東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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尺度の違う者達

 

 庵の中は、魔法使いらしい生活臭に満ちている。

 独特の薬品や乾物の香り。

 魔法使いが人為的に成そうと思わなければ作れない香り。これまで長い間旅を続けてきた私にとって、そんな香りの漂う部屋というのは、久々に安心できる環境だった。

 

 臭いか臭くないかで言えば、臭いのだ。

 身体に良いか悪いかで言っても、悪いと断ぜるだろう。

 それでもこの香りは、魔法の理解者がいる証であり、魔法を解さない人間のいる空間ではないという証明になる。

 

 ……長く地上の魔法使いとして過ごしているうちに、私はそんなことを意識するようになってしまった。

 普通の人間と、魔法使い。その違いを。溝の深さを……。

 

「はい、お茶どうぞー」

「! あら、ありがとう」

 

 出されたお茶は、何の変哲もない薬草茶だった。

 ……イギリスには長く居たけれど、紅茶は見かけていない。

 何故かしら……紅茶といえばイギリスのはずなのに……一体どこにあるのやら。

 まあ、ハーブのお茶も美味しいし飲み慣れたから、構わないのだけど。

 

「ん、美味しい」

 

 それに、この人の淹れたお茶は、とても美味しかった。

 

「ふふ、ありがと」

 

 ……嬉しそうに微笑む女の子。

 背丈は私よりもずっと低いし、どこか幼い雰囲気もある。

 けれど、私はこの子が……この魔法使いが、長い時を生きている人物だと聞いて、ここまでやってきた。

 

 エレン。

 国に仕えていない在野の魔法使いであり……古くから存在していると言われている不思議な人物だ。

 こうして直に向き合うまで、存在自体もあやふやだったけれど……ようやくたどり着いた。

 

「会えて嬉しいわ、エレンさん」

「あら、知ってるの?」

「もちろんよ。でないとわざわざ、ブリテンからここまで足を運ばないもの」

「ぶりてん……」

 

 軍事的に危うい国境を跨ぐのは、魔法使いであっても手に汗握るものがある。

 もちろん、ライフルの存在しないこの時代の軍人に遅れをとることなどありえない。

 人間のお粗末な手斧と隊列では、私の生み出すゴーレムや人形を退けることなど不可能だろう。

 それでも、怪しい者であると無意味に迫害されたり、襲われたりするのは疲れるのだ。

 どこにいっても人々は殺気立っているし、落ち着いた旅路とは言えなかった。

 

「エレンさん。貴女は、とても長い時を生きた魔法使いだと聞いているわ」

「え? うーん……そう、なのかしらねえ?」

 

 とぼけちゃって。魔法使いの都市では周知の事実よ。

 

「伝え聞いているのよ。様々な場所からね。……人の社会に溶け込みながら、助け……ときには妖魔を退けたりもしているって。……ね」

 

 そう。彼女が昔から生きているのは間違いない。

 うっすらとではあるけれど、かつてルイズさんやライオネル……さんと共にイギリスを回った時にも、その名は聞いているのだから。

 

 ライオネルさんは言っていた。エレンという魔法使いが居たと。

 そしてそのエレンという魔法使いは、驚くくらい……それこそルイズさんよりも、ずっと魔法の扱いに長けているのだと。

 

 ブリテンでその名を再び聞くまでは、長らく忘れていた事だったわ。

 

「エレンさん。私は貴女の知恵をお借りしたくてここまでやってきたの」

「はあ、知恵」

「長い時を生きる貴女であれば、知っているはず……いえ、絶対に知っていることなの」

「うーん、どうだろう。私、忘れっぽいからねえ……」

「……もちろん、タダでとは言わないわ。情報代になる代物は持ってきているし、損はさせないつもりよ」

「あら、何かくれるの?」

「もちろんよ。知恵を貸していただけるなら、すぐにでも渡せる用意があるわ」

「あらっ。楽しみね! なんでも聞いて?」

 

 ……この人、長生きなわりに結構気安いわね。

 今更だけど……本当に合ってるのかしら……いえ、そんなこと言ってられるタイミングでもないか……。

 

「……聞きたいことはね。ドラゴンについて、なんだけど」

「はあ、ドラゴン」

 

 反応が薄いわね。

 ……この地方ではそうでもないのかしら。

 

「あの……そのね。ええ、以前聞いた話で、エレンさんはドラゴンと出会って、退治したという話を聞いたから……それで、ドラゴンについて助言を貰おうと、思ったんだけど……」

 

 空振りかしら。所詮噂は噂なのかしらね。

 

「退治したことあるわよ、ドラゴン」

「そう……ってええ!? 本当に!?」

「うん。というより、退治した所に居合わせただけなんだけどね?」

「そ、それで十分よ。……良かった。伝説は本当だったのね」

 

 驚いた……まさか本当にドラゴンを退治したことがあったなんて。

 未だかつて誰も成し得たことのないドラゴンの討伐。あのメルランでさえ達成しなかったという、偉業……。

 まぁ、あの骸骨を除けばなんだけど……あの人は除外ね。うん。

 

「……それで。エレンさんと一緒にドラゴンを退治した人って……どういう人?」

「ライオネルって人よ。とっても痩せてる、声だけダンディな人」

「…………あ、そう……」

 

 知ってるわ、その人。

 なんなら私も一度見てるわ。そのドラゴン退治……。

 

