まだら模様の牛が、紫色の草原を歩いている。
そこで食べられそうな草を探し求めているのだろう。しかしゆけどもゆけども、草原には繁殖力の強い紫色の草しかない。彼の追い求めるような鮮やかな黄緑色の草は、ここには存在しないのだ。
いつしか牛も諦めたのか、不服そうな表情で草を食み始めた。
まあ、見た目こそ毒々しいが、基本的には雑草である。牛が食べて腹を壊すようなこともないだろう。
ここは通常の植物とは違う、いわば魔草に近いそれらの草原だ。
時折見られる低木ももちろんのこと魔法生物に近いもので、触媒の材料としても適している。時々ここは馬の魔族や牛によくにた魔族がやってくるのだが、どちらも肉食ではないので、まあ地上からやってきたあの牛たちも、どうにか平穏に過ごして行けるだろう。
もっとも、食用とするまでにはもう十何年か、数が増えるのを待たねばならないだろうが……。
「どうですか、ライオネル」
「おお、神綺」
物思いにふけっていると、目の前に逆さまの神綺が現れた。
「ここの草原は、よく移動するので……もちろん時間はかかりますけど、岩地を緑化してくれるんですよ」
「あれ。二十七番目のムラサキハコベじゃなかったっけ」
「これは二十九になりましたねー。見た目にはわからないですけど、荒れ地が隣接していると結構違って見えると思いますよ」
「ふむ」
以前に見た種類と同じかと思ったが、知らぬ間に品種改良が成されていたらしい。
であれば、見なければ損というものだろう。
「どれどれ」
私は瞬間移動し、草原の外側までやってきた。
草原の外は荒野で、適当な岩と丘陵が続くだけの見ごたえのない地形である。
位置的に降水量も乏しいため、ここにはほとんど植物が自生せず、そのため生物が寄り付こうとしない。
地形だけは古くから用意されたものだったが、未だにこうして手付かずなところを見るに、なかなか不人気のようである。
「おや」
だが、何もいないはずの土地にはひょこひょこと、小さくうごめく者がいた。
小さく、まるでネズミか何かのように見えるが……。
「あれが、動き出した二十九のムラサキハコベです」
「ほほー」
それは草であった。
もちろんただの草ではない。根っこを自ら地中から引き抜いて、その根っこを束ねて二本足にして歩く……もう、なんというか……以前にもどこかで見たことのあるような、そんな奇妙な植物である。
「草原の無いエリアが近くにあると、ああして独りでに株分けされるんです。で、そのままちょうど良さそうな場所を見つけると……」
「その土に埋まるわけか」
「はい。まぁ、大抵は死んじゃうんですけどね」
「死んじゃうんだ」
「はい。歩くことにほとんどの生命力を使い果たしてしまうので」
「ふむ。つまりそこで種を蒔くことで繁栄するわけだな」
「いえ、種はつけなくなっちゃいました。なので普通にただ死んじゃうだけですね」
それってもうほとんど死んでるじゃないか……。
なんて悲しい植物になってしまったんだ、ムラサキハコベ……。
「いえ、種がついていた時期もあったんですよ? それが二十八番で。けど、その時はあまりにも大繁殖するものですから……魔人が運営していたいくつかの農場が被害に遭いまして」
「うわあ。まぁ、けどそうだろうね。種を的確に、自分から広めていく草なんて畑の天敵だ」
ほぼ全ての農薬が効かないというのも厄介である。
ある意味、風に乗ってやってくる種よりも凶悪かもしれない。
「なので、今回は種をつけなくなりました。生命力はほとんどないので、土に植わろうとしてもほとんどは枯れますが……何千のうちに一株くらいは生き残るかもしれません。それに、ただ枯れるだけでも土の原料にはなりますから、あながち無駄というわけでもないんですよ」
「ふむ、言われてみれば」
確かに、ただ種をばらまくよりかは、自ら土となって岩場を彩ってくれるほうがありがたい。
やがてそれが繰り返されることで、草の生い茂る土壌に変化してゆくことだろう。
長い目で見れば、この魔界全域を、そうして植物を繁栄させることも可能かもしれない。
「ふーむ。地上の植物をこちらに移すのも良いけれど、こういった魔界特有の植物を地上に移すというのも、いつかはやってみたいものだな」
「あれ、それって大丈夫なんですか? 物によっては、結構凶暴だったりしますけど。植物でも……」
「ああ、そこら辺は大丈夫だよ。しっかり場所を弁えてやってみるさ」
地上の動植物と魔界の動植物。それらには大きな違いや種としての隔たりはあるが、性質を明かしてしまえば結局どちらも生き物に過ぎない。
とはいえ、外来種というものは時に在来種を蹂躙するものなので、それらの移植に関しては細心の注意を払う必要があるだろう。
……うーむ。魔界と地上をつなぐゲートも、ある程度は警備した方が良いのかもしれないな。
いつか誰かしらを雇っておくべきなのかもしれない。