東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 しばらく登山に勤しんだ。

 

 そう高くも険しくもない山である。目的地も山頂というわけではなかったので、ちょっとしたハイキング程度の運動であった。

 が、これまでずっと全速力で移動し続けてきた油屋一行にとっては大した重労働であったようで、寺につく頃には全員が息を切らし、汗だくの悲惨な状態となっていた。

 

 少しは休んでから行けばよかったのに……。

 それは呆れている私の他、商人の爺さん以外の全ての付き人が思っていることだろう。

 

「おい! 命蓮! 命蓮はおるか!」

 

 爺さんは怒りの分だけ元気も前借りしているのか、ばてているわりには大きな声を張り上げた。

 広く、そこそこ美しいように見える木造の本坊。周りに人の気配はない。

 

 だが、ここに命蓮が居る可能性は高いだろう。

 なにせ、このお堂のすぐ隣に、例の空飛ぶ蔵が鎮座しているのだから。

 

 

 

 爺さんが恨めしそうな目で蔵を睨んでしばらくすると、ぺたぺたと床を歩く音が聞こえてきた。

 

「おー、なんだなんだ」

 

 そして軽い声。何か口に含んでいるのか、どこか曇ったような男の声だった。

 

「んー? いや、本当になんだこれは。随分と大所帯なお客様じゃないか?」

 

 奥の廊下から歩いてきたのは、若い男であった。

 紙を張り合わせて作ったような粗末な衣服に、適当に切ったような散切りの頭。

 どうも、喉元をぼりぼりと掻きながらやってきたその男こそが、命蓮であるらしい。ぷるぷると震えている油屋の老人の背中がそう言っていた。

 

「貴様ー! これは一体どういうことだッ!」

 

 老人は傍らにある大きな蔵を指さし、憤る。

 

「ああ。いや、それにしても塩味のきいたこの豆もなかなか良いもんだな……」

「聞いとるのか!」

 

 よく見たら小脇に皿を抱えている。どうやら枝豆を味わっている最中だったらしい。

 

「一つ食うかい? 空海だけに。アッハッハ」

「貴様それでも坊主か!?」

 

 そしてこのフランクさである。

 口が悪いというよりは、態度が軽すぎる御仁のようだった。

 

 が、私にはわかる。

 彼の周囲に渦巻く待機魔力が、この時代の人間にしては非常に細かな精度によって統治されていることが。

 

「あー、すまぬすまぬ。まぁちょっとした冗句だ。それで、皆様方は私に何用かな? 見た所、そちらのお方は長崎の長者とお見受けするが」

 

 命蓮は私達をぐるりと見回した後、縁側までやってきて腰を下ろした。

 その際、私の方に向けた目がほんの僅かに細められたが、向こうも何かを感じ取ったのかもしれない。だとしたら勘がいいことだが。

 

「何用だと? そんなもんわかっておろうが! あれだ! 貴様の托鉢が私の蔵を持ち上げ、奪い去ったのだぞ!?」

「ああ、あれか。いや、こちらも驚いたのだ。随分と気前の良く喜捨してくれる方がいるな、と。いやしかし、それも長者殿であれば納得……」

「ふざけるな!」

「いや別にふざけてはおらぬ。至って真面目だが」

 

 彼の言う通り、命蓮の顔は至って平静である。

 言い方はフランクであっても、冗談めかした様子は無い。

 

「ともかく、蔵を返してもらう! 鉢に乗せてここまで飛ばしたのだ、その逆も可能だろう!?」

「いや、それはできぬ」

「何を……!」

「できぬったらできぬ。あの蔵は、既に正当な形で喜捨を受けたものであるがゆえ」

 

 長者の要求に、命蓮は一歩も譲らなかった。

 鋭い目が真っ直ぐに向けられ、長者の勢いも僅かに削がれる。

 

「あの托鉢は、我が法力によって飛ばされたものだ。人の手によって托鉢の上に与えられた私物は、何であれこの信貴山まで運ぶよう力を込めてある。……大方、長者殿が鉢を蔵にでも押し込んだのではあるまいか?」

「ぐぬっ……それは……」

「法力を纏った仏具を勝手に蔵に押し込むなど、罰当たりなことをしたものだ。その上、蔵を返せとな。……あまりこのようなことを言いたくはないが、長者殿。仏は寛容だろうが、怒る時は厳しいものだぞ?」

 

 実際に法力を持つ者の言葉であるためか、老人は一歩も二歩も後ずさった。

 お付きのものは五歩も六歩も退いている。誰も他人のやらかしで仏罰など受けたくはないのだろう。私だって、それが効くかどうかはさておいて、罰なんてものは受けたくない。

 

「……し、しかし……その蔵は、儂の財産だぞ……」

「うーむ」

「の、のう。命蓮殿……返してはもらえぬか? な?」

 

 ちょっと強気に出られたらこれかい。殿なんてつけているし……絵に描いたような小物である。

 

