から、空から何かが……! 早く逃げるのだ!」

「逃げる必要はありません。別れの時なのです」

「輝夜! そのような!」

「爺。たまには私の話をじっと聞いていて頂戴な」

 

 いつもそう。この人は熱意に任せて勝手に盛り上がり、先走って周りを騒々しくしてしまうのだ。

 空回りしては婆に窘められたり、寝不足で倒れたり。

 元々は貧しい薪集めだっていうのに、私を子として引き取ってからというもの、子煩悩というか……そんな風に変わってしまったのだ。

 

「だが、輝夜……輝夜! あれは、お前を迎えにきたという者なのだろう!? そんなこと……そんなことを聞いて、じっとしていられるわけが、ないではないか!」

 

 でも……爺。

 彼の、私に対する親としての愛情は、本物だった。

 それは熱く……きっと、本物の親愛なのだと思う。

 

 それだけに、私自身も今日の今日まで、強く彼を突き放すことはできなかったのだ。

 本当に、爺は頑固だから。

 

「わしは、お前が幸せになるまで……っ!」

 

 目に一杯の涙を浮かべた爺は、言葉の最中に床へと崩れ落ちた。

 

「あっ、爺」

 

 まるで一瞬にして気を失ったかのような見事な倒れっぷりだった。

 思わず私の能力を使い、床に打ち付けそうだった頭をどうにか守ってあげられたので、大事には至らなかったけれど。

 

「もう、老体は労らないと駄目でしょう?」

「輝夜。その人物は推定で七十年も生きていないようですが」

 

 私の言葉に、懐かしい声が答えてくれた。

 本当、懐かしい声。貴女の声を、どれほど待ったことか。

 

「身体の造りの話よ。この爺は、私達みたいに丈夫にできてはいないのだから……そうでしょう、永琳」

 

 私が名を呼べば、彼女は廊下からゆっくりと姿を表した。

 

 足まで届きそうな長い銀髪を背中で三つ編みにした、美女。

 本人は自分のことを、美しいだとか醜いだとかで喩えたり評したりすることは無いけれど……私は彼女が様々な男からアプローチされている事実を知っている。

 実際、私の前に現れた彼女の姿は、今も月にいるであろう彼ら彼女らに負けないほどに、女神だった。

 

 八意永琳。

 私の家臣にして、月の頭脳。

 

 そして……私と同じ、不老不死になる蓬莱の薬を飲み干した、蓬莱人だ。

 

「永琳、遅かったじゃないの」

「他人事みたいに言わないでください。こちらはこちらで、議会を操るのが大変だったのですよ。私が今日のために、どれだけ根回ししたことか……」

 

 あらあら、いきなり恨み言で返すだなんて、本当に大変だったのね。

 確かに、今にして思えばもうちょっとやりようはあったかもしれないわ。蒸し返しても盆に返るものではないけれど。

 

「けどね、永琳。こっちはこっちで、本当に大変だったんだから」

「……ええ、そうでしょうね。地上の穢れは……」

「いえ、そうじゃなくて」

 

 御簾様だった薄布をかけた置物が、脇にある。

 私はその薄布を摘み、一気に取り去った。

 

「……! え、これは」

 

 永琳も驚いている。そうよね。そうなるわよね。

 どうしてこんなところに蓬莱の玉の枝が、って。なるわよね。

 

「輝夜……これは。貴女が?」

「話せばきっと長くなるわ。それに……お願い永琳、今は何も聞かず、さっさとここから連れ出してちょうだい」

 

 地上に存在した蓬莱の玉の枝。

 きっとそれだけで、永琳は何かしらに思い至るだろう。

 私が口で説明するよりは、多分その方が効率は良い。

 

「早く!」

「え、ええ……けど、輝夜。あまりにも慌て過ぎでは……今急いだ所で」

「いいの! 本っ当に落ち着かないのよ!」

「はあ……」

 

 長い間溜め込んでいた話もある。

 上品に再会を飾り付けたい気分でもある。

 爺と婆と話したかったし、彼らを暖かな布団の上に寝かせたいという気持ちも、ある。

 

 けど私はそれ以上に、またこの屋敷へ恐ろしい遺骸が乱入してくるのではないかということで頭がいっぱいだったのだ。

 

「見つかったら、きっと……いえ、絶対に面倒なことになるわ……!」

「……善処致しましょう」

 

 


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