大江山。その名を聞いて畏れぬ人間はいない。
少なくとも、ここしばらくは山に迷い込むような阿呆な人間は皆無と言っても良い。
“あそこはとても恐ろしいところだよ”とでも親がしっかり言い聞かせているのだろう。私達の存在がそれだけ広まっているという証だ。
悪い気はしない。
むしろ愉快だ。人間はそうでなくてはいけない。
しかし近頃ここへやってくる人間も、軟弱になってしまった。
珍しく
鬼の縄張りに放られるのが死罪そのものであるとでも吹き込まれているのだろうかね。
実際のところ弱虫を生かして返す趣味はないからぶっ殺すのは間違っちゃいないんだが、最初から子鹿のように怯えられたんじゃ楽しみも半減だ。
歯向かいもしない情けないだけの人間が増えてきて、それはそれで寂しいというか、良いように塵芥の処分を押し付けられているようで頭にくる。
まぁ、それはそれで嬲り殺しにするのも楽しいから、良いんだけどね。
しかし退屈なものは退屈だ。
山を縄張りと決めちゃいるが、人間どもが近づいてこないのではひどくつまらない。
であれば、縄張りを広げて麓の人間共にさらなる恐怖を与えるのが鬼の役目ってもんだろう。
そんなわけで、最近じゃきまぐれに山を降りては、人間の住処を荒らしたり拐ったりするのが楽しみの一つだったんだが……。
「姐さんやーい」
「あー?」
「
「いるよー、入ってきなー」
この日は珍しく、塒で酒盛りしている最中に仲間がやってきた。
鋼のような巨躯と側頭部に短い角を持つこの鬼は、私の塒を訪ねることを許された鬼の一人であり、酒盛りや人さらいなど“面白いこと”を共有する仲間でもある。
また何か退屈しのぎになりそうな話でも持ってきたのかね。
迷い人か。生贄か。雑魚妖怪共が歯向かってきたのか。
私は岩から削り出した大盃を人の骨塚に叩きつけ、意気揚々と立ち上がったのだが。
「なんかよー、変なもんが出来てるからよぉー。ちぃとこっち来てくれんかねえー」
「……あー?」
同胞から伝えられた言葉は、なんとも要領を得ないものだった。
所詮鬼ってのは、力ばっかしの妖怪だ。
小細工だなんだってのはあまり得意じゃあない。
もちろんどこぞの伊吹やら茨木やら、細かい妖術や謀を得意とする連中もいるっちゃいるが、それはごく少数。
大抵の鬼は殴って言うことを聞かせるだけだし、それで押し通すだけの力を持っている。そんな奴らばかりである。
報告しにやってきた鬼も同じ手合いである。
あいつが言うには“地面に大穴ができた”だとか“壊せない立て看板がある”だとか、わけわからん説明しかしないのだから困ったものだ。
んじゃあ私が直接見ときゃあ話は早いだろ。
そう思って、問題のあるらしい山の中腹にまでやってきたのだが……。
「大穴だねえ」
「だろ?」
それは確かに、一言一句説明通りの状況だったのだから笑えてくる。
土砂崩れのあった山の斜面には、ポッカリと黒い大穴が開いていた。
その縁には一枚の立て看板が刺さっており、なるほど、今も鬼どもがそいつをぶん殴っちゃいるが、少しも壊れるような様子はない。
大穴に看板。まさに言葉の通りだが……なんなんだいこれは。
「空を飛び回ってた
「ははぁ。それで、あの壊れない看板を殴ってると」
「今のところ、そういうことだ。俺もやってみたがよー、あの板、殴っても殴っても元通りになるんだよなぁ」
「お前もやったんかい」
大穴の縁にある看板は、今もなお鬼どもに殴られたり蹴られたりとされるがままになっている。
鬼の拳や蹴りだ。その力は凄まじいものだから、どうやらここらの土砂崩れも連中の看板殴りで起きたらしい。
だというのに、看板は殴られ吹っ飛ぶその直後、何事も無かったかのように破片が戻ってきて、再生してしまう。
崩しても崩しても元に戻る砂の山のような不気味さが、そこにはあった。
間違いなく何らかの高度な妖術がかけられているんだろうが……はてさて。
「おーいお前ら」
「あっ! 姐さん!」
私が声をかけると、力試しをしていた鬼どもが一斉にこちらに向き直った。
連中は好き勝手ではあるが、一応こういうところじゃ強い奴に従うだけの分別はある。
「その看板とこの穴、一体なんなんだい」
「見て下さいよ姐さん、この看板俺らじゃ少しもぶっ壊せねえんだ」
「姐さんもやってみてくれ! おらぁ駄目だった!」
今の今までずっと看板相手に暴れてたのか、こいつらは。
看板の内容とか、穴はどこのどいつが何したのかとか、色々あるだろうに……。
……全く……しょうがないねぇ……。
「おらっ、そこどきな! 私がそいつをぶっ壊してやるよ!」
「よっしゃ! やっちまえ姐さん!」
「星熊の力、見せたれェ!」
ひとまず、私も力比べに参加しようじゃないか!