「おーい石塚殿ぉ!」
バーンと戸を思い切り開け放ち、命蓮が部屋に入ってきた。
私は執筆の真っ最中だ。それも環境魔力の介在を許してはならない精密作業の途中である。それが今まさに崩れ、およそ二日分の作業が水泡に帰したのであった。
「開ける前に声をかけてほしかったな……なんだい、急に」
せめて二日分の作業を挽回するだけの急報であってほしいのだが。
「托鉢に珍しいものが乗っていたのだ。とりあえず、見てくれないか?」
「ふむ?」
随分と嬉しそうに話す命蓮の様子にちょっと疑問を抱きつつも、私は中途半端になった改稿作業を置いといて、ひとまず外へ出てみるのだった。
「こんなものが届いておったのだ」
「ふむ」
寺の前に鎮座する托鉢。おそらく今しがた戻り、ここへ着陸したのだろう。
その上には、よくわからない魔法物体が置いてあるように見えた。
「どうだ、石塚殿。この物体、どのように見える?」
「……」
随分と楽しそうだが、ふむ。私の反応を見て楽しみたいんだろうな。
「どのようにって、言われてもな」
私の視界に映っているのは、一見すると岩の塊のように見える。が、それはあくまで無抵抗な状態で観察した場合の虚像であって、実像は全く異なるものが見える。
それは非常にシュールなことになっているのだが……。
「私はこのやってきた托鉢にな、白い布が被さっているのが見えたのだ」
「ほう」
「それを払い除けたらこれだ。どうかね、まさか中にこのようなものがあるとは、思うまいよ」
「うむ」
命蓮はテーブルクロスに使えそうな程の白い生地を手に、どこか得意げに語っている。
きっと彼も、このクロスの下に見えるものの正体が解っているのだろう。なかなか強い力を持っているのだし、きっと間違いない。
「ちなみに、命蓮には何が見えるのかな?」
「私か」
命蓮は楽しげな表情のまま、腕を組み、托鉢を見つめて考え込んだ。
「そうだな……壊れ果てた毘沙門天が見える、かな……」
「ほほう? 壊れたものか」
「うむ。それも、保管してあるやつだ。それがどういうわけか、酷く傷つき……何者にやられたかわからないような不可解な壊れ方をしておるのだ」
なるほど、興味深い。
「私の目には、岩が見えるよ」
「岩。ほう、石塚殿には岩に見えるのか、これが」
ああ、見えるとも。
魔力による看破を廃してやれば、くっきりと。
「斑に銀色の金属を含んだ……表面が熔けて、なだらかになった岩だ」
これはきっと、隕石だろう。
私があの時、……まだ恐竜がいた時代、アマノが生きていた時代の……その終わりとなったきっかけ。
天からやってきた、理不尽な侵略者。
『――クケケケ』
どこからか響くような笑い声が聞こえ、托鉢の上の岩がぐにゃりと形を変える。
……おっといけない、魔力を込めて観察しては駄目だ。それは趣旨に反する。
「おおっと……これは……」
私の横で、命蓮が一歩も二歩も退いた。
ふむ、確かに今この托鉢の上にある物体からは、不穏なまでの魔力の放出を感じる。
かなり強大な方だろう。しかし、彼にしのぎ切れないものとは思えないが……。
「……身内の者が見える。その、無残な死が」
「ほう」
命蓮の身内の死。なるほど。恐怖のサインとしてはそれ以上に純粋なものもないだろう。
「おおこれは、なるほど……少し侮っていたやもしれん。結構、くるな」
「……恐怖しているかい、命蓮」
「ああ、かなりな……揺さぶられるぞ、これは」
と言いつつも、托鉢の正体不明なものに隙を見せているわけではない。
動揺はしていても、いつでも魔力を束ね、反撃できる姿勢は固持している様子だった。
だからこそ、この正体不明は未だに動けていないのだろう。私達の隙があまりにも少ないから。
「……さて」
この托鉢に乗ってやってきた代物。