「そうだのう。まあ、托鉢に直接乗せられた蔵は、一度喜捨されたもの。お返しはできかねるが……」

 

 命蓮が悩む素振りを見せつつ、蔵の戸を開く。

 中には、米俵がうず高く積まれていた。

 

「ここの中身であれば、蔵の中に入っていただけのものに過ぎん。そう解釈できんこともなかろう」

「お、おお……? と、ということは、命蓮殿?」

「蔵はできん。が、中身の米俵であればそっくりそのままお返しいたそう」

「おお! それはありがたい!」

 

 老人他、お付の人たちも喜んでいた。

 それもそうだろう。蔵だって確かに重要な財産ではあるが、誰も金庫そのものより中身の方が重要なのだから。

 

「いや、話せば分かると思っていた。命蓮殿、礼を言う。蔵は渡そう。であれば仏も喜ぶであろう。な? そうであろう?」

「うむうむ。大喜びであろうさ。こちらこそ礼を言うぞ、長者殿」

 

 二人とも手を取り合って喜んでいた。

 お爺さんは保身ができて一安心。命蓮はにこにこと人の良さそうな顔で笑っている。

 つい数分前の怒りっぷりが嘘のようであった。

 

「あー……じゃが、その、なぁ。この量の米俵ともなると、うむ……我々だけで運ぶには、少し……」

「ん?」

「いや、その……おいお前たち。この蔵の米俵を抱えて……」

「ちょ、ちょっとお待ちを旦那! さすがに我々だけでは、この量は!」

「一人二俵であればいけるだろう」

「無理です! 人死にが出ますぞ!」

 

 どうもこの爺さんはすぐにでもこの米俵を持って帰りたいらしい。

 が、量が量だ。この人数で山を降りながらというのは無理だろう。何回か往復する必要もありそうだ。

 

「ふむ……長者殿、お困りかな?」

「みょ、命蓮殿……いや、そう……だな」

「麓の辺りは、近頃盗人も出るという話だからなぁ。運ぶにせよ、貯め置きしておくのもあまりお勧めはできぬよ」

 

 その盗人とやらに心当たりはあるが、あえて口は挟まないでおこう。

 

「ぐぅ……しかし……」

「そうだ、長者殿。貴方は毎年ここに油を寄進している。どうだろう? 来年からの分、油の量を増やしてみるというのは」

「な、なんだと?」

 

 老人は意表を突かれたような顔でのけぞった。

 

「長者殿の油は実に良質だ。夜の読経や写経には大いに役立っている。が、今の所、その量は十分とは言えなくてな……その量を増やされれば、きっと、仏の加護もより強まる。さすれば、必ずや我が法力も、貴方がたのために発揮できると思うのだが……?」

 

 おっと、命蓮さんや。

 なんかちょっと生臭くなってきましたよ。

 

「そ、そうすればこの米をどうにかできるのか?」

「無論。私にはわかる」

 

 いい笑顔だな命蓮殿。

 気持ちはわかるぞ。営業の人が成果を持って返ってきた時も、そんな顔をしていたからね。

 

「で、では頼む! 油の量は増やしてやろう! 約束する! 今、誓書を……」

「や。そのようなものは要らぬさ」

 

 命蓮は爽やかな笑顔で、その右手を蔵へと向けた。

 

「神仏は常に我らを観ている。約束を違えれば、仏罰は必ず下るものさ」

 

 じんわりと染み入るような魔力が、波を打つ。

 蔵の中に押し寄せるそれは毎秒ごとに強まり、次第にはっきりとした影響力を結んでゆく。

 

「いざ、南無三!」

 

 発動した。静かなそれは、きっと私と命蓮だけが感じ取れたのだと思う。

 

「お、おお……!?」

 

 魔力によって浮き上がった米俵の一つが、独りでに宙に浮かびながら、蔵を飛び出した。

 そして二つ、三つと、米俵は後を追うようにして蔵を出て、宙に浮かんでゆく。

 

「お、おお、これが法力! なんという……!」

 

 浮かび上がった米俵が列を成し、山からはるか彼方へと飛んでゆく。

 それは、なんというかまぁ……蔵が空を飛ぶよりもずっとシュールな光景であったのだが。

 間近で奇跡を目にする彼らにとっては、それは素晴らしいことなのか、バンザイしたり飛び跳ねたりして大喜びしているようであった。

 まぁ、突如降って湧いた重労働から解放されたのだから、気持ちはわからなくもない。

 

 しかし何より、油長者の老人が喜んでいる。

 蔵こそ諦めざるを得なかったが、大きな問題の一つが片付いたからだろう。色々有耶無耶にされたりむしり取られたりしているはずなのだが、そんなことは些細なのか、列をなして飛んでゆく米俵を見てはしゃぐ姿からは、一つの不満も残っていないようだった。

 

「いやぁ、儲けた儲けた」

 

 それにしてもだ。

 まんまと蔵と油をせしめたこの若き生臭坊主。

 色々な意味で、只者ではないようである。

 

 


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