ぬえ、という名前らしい。この妖怪の女の子は。
「ああーん……ちょっと法力が使えるだけの奴かと思ったのにー……」
黒髪で、同じく黒のワンピースのようなものを着ている。
背中からは赤に鎌のような右翼が三枚生え、左翼には青い矢印っぽいものが三枚伸びている。
ぬえ。つまり、
というわりには、ただよくわからない翼? みたいなのをくっつけた人間にしか見えないんだけども。
ふーむ、これが鵺か。
よし、一応私の“日本妖怪図鑑”に書き留めておくことにしよう。
「おうおう、この妖怪。正体がばれては力がほとんど出ないようだなぁ」
「やべてー」
命蓮がいたいけな女の子のほっぺをつまんでグニグニやっている。
よく見たら指に魔力が込められてるあたりなかなか嫌なヤツである。
「昔は単純に強いだけっていう魔族、あーいや妖怪が多かったんだけどね。近頃の妖怪は特定の弱点があったりだとか、そのかわり能力や固有の魔術を持っていたりでなかなか面白いんだよなぁ」
「妖怪に面白いもつまらないもあるのかい、石塚殿」
「あっ、ちょっ、羽はやめなさいよバカ!」
「それやっぱ羽なんか」
魔族もまた、神族と同じように人間からの感情や精神を糧に力を得ている。
その傾向はどんどん強くなっているようで、中にはもう人間なしでは存在できない妖怪なども珍しくはない。
人間が現れてからというもの、なかなか激動の進化や変化が続いているようだ。
「良いかー、娘っ子。いや、ぬえといったか」
「ガキが娘扱いするな! あでででで、いや、しないでちょうだい、ください」
「托鉢というのはな、我々へのありがたい恵みであってな、人々の徳そのものでもあるのだ」
命蓮がグニグニとつねっていたほっぺから手を放し、法力で托鉢を浮かび上がらせた。
托鉢そのものは、なんら変哲のないみすぼらしい鉢である。欠けた部分も見られた。だが命蓮は、それを大事そうに抱えている。
「だから、そこに乗せられたものはなんであれ、ありがたーく頂かねばならん。それが鹿肉であってもな」
「……な、何? 食べるつもり? 妖怪を?」
ぬえが完全にドン引きした風に後ずさっている。
「ケケケ、これでも私は敬虔な坊主だからなぁ。自らの身を横たえて“食え”というならば、無碍にはできんのだよなぁ……」
歯を見せつけて手をわきわきさせておる。完全に不審者のそれだ。
そんな演技で妖怪が騙せるものかね。
「ひ、ひいいい!」
騙せるのか……。
「さーてどこから食べてやろうか……んー? その青い羽は柔らかそうだなぁ! んー!?」
「こ、ここ来ないでー! ていうか来るな! 正気かお前! 妖怪よこっちは!」
「こらこら、そこまでにしておきなさい」
「……なんだ止めるのか石塚殿。せっかくの面白い機会だというのに」
言いつつ、命蓮は托鉢に魔力を込めて空へと飛ばした。
あれはまたどこかで、誰かからの供え物を運んでくるのだろう。
「妖怪なんてさして美味いものではないよ」
「……食ったことあるのかい、石塚殿」
「もちろんある」
ないわけがない。
別に私は食わなくてもなんとでもなるが、単純な興味で物を食うことはあるのだ。
それは魔族だって例外ではない。
「でもやめておいたほうがいい。酷い味だし、無抵抗な人だと魂に傷がついたり、変容することもあるからね」
「……なるほど、魂がねえ」
二人でぬえのいた場所に目を向けると、そこには既に小さな妖怪の姿はなかった。
私達のやる気ない隙をついて、どこか遠くへと逃げ去っていったようだ。
まぁ、命蓮もあの妖怪を殺してやろうという気はなかったみたいだし、彼がそれで良いというのならば構わないのだが。
「人は人を喰うのも、妖怪を喰うのもいかん。だのに、妖怪は良いものだな。奴らはなんだって喰いよる」
「どうだろうね。なんでも喰うから、妖怪になってしまったのかもわからんよ」
「そういうものかね」
「俗説ではね」
もちろん私は信じていない。正しくもあるかもしれないが、決定的に必ずそうなるわけではないからだ。
そう考えるとやはり、この時代の人々は信仰や迷信など、とにかく先入観に影響される部分が多いのだろう。
「しかし命蓮殿」
「なんだい石塚殿」
「あなたは暇なのかね」
「ばれたか」
そりゃちょっかい出しにきた妖怪で遊ぶくらいだからね。わかるとも。
「なあ石塚殿。そんなに部屋に引きこもらず、たまには碁でも打ってくれないか」
「修行はいいのかい」
「碁もまた修行さ」
「二十五子置くのも?」
「それもまた修行」
どんな理屈なのだか。
とは思ったが、私も中断された執筆作業にすぐさま戻るのは少し気が乗らなかったので、しばらく囲碁に熱中するのであった。
もちろん勝利した。