東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 読経。精神統一。集中。

 それらは全て宗教的な意志の下に行われる修行ではあるが、そこに信仰さえ絡んでいなければほとんど魔法の修練と同等のものである。

 いや、同等は言い過ぎか。魔法への気づきの助けとなる……この表現がより正しいだろう。

 もちろん、神力と信仰の絡む力は魔法とは程遠いが、宗教を嗜んでいる人間は魔法を学ぶ下地が整ってはいるのだ。そして勤勉であるし、座し学ぶだけの精神的な余裕も兼ね備えている。

 だから私は、彼らのような僧侶を見守ることそのものに関しては、それほど苦痛には思っていない。少なくとも、都でお偉いさんのための装飾品を作っているよりはずっと。

 

 

 

「石塚様」

「うん?」

 

 明朝。まだ薄暗い明かりの中で、私は一人の坊主に声をかけられた。

 彼は年若い新入りだ。この信貴山では特に珍しくもなんともない、命蓮の武勇伝に惚れてやってきた類の者だった。

 

「どうしたね。私と共に魔力の含まれた朝露を集めにきたのかな」

「いえ……そういうわけではなく」

 

 なんだ、ほんの少しだけ期待していたのだが。

 

「石塚様は、妖怪に関する知識をたくさんお持ちだと……」

「そうだけども、何故こんな朝っぱらに」

「いえ……夜遅くではご迷惑になるでしょうし、この刻限ならばと……」

 

 別に私は何時だって構わないんだがね。

 気疲れしたら寝ることもあるけど、基本はずっと起きているから。

 

「まぁ……それで、聞きたいこととは」

「はい。橋姫という妖怪についてなのですが……」

 

 橋姫。なんだっけそれ。

 

「ご存知でしょうか……?」

「ちょっと待っておくれ」

「は、はい」

 

 思い出してみよう。どこかで見たな。

 ……いや、読んだか。陰陽寮で閲覧した資料の中にあった気がする。いや、間違いない。

 

 妖怪について編纂した資料がそこに存在していた。

 美しい文字と隠匿された著者名が印象的だった。内容は日本に存在する妖怪について、かなり主観的ではあるがより多くの内容をと書き留めていた。

 

 橋姫。その中にある記述だ。

 それは主に橋を根拠地あるいは依代とする地縛霊、あるいは女神、もしくは土地神のようなものであり、水を司るという。

 多くは嫉妬を司っており、別の橋を褒める、土地を褒めるなどによって力が呼び起こされるとかなんとか。

 

 ……自分で言っててなんだそれって感じだったが、まんまを説明すると若い坊主はいたく感動したようで、目を輝かせていた。

 

「おお……ありがとうございます! なるほど、嫉妬の妖怪ですか……」

「なんでまた橋の妖怪について?」

「いえ、詩にそうあったもので……以前に命蓮様にも訊ねたのですが、その際は“私より詳しいのだから石塚殿に聞け”と……」

「なるほどね」

 

 まぁ確かに私も詳しいと言えば詳しいけどさ。

 実際に妖怪を研究しているわけではないし、魔族の研究を専攻してもいないから、あまり頼られても困るのだが。

 

「我々は、身近な脅威たる妖怪について、より深く学ぶべきだと思うのです」

「そうなのか」

「石塚様はそうは思われないのですか」

「いや、私はどうでもいいな」

「……お詳しいのに、何故」

 

 そりゃ興味がないからなんだけども。

 心底不思議そうにしている彼を、その一言で納得させられるとは思えなかった。

 

「……妖怪の種類がどれほど存在するか。君は知っているのかな」

「い、いえ……どれほどなのでしょう」

「正解は二百種類だ」

「二百! それほどとは……」

「しかもこれは都の資料に存在する妖怪だけに限った数だ。作り話も多くあるだろうが……だとしても、実際には未発見、未研究のものを含めると、数は膨大になるだろう」

 

 妖怪の中には人間や普通の生物と同じように、交配によって生まれるものも多くいる。あるいは発生条件が緩く、起源を別としても同じ種として括ることのできるものもいる。

 だが、独特な条件によって発生する個性的な妖怪というものは、さらに多い。いわばそれは固有種だ。

 普通の生物にみられる固有種は短命故に子孫を残せず速やかに滅ぶ。

 しかし妖怪はそうではない。彼らは長命故に単独であっても容易に長期生存が可能だし、個体数が少ないゆえにカテゴライズされにくい。妖怪の固有種というものは、人間によって退治もされにくいのだ。

 もちろん己の存在を誇示しなければ恐怖を長期間植え付けることもできないので、その点はハンデとなる。一長一短だが、現状の固有種の多さをみるに、今の時代においてはそのスタイルも間違ってはいないのだろう。

 

「種類は無数に存在する。それらを研究して……一体どうするというのか」

「それは……対策を」

「種族ごとに、いくつ立てるつもりだい。百や二百かい。悪くないかもしれない。そういったやり方もあるだろう。が……私はあまり、効率的とは思えないな」

「うっ……」

 

 ちょっと言い過ぎたか。すまんね。

 

 私は彼の肩をぽんと叩き、軽く擦ってやった。

 

「とはいえ、一つの生活圏に留まっての話であれば、いくつかの種族に絞って対策を立てるというのも、悪い発想ではないと思うよ」

「そ、そうですよね?」

「うむ。だが理想は自らの魔法を極限まで修め、あらゆる敵を退ける力を身につけることだ。それならばもはや個別の妖怪について研究する必要もない」

「え? いやぁそれはどうなのでしょうかね……」

 

 いやそういうものだとも。対物ライフルやRPGだって人に向けて撃てば普通の銃よりも強いのだ。

 大は小を兼ねるし、タスキに長ければ端を縛って調節してやればいいだけのこと。

 

「というわけで、万能な妖怪退治に興味があるなら私が魔法について指導するが……」

「は、はは……それにつきましては、またいずれ……今は法力を学んでいる最中でありますから……」

「そうか……」

 

 なんだ、結局仏教か。君たちはいつだってそうだ。

 

 

 

「石塚様! 石塚様!」

 

 そんなこんなと長話をしていると、お堂の方から老年の坊主が飛び込んできた。

 今度は一体どうしたというのか。今度は神族の種類でも訊ねたいのか。

 

「大変です! 命蓮様が、命蓮様が……!」

 

 ……ああ。

 

 


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