油商人一行は米俵を追うようにして、ぞろぞろと下山していった。
その足取りは、行きよりも随分と軽そうだ。
プラスマイナスで言ったら確実にマイナスなんだけどね。まぁ、下りの山というのも疲れるものだし、気付くまでは軽く安らかな気持ちのままでいてもらいたいものだ。
「しかしこの豆、美味いなぁ」
で、なんやかんやあって年間の油取引をかなり優位に進めた、この命蓮という若き坊主。
先程から私が贈呈した枝豆をもりもりと美味しそうに食べているのだが……。
魔力の方はあまりリラックスしていない。わずかでも、いつでもこちらの動きに対処できるような、そんな力を漂わせている。
ふむ。これはつまり、私に対して何かしらの警戒心を抱いているのだろうか。
まぁここに残っているのももはや私だけだし、なんだこいつと思って当然ではあるか。
「そんなに警戒せずとも、別に私は怪しい者ではないよ」
「……」
ぴたりと、枝豆を食う手が止まる。
止まったまま、命蓮は目線だけを私に向けて、しばらく考え事をしているようだった。
「お前さん、よくそれで麓の者らにしょっ引かれなかったな」
そして随分辛辣なことを言われてしまった。
「下にいるのは皆良い人達だったよ。飛んでる托鉢のことについても教えてくれたしね」
「うむ。まぁ年寄りが多いせいかここまでは滅多に来ないが、温厚な人たちばかりだな。近頃は物騒だが」
「山賊のことかな。二人組でいた連中なら、ここに来るまでに懲らしめてやったよ」
「ほお?」
枝豆の殻をまとめて掴んでそこらの茂みに投げ捨てると、命蓮は面白そうにニヤリと笑った。
「つまりお前さんはあれだな。この豆を私に喜捨した者だな?」
「おっと」
何故わかったのだろう。
「皿だ。こんな美しく白に発色した器など、そうそう使われたり出回ったりするものでもない。それを美味いとはいえ、豆の容器として扱うなんて真似、あまりにも可笑しかろうよ」
私が疑問に思っていると、命蓮は先程まで枝豆を入れていた白い陶器の皿をひらひらと扇ぐ。
「で、お前さんの姿。それも可笑しい」
「ええ……」
いや、確かに浮いてはいるだろうけども。言うほどか? 言うほどなのか……。
「可笑しいものが立て続けに一緒にくれば、自然と繋がるさ。そう間違うことの多い話じゃない。実際、この皿や豆だって、そうだろう?」
「うむ。まぁ」
「ほれ当たった。ははは。いや、感謝するよ。久々に贅沢な塩味を楽しめた。嬉しかったよ」
命蓮はとても爽やかに笑った。
その笑顔を見て、私は悟る。きっとこの男は、誰からも好かれるような人柄なのだろうな、と。
「油座の連中は、どうも寺社全体を見下してるところがあってな。まぁ、夜の読経や写経には欠かせないものだし、事実、腑を握られてるところもあるのは確かなんだが。それでもこっちも必要な分だけ欲しているわけだし、それが年々減らされたり質を落とされたりするのは、たまったもんじゃないし、酷い話だろう?」
「そろそろどこかで言ってやらねばなと思っていた頃合いだったのだ。幸か不幸か、向こうから土産を持ってやってきてくれたがね」
「ははは」
飛倉はしっかりとした校倉作りだった。上手くメンテナンスしながら使えば、かなり長いこと保つだろう。
この施設ひとつ取って見てみても、油屋の儲かり具合を察することができそうなものだった。
「命蓮殿は、夜間もその、修業かな。やっているのかい」
「もちろんだとも。私は寝ても覚めても、明けても暮れても修行だよ。だからこそ法力で托鉢を飛ばしているわけだしな?」
なるほど、それもそうか。
面倒くさがりかと思っていたけど、ずっと修行するためにそうしているということは……フランクに見えて、本当に熱心に修行しているお坊さんなのだろう。
「ま、それをよく思わん連中も多い。疑問に思われるのは慣れたさ」
「おっと、すまないね。気にしていたかな」
「構わん。長いこと山で暮らしていると、人がどう思っているかなど興味もなくなるのさ」
なにかとても共感できるようなことを言いながら、命蓮が蔵から出てきた。
中の掃除もあらかた終わったのだろう。髪は少し埃かぶっていたが、どこか満足げな様子だった。
「さて、せっかく信貴山まで来られたのだ。えーと……お前さん、名は?」
「私のことは石塚と呼んでもらえれば」
「ふむ、石塚殿か。では石塚殿、こっちに来られよ。見せたいものがある」
命蓮はニヤリと微笑んで、私を寺社の奥へと案内した。
石畳だったり丸木の足場だったり、雑然とした小道を踏みしめてしばらく歩いてゆくと、ほとんど自然のままの藪を抜けたその先で、石造りの厨子があるのが見えた。
小さめで、簡素な厨子である。しかし自然の中にぽつんとあるそれは、大きく立派な寺社よりも神秘的な雰囲気を漂わせている。
「この中に、毘沙門天の小さな像が納められていた。なんでも、厩戸王が手ずから彫ったものなのだそうだ。信貴山の名の来歴からして出来過ぎと思わんでもないのだが、まぁ一応のところ、私ら信貴山の者はここから始まった信仰を受け継いで、今に至る」
毘沙門天。要するにクベーラである。
そういえば戦があった時も、クベーラはこの山で蘇我氏の応援をしていたんだっけ。いや、あれはもうほとんど観戦だったか。
だとすると、ふむ。こうして毘沙門天への信仰が山に根付くのも、不思議なことではないな。
「一応聞いておこう、石塚殿。お前さんは信貴山へ、何の用があって来たのかな」
命蓮の真剣な眼差しが、私の方へと向けられる。
「共に修行をしようというのなら、大歓迎なのだがね。でも、そうじゃないんだろう? なんとなくわかる」
「まぁ、そうだね。正直なところ私は神や仏にはあまり興味はない」
「では何故。正直、お前さんが妖怪の類じゃないのかと気が気でないのだが」
「ああ、それは平気。れっきとした人間だから、それは安心してほしい」
もちろん、目的はもうちょっと色々あるのだが。
しかしそうか、まずそんなところで疑われてしまったか。
「なんだ、であれば安心なのだが……ではその珍妙な面を取ってもらえるか?」
「ああ、それもそうだ。はい」
というわけで腹を割って話そう、という感じに私は仮面を取ったのだが。
「ええ……」
命蓮がフリーズした。
「あれ。あっ」
そうだ、私の素顔も大概なもんだったわ。
「いや、こう見えて私も人間でね」
「……うむ。あまりにも軽々と見せるものだから、何も隠し立てしていないのかと思ったが……なんだ、驚けばいいのか懲らしめればいいのかわからなくなってきたぞ」
「混乱させてごめんよ。とりあえず、私の話だけでも聞いてもらえるかな」
「おう、そうするかなあ……とりあえずなあ……」
命蓮は複雑そうな、ものすごい渋い顔をしていたのだが、怒るなり殺気立ったりするには少し機を逸してしまったのだろう。
彼は状況に流されるようにして、ひとまずは私の話を聞いてくれることになったのだった。