彼女は幽香と名乗った。
多くは語らない。寡黙というか、周りに対して極めて無関心な性格らしいのである。
今も、寝起きの彼女は私と会話しようとはせず、日々の日課らしい植物への水やりを始めてしまった。
軽くウェーブのかかった新緑色の髪。気怠げに細められた瞳。赤いチェック模様の装いは寝起き生活のためか、所々にシワが寄っている。
全体的に、雑。
なんというか、それはどこか昔の私を思わせるような人物像に見えた。
「それで、私に何か用なのかしら」
如雨露の中身を空にした幽香が、訊ねるわりにはどうでもよさそうな声色で聞いてきた。
彼女はその間も、ポケットから取り出した乾燥水苔を触媒に簡単な水生成魔法を発動し、如雨露に水を加えている。
「別に忙しいわけじゃないけど。他人主導で無駄なことに時間を割かれるのは嫌いなの」
如雨露から再び細かな水が溢れ、乾いた花壇に降り注ぐ。
「つまらない用だったら、堆肥作りを手伝ってもらうわよ」
そして私を射抜く目は、極めて敵対的であった。
いや、敵対的という表現は正確ではないか。
路傍の虫やゴミでも見るような、そんな目だ。
特になんとも思ってはいないが、どちらかといえば気に入らないし、それを蹴っ飛ばすも見逃すも好きにできるような、強者の眼差しである。
うむ。そして先ほどかつての私に似ているかのような表現をしたが、それも間違いであったらしい。
さすがに私はこんなにおっかない性格をしていない。
……というか堆肥作りを手伝うって、それはあれだよね。
主に原料作りに貢献しろってことだよねそれ。
「あー……ふむ。面白いかつまらないかでいえば、正直わからないのだが。実は幽香、貴女に聞きたいことがあってね」
「へえ、聞きたいこと。どんなことかしら」
「夢幻の姉妹について」
バキリと、如雨露の持ち手が砕ける音がした。
「……懐かしいわね」
お気に召す話題ではなかったのだろう。
まあ、だろうね。怒ってなきゃ大喧嘩しないからね。
「うむ。色々あったということは聞いているんだけど、詳細が知りたくてね。あまり良い思いはしなかっただろうし、気は進まないかもしれないんだが、その時の話を教えてもらいに来たんだ」
「……ふうん。良いわよ」
おお、良いのか。良かった良かった。
あの双子が関わると、口をつぐむ人も結構多いから助かるよ。
「ただ、それはあまり面白い話題とは言えない。だから――」
幽香が口元を歪ませて、右手を上げ……。
「あそこ」
私の背後を指差した。
「あそこの倉庫に鋤があるから、取ってきて。堆肥作りを手伝ってもらうわよ」
そして、彼女は微笑んだ。
「手伝ってくれたら、その日のことを教えてあげる」
館の裏庭の蔓草を、ガシガシと掻く。
建物の表側はキレイに保たれていたが、裏側まではほとんど手をかけられていなかったようだ。
なんとなくその光景も気になったので、私は幽香に指示されるがままに蔦の処理を行っていた。
たまにやる掃除や農業というものは、進んでやりたいと思う程度には、そこそこ楽しいのである。
「ブックシェルフは各地をゆったりと回遊するから、各地の気候を活かした植物を育てられるのよね。だから私はここに寝台を置いて、夜は寝て、昼に手入れをして過ごしているの」
剥がされた蔓草を大窯の中に詰め込みながら、幽香は語る。
「ある日、寝台を空けて花壇の手入れをしていたらね。その夢幻の双子とやらが、私のベッドの上に無許可で寝そべっていたわけ。土足でね」
ふむふむ、なるほど。
「それが気に食わなくてね。ぶっ飛ばしたわけ」
うむ、シンプルな答えだった。
「しかし、あの双子はかなり強い悪魔だったはずではないかな。そんな簡単に」
「手を休めない」
「はい」
昔の上司を思い出してしまったよ。
その人よりは性格がさっぱりしてそうだし、嫌ではないが。
「まぁ、手応えはあったわね。そのまま続けていれば私が勝っていたでしょうけど。ただ、途中で向こうが尻尾巻いて逃げたものだから、不完全燃焼なのよ」
驚いた。あの姉妹を撃退できる者は、ほとんどいないと思っていたのだが。
「また会いたいわね。というより、居場所を見つけ出したいと言うべきかしら。今度は白黒はっきりつけて、きっちり頭を下げさせないと」
「好戦的だね。幽香は悪魔ではないんだろう?」
「魔族よ。妖魔とも呼ぶのかしら。でも、似たようなものでしょう?」
まあ、それもそうか。
そしてなるほど、魔族。それならば好戦的なのにも納得できる。
「ということは、幽香は外からやってきた魔族なのかな」
「ええ。地上の親切な知り合いが、魔界は色々学ぶことが多いと教えてくれてね。地上にはない植物もあると言うし、興味を惹かれたの」
おお、そう言ってもらえると嬉しいな。
確かに魔界は魔法文化が発達しているし、植物も古代のから魔法系まで多種多様だ。
地上の観光客は大歓迎だよ。
「手が止まってる」
「あ、はい」
その観光客を盛大におもてなしする私。
まぁ、結構嬉しい言葉も聞けたし、安いものである。