東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遺骸王の考察


 

 鉄の如く黒く塗り固められた大地が、いとも容易く砕け散った。

 

「ほォ……良い動きだ……」

 

 もし、私があの場に佇んだままであったなら……間違いなく、この身は粉々に砕け散っていたであろう。

 

「このような場所にも、貴様のような強者が居たとはな……存外、悪くない場所であったわけか」

 

 地を深く抉った長い腕が、軽々と引き抜かれる。

 その魔族は禍々しく銀色に輝く目を細め、無数の針のような歯を見せつけるように笑った。

 

「面白い。名乗るが良い、女」

 

 身の丈は、私の二倍はあるだろう。

 鋼鉄のような光沢を有する鈍色の鱗が全身を包んでおり、背面や腕、脚などは同じ色の体毛で覆われているようだった。

 

 それだけならば、よくいる魔族の一種と言えた。

 だが、奴の禍々しい顔立ちや、細い目に輝く強大な気配は、あまりにも鋭すぎた。

 何より、外界からこの法界に現れたという事実こそ、奴がただならぬ存在であることを示している。

 

「私の名は……(コウ)

「紅……か。ほぉ、ほぉ……」

 

 魔族は不気味に笑い、切れ長の目を更に細め、輝きを強めた。

 

「我が名はヤズ(睚眦)。貴様の魂に、この名を刻み……そして、死ね!」

 

 ヤズと名乗る魔族が、地を砕くほどの勢いで踏み込む。

 対する私も、氣を乱さぬよう力を巡らせ……そうして、長い戦いが始まったのだった。

 

 

 

 私は紅。

 竜骨の塔を守護する、紅きドラゴンの末裔だ。

 

 私は随分と前よりこの法界を母の眠る地と定め、守護し続けている。

 

 だが、私が古来より運び続けてきた竜骨は今やライオネル様に委ねられているし、この法界に満ちていた母の気配も、時を経るごとに希薄になりつつあるようだった。

 仕方ないことではあった。ここはあくまで母の死の破片を受け止めたであろう場所に過ぎず、母の全てが眠る地ではないのだから。

 それが、外界から時折訪れる強大な魔族によって薄められてゆけば……今のように、ほとんど何も感じられない地となるのも、当然ではある。

 

 わかってはいたことだった。

 だが、やはり母の気配が次第に消え行くのは……私にとって、随分寂しいことでもあったのだ。

 

 

 

「破ァ!」

「ぐぉおッ……!」

 

 五日にも及ぶ戦いの末、ようやく私の渾身の蹴りがヤズの懐に食い込んだ。

 大暴れするヤズの攻撃を掻い潜りながら法界の持つ抑圧に耐えるのは、相変わらず非常に神経を削るものではあるが……こういった戦いも、法界では珍しいことでもない。

 結果として勝利を掴んだのは、一日の長を持つ私であったようだ。

 

「ぐフっ……はぁ、ハァ……今のは、効いた……効いたぞ……!」

 

 ヤズは強力であった。

 今まで、法界に迷い込んだ魔族から幾度も戦いを挑まれたが……その中でもとりわけ、強かったように思う。

 

 だが私との戦いで奴は早い段階で動きに精彩を欠いていったし、力任せに振るわれる力は、法界内においてあまり相性の良いものではなかったのだ。

 天運が私に味方したのだと思う。

 しかしそうだとしても、私の勝ちに違いはなかった。

 

「無理をしないほうが良いでしょう。貴方は今、私の氣によって深く傷ついている。既に、勝敗は決しました」

「……ゴボッ」

「喋ることも覚束ないのです。無為に命を散らすより、素直に敗北を認めてはいかがか」

 

 さすがの私も、この戦いは……堪える。

 今のヤズにとどめを刺す程度であれば造作もないが、おそらくそうはならないだろうと予感し、その場に座り込むことにした。

 

 ヤズは全身からおびただしい量の血を滴らせながら、私の無防備な姿を眺めていたが……悟ったのだろう。彼もまた、私と向き合うようにして胡座をかいたのだった。

 

「……見事だ。地上ではついぞ、騙し討ちによって封ぜられるまでの間、難敵と呼べる者とも出会わなかったのだがな……ククク、星の巡り合わせとは、奇妙なものよ」

 

 相変わらず恐ろしい顔つきであるし、口元から今もなお吐き出される血もあって、凶悪なことこの上ないヤズであった。

 しかしその細い眼差しは、風貌と較べて理知的であり、暴力だけに魅入られた魔族であるようには思えなかった。

 

「この法界は、地上で封印されし者が訪れるといいます。貴方もまた、地上の仙人とやらに? それとも、魔法使いでしょうか」

「ああ、仙人共だろう。一人ずつならば苦もなく引き裂ける相手だったが、まさかあれほどまでに大掛かりな罠を仕掛けていたとは……クク、いや、あれもまた、騙し討ちではなく、奴らの力なのかもしれんな……」

 

 私との戦いで満足したのか、ヤズは愉快そうに笑っている。

 ……巻き込まれた私としては、堪ったものではないのだけど。

 

「だが単身で我を打ち破ってみせたのは、紅。貴様が初めてのことだ。地の利もあったことだろうが、それもまた戦だ。誇るが良い」

「……私も、この日を忘れることはないでしょう」

「うむ」

 

 誇り。それはよくわからなかったが、この戦いは間違いなく、忘れられないものにはなっただろう。

 言われずとも、この好戦的な厄介者の名と顔は、末永く覚えておくつもりであった。

 

「ああ、しかし……うむ。我は、酷く疲れた。……しばらく、ここで英気を養うこととしよう」

「……ええ。休まれるがいいでしょう。存分に……」

 

 やがてヤズは全身の負担に耐えかねたのか、胡座をかいたまま静かな眠りについた。

 私も最期は存分に痛めつけてやったのだ。彼が傷を癒やして再び目を覚ますのは、随分と後のことになるだろう。

 

「それまでは、私もしばらく……ん?」

 

 休まねばなるまい。そう考えていた矢先に、背後から何者かの気配が近づいているようだった。

 

「……参ったわね。万全ではないというのに」

 

 まさか、連戦になろうとは。

 法界に堕ちた魔族は少なく疎らであるので、こうして複数と出会うことは非常に珍しいはずだった。

 

 一体、次はどのような無法者が相手なのだろう。

 私は身構え、戦慄に冷や汗を流していたのだが……。

 

「やぁ」

「……ライオネル様!? ……はぁ」

「ええ、いきなり溜息……」

 

 黒い丘の向こうから現れた無害そうな姿を見て、思わず力が抜けたのであった。

 

 

 


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