東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 都にはもう居られたものではない。

 私が藤原を怒らせてしまったというのもあるし、単純に嫌気が差したということもある。

 なので、私は様々な物品を木箱に納めた後、短いようで長……いや、普通に短かった彫金師としての店を畳んだのだった。

 

 で、その後私はさっさと魔界に帰るだけ……なのだが、居られなくなったとはいえそれは都だけの話である。

 他の長閑な地方を観光する分には、まだまだ私を縛り付けるものもないだろう。

 この時代の人間に、日本国内とはいえ地の果てまで追ってきそうな骨のある連中もおるまい。

 

 そんなわけで、私は東へ進みつつ押し花用の花やら葉っぱやらを採集の旅を続けながら、まったりと富士山へと辿り着いたのである。

 

 

 

 富士山は言わずと知れた日本最大の山である。

 この時代では不尽山とか福慈岳とも呼ぶらしいけど、親しみ深いので富士山と呼ぶことにしよう。

 その高さは人間だった頃の知識でおよそ三千七百メートルだが、今現在も同じ高度であるかどうかは定かでない。海抜と標高を較べて正確な高さを割り出すこともできるといえばできるが、特に意義がないのでやりたくもない。

 まぁ、ようは、綺麗で高い山なのである。

 

「おお、いい感じの魔力」

 

 で、その富士山なのであるが。

 遠目に見ても火の属性魔力が色濃く滲み出ているのがわかる。

 

 土から……主に雪のかかっていない上の方の、剥き出しの岩場。そこから立ち上る魔力が、やたらと目につくのである。

 

「そろそろ噴火しそうだな」

 

 それは何度も見た、活火山が噴火する前兆のようなものであった。

 

 周期的には、そう遠いものではない。早ければ五十か……三百年後には噴火や過活動が起こる、そんなシグナルだ。

 数万年規模で見れば山の噴火など珍しくもなんともないし、高温の溶鉱炉代わりとして鉄をこね回すためによく利用していたのだが、日本の富士山ともなると、やはり私も日本人故か、感じ入るものがあるのだった。

 

「富士山の噴火かぁ。良いなぁ」

 

 何が良いのかわからないが。少なくともこの時代の人間にとっては災難と災厄以外の何者でもないのだろうけども、富士山の噴火というのは私にとって、それだけ大きなイベントなのである。

 ……まぁ、もうすぐとはいえ何十年、何百年後に来るであろう噴火をじっと待っているというのも馬鹿みたいなので、待ちはしないんだけどさ。

 

「しかし火の魔力の染みた鉱物や土は貴重だからな」

 

 噴火前のこの時期、このタイミングでしか採集できないものも多い。

 山の火口付近を根城にしている神族の影響もあるのだろうが、火の属性が丁度いい塩梅で撒き散らされていて、ドラゴンにとっては物足りないかもしれないが、私にとってはなかなかの穴場であった。

 

 

 

「いやぁ、魔力に満ちた大自然。人の暮らしも面白いけど、自然の豊かさには勝てないな」

 

 限界線ギリギリの場所に適当な家屋を掘っ建て、簡単な下処理をするだけの設備を整えた。ラボとも呼べない程度の、私の仮の拠点である。

 富士山の豊かな恵みを集める作業は、修験者の居ない穏やかな雰囲気も相まって、ここ数ヶ月間楽しく没頭できたのだ。

 

 うむ。やっぱり嫌な思い出を最後に日本を離れたくはなかったからね。

 せめてちょっとした収集作業を経て、清々しい気持ちで魔界に戻りたかったのである。

 

「酒も美味しいしね」

 

 手作りのビールも悪くない。

 富士山に来たからにはやはりビールだろう。日本の象徴を眺めつつ、過去の思い出に浸り、懐かしい味を味わう。

 それは日本古来の濁り酒よりもずっと、私にとっては日本らしい酒の楽しみ方なのだ。

 

 とはいえ、あまりこの山に長居しても仕方ない。

 このビールを飲み干したら、いい加減魔界に戻るとしよう。

 

 いろいろな人が待っているだろうし、見ておきたい場所もあるからね。

 

 

 

「……おい、そこの者」

「うん?」

 

 私がジョッキの最後の一口を飲もうとした時、ふと声をかけられた。

 

 人間だろうか。妖怪らしき魔力は感じない。

 登山道も整備されていないようなこんな山奥では、随分と珍しい遭遇である。

 

「ここで、何をしておる」

 

 問いかけられた。

 が、聞きたいのは逆にこっちの方だった。

 

 斜面の下には、十人近い男共が杖を手に列を成していたのだ。

 足は泥だらけだし、体中には生傷もある。明らかに体調の優れていなさそうな顔ぶれも、数人居た。

 各々背中に大きな荷物を背負っているし……正直、仮面を付けた私よりも、第三者の目から見たこいつらの方が怪しいように思う。

 

