東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ブックシェルフは魔界上空を周回する、巨大な立方体だ。

 これは周期的な動きによって満遍なく各地を放浪するため、魔人などは時期を合わせてブックシェルフに乗り込む場合もあるのだという。

 内部は多種多様な本に満ちているし、何より常に移動し続けている。上手く使えば、楽に長距離移動するための手段にもなるだろう。

 実際、ちょっと前まではこのブックシェルフに乗り込んで旅程を組むような、気長な魔界人も居たらしい。

 ある時には、このブックシェルフのむき出しになった上部にまで人が溢れていたなどという記録も残っている。

 

「いい風ね」

 

 ブックシェルフの上部は、強風だ。

 比較的ゆっくりと魔界上空を移動しているとはいえ、その速度はなかなかのもの。

 電車の上に立つ程度の風が吹き付けることだって珍しくはない。

 

 だが、幽香は緑の髪を靡かせながら、風がやってくる方へ微笑んですらいる。

 彼女の纏う天性の魔力は、この程度の外圧など物ともしていないのだろう。

 

「このくらい涼しい方が、運動に丁度良さそうだわ」

 

 ぶかぶかの長ズボンと、同じ柄の赤チェックのベストが、風にはためいている。

 ……この風の中で悠然と立っていられる程の魔力だ。これを常時纏っていれば、多少の穢れなど簡単に跳ね除けてしまうだろう。

 ある一定の強さを獲得した魔族たちが皆そうであるように、彼女もまた、先天的な長命を持っているのだ。

 そして、長く生きてきたが故の、大きな力さえも。

 

「……ふむ。まぁ、最低限そのくらいでなくては困るのだが」

 

 私は幽香と距離を開けて向き合うように立っている。

 しかしこちらは完全な無風であり、ローブの裾さえピクリとも揺れていない。

 予め風に対する高度な防護の呪いをかけておいたのだ。というより、私の場合はこうやって保護をかけておかなければ、踏ん張れずに落ちてしまうのだが。

 

「さあ、このままエンデヴィナの景色を楽しむのも悪くはないが……そろそろ始めようじゃないか、幽香」

 

 私は両腕を広げ、高々と声を上げる。

 周囲はエンデヴィナ。魔界の中でもほとんど魔人や魔族の息づいていない、過酷な環境ばかりの人気ない土地だ。

 暴れるならば、この地域はまさにうってつけと言えるだろう。

 エリアを遷移する前に、始めなくてはね。

 

「ええ、そうしましょう。私も久々の腕試しで……」

 

 遠くに、向かい側に立つ幽香が指を鳴らすような動作をし。

 

「――随分と張り切ってるから」

 

 次の瞬間には、私の目の前で拳を振るっていた。

 

「“徒労”」

「!」

 

 幽香の熱を帯びた拳が、ほぼ知覚できないほどの速度で振り抜かれた。

 熱。そう、拳が熱を帯びている。それは紛れもなく魔力によって創られたものであり、非常に体術的な攻撃方法であることを除けば……まぁ、おそらく魔法と呼んでも差し支えのないものなのだろう。

 

 実際、熱拳は突き出したと同時に、莫大な量の風を周囲に撒き散らしている。

 常に強風に晒されているはずのブックシェルフ上部の煉瓦の隙間から、こびりついた砂埃さえも消し飛ばすほどの威力だ。

 近くに人がいれば千切れて吹き飛んでいることは間違いないだろう。それは、拳そのものの威力だけが生み出したものではない。

 

「当たっていたら、私は場外行きだったろうね」

 

 しかし、当たってはいない。

 確かに直撃を免れない速度で、距離で、しっかりと幽香は放ったのだろう。

 

 だが彼女は実際、“私が立つ場所よりもずっと手前で”拳を振り抜いたのだ。

 そしてあらゆる風や熱は無力化される。今の一撃は私には何の影響も及ぼしてはいない。

 

「――戻された?」

 

 幽香は不可解な攻撃の不成立を警戒してか、後ろに退いた。

 懸命な判断である。術が発動したと思しき位置に長居することほど愚かな選択はないからだ。

 まぁ、今回に限ってはそうでもないんだけど。

 

「“徒労”は近づいたものを擬似的な過去へ引き戻す。瞬間あたりの魔圧差の量で自動発動する魔法だ。発動時間はそう長くないがね」

「……」

 