「見ていただけだから、退治の仕方なんてほとんど何も知らないわよー?」

「……そう、なんだ。残念だわ……」

「弱点や追い払い方くらいだったら知ってるけど」

「え、本当に? んー……目的とは違うけど、聞きたいかな……」

「良いわよ。簡単だし教えてあげるわね」

 

 エレンさんはドラゴンと出会った時の対処法について、とても親切に、細かいところまで教えてくれた。

 使うべき魔法。身の守り方。嫌がるようなもの。などなど……。

 

 ……とても親切な人だった。

 対価をぶらさげて聞き出そうとした私が、卑しく思えてしまうくらいには、欲がない人だった。

 

「……と、こんなところかしらねぇ」

「ありがとうございます……とても、ええ。とっても参考になったわ」

 

 少しだけ講義を聞けば、私でもドラゴンを……というより、ドラゴンから逃げる方法は身につけられたと思う。いざという時には、この知識も役立ってくれるかもしれないわね。

 

「でもアリス、どうしてドラゴンのことなんて聞きたかったの? そんなに出会うことのない生き物なのに」

「あー……うん……」

 

 ……ま、いっか。

 

「実は、ドラゴンの……素材をね。鱗とか、血肉でもいいし……そういったものを、集めたくて」

「ドラゴンの素材ってこと? 珍しいものを欲しがるのねぇ」

「うん。……ほら、ドラゴンって……ものすごく長い年月を生きていて、私達よりもずっと昔の血筋だって言い伝えがあるじゃない?」

「そうなんだ」

「そうなのよ。……それがあれば、自律人形を創る上で良い触媒になると、思っていたんだけどね……」

 

 ドラゴンを倒せるほどの魔法使いなら、その素材を持っているかなと。そんな甘い希望に縋って訪ねてきた。

 けれど、そう上手くはいかないみたい。あわよくば物で釣ってとも思ったけれど、無いんじゃね……。

 

「……はい、魔法用の触媒……稀少な菌糸と粘液。情報料として持ってきたけれど……腐らせるのもあれだから。エレンさんにお渡しするわ」

「あら! 良いものばかりじゃないの! 良いの? こんなに。こっちのは十ヶ月も醸造したやつみたいだけど」

「ちらっと見ただけでよく……良いんですよ。なんだか貴女に対して交渉とか、駆け引きとか……そんなことを考えてると、嫌になっちゃうもの」

「そう? じゃあ遠慮なくもらっておくわね! うふふ、静電気少なめで助かるわー」

 

 触媒の価値を一瞬で見抜いたエレンさんは、それはもう嬉しそうに跳ねながら、それらを棚に収納していった。

 ある程度の原始的な防犯魔法(といってもかなり微弱な)が掛けられた棚にはいくつかの素材が収められており、それらには確かな使用感を感じられる。

 

 ……そこそこ長い間、ここで暮らし、店を開いている証拠なのだろう。

 

 ……かつて……私に魔法を教えてくれたあの人も、同じように店を開いていたわね。

 あの……。ええと……確か……。

 

 ……ああ、もうっ。

 

 なんで!?

 

 前は、前は思い出せたはずなのに!

 

 

 

「あの、どうしたの? アリス、顔色悪いわよ?」

「! ご、ごめんなさい」

 

 気がつけば、少し険しい顔で考え込んでしまっていたみたい。

 ……眼の前に新しいお茶が注がれるまで気が付かなかったなんて。

 

 身勝手なお客様ね。私……。

 

「……美味しい」

「ふふ。おかわりしていってね」

「……エレンさんは、凄いわね」

「え?」

 

 私が少し自嘲気味に言うと、彼女は無垢な表情で首を傾げた。

 

「私のような怪しい魔法使いにも、こうしておもてなしができて……それに、お店を開いて近くの人間の手助けもしているんでしょう? ……素晴らしいことだわ。社会に溶け込んで、人のために魔法を使って……私には到底、真似できそうもない」

 

 私はまだ、自分のことを考えるので精一杯だ。

 人のために魔法を使う。そう思ったことも少なくはない。けれど、一般人と魔法使いの感覚は、どうしてもすれ違うばかりで……疲れてしまう。

 ブリテンの魔法使いが派閥でガチガチに固まり始めたのもあるけれど……今ではすっかり、孤独な隠居生活だわ。

 

「そんなことないわよ」

「え?」

 

 エレンさんは自分の分のお茶を注ぎながら、優しく微笑んだ。

 

「私だって、人とは適度に距離を保ってるわ。嫌いじゃないし、好きなのよ? だからこうして、人気の無い土地にお店を構えてるんだけどね」

「で、でも。エレンさんは人を助けているって、そういうことばかり聞いているし……人々に受け入れられているんじゃ? この辺の土地でも絶賛されているって……」

「あはは。まあその、私も昔やったことなんて忘れちゃってるから、いまいちはっきりと言えないんだけど」

 

 “どんなに人のためにはたらいて、魔法を使ってもね”。

 エレンさんはそう言ってから、ほんの少しだけ寂しそうに目を細めた。

 

「……私がこうして点々とお店を移しているのは、やっぱりそういうことなんだと思う」

「……?」

「うふふ、ごめんねアリス。私も寂しいことは、よく覚えていないから」

 

 

 

 薬品臭い、魔法使いの小さな庵。

 けれどその中で、ほんの僅かに漂う、ハーブティーのほのかな香り。

 

 それは魔法の品々や触媒で溢れかえったこのお店の中で唯一の、ごく僅かに残る、人間らしい香りのように、私には思えた。

 

 


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