「私はこの山に暮らす者。……もしや、この私に用があって来たのかね?」

 

 複数人による酔狂な強行登山。

 そして私と出会った……。

 

 なるほど。その登山の理由、なんとなくわかったぞ。

 

「上からの命令で、私を殺しにきたか」

 

 つまるところこいつらは、藤原が差し向けた刺客というわけだ。

 こんな時代じゃ到底無理だろうと高をくくっていたが……面白い。なかなか根性のある追跡者じゃあないか。

 

「いや、違うぞ」

「残念だが私はこれで……ん?」

「いや……うむ。どうも勘違いされているようだが、我々はお主をどうこうしようなどとは考えていない」

「……そうか」

「うむ」

 

 ……そっか。なんだ、まぁ私もそうじゃないかとは思っていたがね。

 こんな遠く離れた山にまで刺客なんざ来るはずもないしね。うん。

 

「あー……お主がどのような理由でここにいるのかは、あえて訊かぬ。このような険しい山だ。相応の理由があるのだろう……」

「ハイ」

「うむ。で、我々にもここへ来た理由があるが……それをお主に教えるわけにも、いかん」

「ハイ」

「お互い、見なかったことにしようではないか」

「……そうしていただけると」

 

 私の内心の凄まじい脱力感をよそに、男たちは荒事に発展しなかったことに安堵したのか、見るからにほっとしていた。

 

「では、我々はこれで。……これは忠告だが。くれぐれも、後を追わぬよう」

「ええ、もちろん」

 

 私がそう言うと、男たちはおぼつかない足取りで、ぞろぞろと山を登っていったのだった。

 

 ……うむ。お互いに事情はあるし、訊かれたくないことはお互いに詮索しない。

 人間社会で生きる上では、とても大切なことだよね。うん。

 

「はぁ、はぁ……」

「おっと」

「!?」

 

 なんて、私が良い話で纏めようとしていたその時、斜面の下から新たに登ってくる影が見えた。

 その影は小さく、華奢で、登山というかアウトドアを舐めきっているとしか思えないほどの軽装であった。

 

 子供。それも、まだ年端の行かない女の子が現れたのだ。

 

「あ……」

 

 女の子は私を見て、固まっている。

 

 ……ふむ? 着ているものはボロボロだし、土汚ればかりで大変なことになっているけども……服自体の質は、それなりに高そうだ。

 見れば、この時代の平均的な子供よりも良い環境で育ったような、地の綺麗な雰囲気が漂っている。

 はて。そんな子がどうしてこんな山奥にやってきたのだか……。

 

「……ああ、彼らを追ってきたのかな?」

「!」

 

 私が小さく呟くと、女の子は少しだけ反応を躊躇した後、小さく頷いた。

 

 なるほど。理由は定かでないが、彼らを追いかけてやってきたと。

 ……こんな綺麗な子がねえ。どんな理由でやってきたのだか……。

 

「彼らなら、先程ここを通っていったよ。あちらの大きな木を辿っていけば、足跡も見えてくるだろうさ」

「……!」

 

 私が指を指してアドバイスすると、女の子は目を大きく見開き、行き先と私を見比べてから、私に大きく頭を下げた。

 

「なに、礼には及ばないとも。秘密を守るのは人の美徳だが、人を騙すのはそれ以上の悪徳になるからね」

「……りがと、ござ……」

「ああ、声が枯れているのか。まぁその歳で無茶な登山を続けていれば無理もない。ほら、酒精もあるが、飲んでからいくといい」

「……!」

 

 私が四割ほど残ったジョッキを差し出すと、女の子は堪えきれない様子で躊躇なくそれに飛びついた。

 この時代にビールなど存在していないだろうし、独特の苦味やアルコールもあるはずだが、それでも少女にとっては違和感よりも水分補給こそが勝るのか、あっというまに小麦色のそれを飲み干してしまった。

 

「酒……少し苦いけど、滋味がある」

 

 一息ついた際に溢れ出た感想は、そこそこの教養を感じさせるものだった。

 やはり彼女は、良いところのお嬢様なのかもしれない。

 

 少女は口元を拭い、ジョッキを私に返すと、また深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございます。私は、急いでいるので……これで」

「うむ。理由は聞かないが、いい旅を。お嬢さん」

「……ありがとう。じゃあ」

 

 こうして、少女もまた男たちを追うため、山を上っていったのだった。

 

 整備もされていない険しい富士山。

 そんな辺境中の辺境の場所であっても、人はやって来るものなんだなぁ。

 

「こんな時代でも、本当の大自然は残っていないわけか」

 

 最後にちょっとした出会いと別れがあったものの、概ね日本というものを味わい尽くした私は、それなりに良い気分で魔界へ帰ることにしたのだった。

 

 


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