 私は説明したが幽香は不機嫌そうな顔で無言の魔弾を放ってきた。

 振るわれた手から射出された黄緑色に発光する力の塊。直撃すれば人間程度であれば即死するであろう威力は込められている。

 

「“打ち据える風”」

 

 私はそれに、木属性の初歩的な魔法で迎撃した。

 指向性のある風を射出する魔法。だが、適当な魔弾を破壊するにはこれでも十分。

 

「!」

 

 魔弾は私の寸前で千切れて消失し、その後方に立つ幽香……は、素早く横に動いて回避した。

 ふむ、このくらいの風であれば簡単に避けるか。そうでなくては。

 

「なるほど。単調だったり、小手先の技は効かないというわけ」

 

 幽香はどこか楽しげに笑っているが、今度はこちらの番だ。

 生憎と、強さは雰囲気よりも現物で見せてもらいたいタチなのである。

 

「“疾走する火砲”」

 

 幽香に向けた指先から、巨大な火の玉が出現し――瞬きする程度の時間のうちに、彼女へと射出された。

 速度と効率を重視した初歩的な火属性魔法。しかし出の速さと汎用性の高い破壊力は利便性に富み、戦闘向きの魔法の中でも特に扱いやすいものである。

 

 そして着弾。寸前までしっかりと目で追っていたが、幽香は避ける素振りを見せなかった。あるいは余裕ぶり過ぎていたせいで回避もできなかったのか。

 あわれ幽香。あなたの挑戦はここで終わってしまった。

 

「ま、どうせこれくらいなら頑丈さで耐えるんだろうけどね」

 

 赤黒い爆炎は轟音とともに膨張し、煤けた靄が広がり――そしてそれらはすぐに強風によって、真横へ流されてゆく。

 

「――そういうことなら、最初から出し惜しみはできないということね」

 

 そこにいたのは、幽香だ。

 

 しかし、私が予想していた、火砲によって多少の傷を負った姿の幽香ではない。

 

 火砲を防いだであろう“白い日傘”を広げた幽香が、無傷の状態で立っていたのである。

 

「ほう、無傷。それに、傘は見えなかった」

「……ねえ、私は本気で来なさいと言ったはずよね?」

「うん?」

 

 幽香が傘をさしたまま、冷たい目をこちらに向けている。

 

「あなたはもっと強いはず。何故このような弱弱しい攻撃で突いているのかしら。馬鹿にしているの?」

「はは、何を。そんなことはない。私は至って本気だとも」

 

 腕を軽く広げ、私は笑った。

 

「私は本気の魔法で貴女に勝ちたいんだ。貴女が魔法を使うたび、私はそれを上塗るほどの魔法で跳ね返すのだ。私は魔法において、常に貴女の上をゆく。それを証明してみせようというだけのこと」

「私の全てを、超えると?」

「そうとも。私は偉大なる魔法使い、ライオネル・ブラックモアだ」

 

 そう、私は最も強い魔法使いだ。

 

「本気を見たければ、出させてみなさい。希望があればこちらに提示するといい。望むもので返してあげよう」

「……面白い」

 

 幽香が傘を閉じ、片手に持ったまま歩きはじめた。

 

「なら、私に見せなさい。あらゆる点で私を上回るという、あなたの力とやらを」

 

 あれは傘だ。しかし、それが剣か何かの武器であるような錯覚を覚えてしまうほど、歩み寄る姿には気迫が篭っている。

 どうやら、これからは幽香も力を出してくれそうだ。

 あの傘もまた、幽香の力の一端なのだろう。

 

 そうでなくてはね。

 私のほうが上なのだ。私に力を出せというのであれば、そちらから出さなくては始まらない。

 

「現代魔族の力をもっと見せてくれ。そして、私もその力に応えよう」

 

 ふむ。相手が手に得物を持つならば、こちらも得物を構えるのが礼儀だ。

 

「“不蝕不滅”」

 

 魔力が擬似的な像を結び、空中に杖の実体を生み出す。

 一見すると黒い木製の杖。

 しかしこれは、依代を無しに創り出された魔法の杖だ。

 そしてこれは魔力が供給される限り破壊されることはない。

 

「さあ、きたまえ」

「その見下した余裕、すぐに崩してあげるわよ」

 

 お互いに多少の格を認め合っての第二戦が始まった。

 

 


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