命蓮は面白半分でこれを評価し、私にも見るべきだと言ったわけだが……彼もさすがにここまでの妖力を秘めたものだとは思わなかったのかもしれない。
「まあ、確かに珍しいものではあるけどね」
托鉢の上に乗る禍々しいその物体は、より深く精密に探査すれば、人型であることがわかる。
托鉢に乗り、身動きできぬことを代償とした妖術の全開放を行うことで、見るものに強い影響を与えているのである。
おそらく、与えているのは恐怖だ。
その記憶を呼び覚ましているのか、あるいは知らない部分から呼び込んでいるのかは知らない。多少雑味があって、私には完全には作用しないようだったが、それでも確かに恐怖を与えるための力を放出しているのだと思う。
見て分かる通り、これは妖怪だ。
きっと自動で動く托鉢に乗じて、寺を襲いにやってきたのだろう。
しかし運が悪かったな。
どこの誰だか知らないが、お遊びをやめた命蓮であればきっとこの程度の妖怪、簡単に消してしまえるぞ。
「ふむ……」
が、命蓮自身があくまでこれを遊びの範疇として扱っているのであればそれを崩すのも無粋だ。
私も一緒に、この妖怪を使って遊ぶとしよう。
「……さて、どれどれ」
魔力的に無抵抗な状態を作り、妖術の直撃を受け続ける。
そうすることで私の心に眠る感情にまで術が染み渡り、そこで一度強く流れを生み回路の効率化を……いや違う、今はそういうことを考えるのではない。純粋に評価しよう。純粋に。
……妖怪の術が私の心に触れる。
すると、そこで発動条件を満たしたのだろう。妖怪の姿が私の視覚上で形を変えて、人型の像を結び始める。
『……』
「……なるほど?」
そこに立っていたのは、どこか懐かしい……以前の、生身を持っていた頃の私の姿であった。
まだ魔法など欠片も知らず、信じていなかった頃。その時代。ある意味でその未来。
……なるほど、確かに恐ろしいものだ。
そして考えてみれば、私にとってそれ以外の恐怖などありえないものだったな。
「石塚殿……何が見える?」
「これか。私には、自分が見えているよ」
無関心そうな顔。そうだこれだ。まぁ記憶ははっきりしているので忘れていたわけではないのだが、こうして不意打ちのように見せられるとなかなか、面白いものだ。
『な、なんでよ。なんであんたは私を怖がっていないの……? そっちの男は、確かに少しでも怖がっているのにっ……』
「フッ」
なんか昔の私があまりにもあんまりな口調で怯えるものだから、つい笑いがこみ上げてしまった。
「怖がっているよ、もちろん。しかし、わかりきった恐怖だ。確かに未知であり不明でもあろうけど、同時に理解していることでもある」
『わからない……どうして怯えない……! こんなに力を、開放しているのに……!』
「命蓮、もういいだろう。力を振り絞って、少し気の毒になってきた」
「良いのかい? まぁやるつもりだったが」
『ふきゃ!』
私がGOサインを出したその直後、托鉢が勢いよく横90°に傾いて、上に乗っていた妖怪を地面に叩き落とした。
その衝撃のせいだろう。私や命蓮を苛む幻覚はかき消え、妖怪の正体が明らかになる。
「い、いたた……ひぇえ、なんで! どうして二人して見破るのさ!?」
その正体は、背中に名状しがたい赤色と青色をした触手のようなものを生やした、黒髪の女の子の妖怪であった。
言っててよくわからない姿であるが、実際のところよくわからない格好をした妖怪である。
「はあ、もうおしまいか。石塚殿の嫌いなものがわかるかと思ったのだがなぁー」
「……そのために呼んだのかい、命蓮」
「ははは、悪い悪い」
これはちょっと……数日分の作業に見合うイベントかというと、微妙なところだぞ。命蓮殿。
「なんなのよこいつらー!」
そして完全にダシにされただけの謎妖怪の女の子は、一人悲しそうに怒り泣きしているのだった。