東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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私が鏡と向き合った日

 

 弟が亡くなった。

 私のたった一人の肉親、命蓮が。ある日突然、物言わぬ亡き骸となって、それきり……動かなくなった。

 

 いつだって明るく、やんちゃで、人をからかって……騒々しかった命蓮は、もう居ない。

 あの子は口元を弛緩させた、あまり見ないような顔つきのまま、ただの物体へと変わってしまったのだ。

 

 葬儀は盛大に行われた。

 命蓮の死は多くの人によって悔やまれ、華々しく弔われた。

 私も彼に水をやり、抹香を摘み、経を唱えた。涙も流し……参列した人々とおなじように、また幾度も涙を流した。

 

 人は口々にこう語っていた。

 命蓮は立派なお人であったと。まことに聖人であったと。仏として我らを見守ってくださっているだろうと……。

 

 そう……命蓮はとても立派な聖人。それは間違いない。私もそう思う。誰もが、朝廷もが認めていること。

 だから、彼が仏に至っている……そう考えるのは、当然のことで……。

 

 でも……命蓮は……死に、動かなくなった命蓮は……。

 

 口元を緩くしただらしない顔で。

 身体は馬糞のような臭気を漂わせ。

 焼けば灰となり、脆い骨の欠片のみとなってしまう。

 

 ……それは時折山中で見かけるような獣の末路と何ら変わることのない姿だと、私には思えてしまうのだ。

 

 命蓮は、本当に仏に?

 至れたというの?

 ……本当に?

 

 ――ただ、死んだのではなく?

 

 

 

「……」

 

 夜に目が覚めた。

 近頃はいつもそう。眠気は早くやってきて、朝に起きる苦労が減る。そして、時折夜に目が覚めてしまう。

 ……そして暗い天井を見上げて、命蓮のことを想い、虚しくなってしまう。

 

「はあ……」

 

 起き上がり、戸を開け、夜風に当たる。

 身体に障る程度には冷たい山の外気が、寝起きの肌に突き刺さる。

 

 ……月明かりに照らされた私の腕の肌は、しわがれていた。

 

「……」

 

 何かの見間違いかとも思った。でも間違いなく私の腕はたくさんの皺があり……シミがあり……衰えている。

 月明かりだからこそ浮き上がる陰影に、私はどこか恐ろしい気持ちになってしまった。

 

「嫌……」

 

 手が震える。そして、怖くなる。

 醜くなった肌が。白髪の混じり始めた髪が。すぐに疲れ果ててしまう足腰が。調子の狂い始めた身体の全てが。

 

 私の死が、命蓮と同じような腐敗と骨だけの終わりが、もうすぐそこまで迫ってきているような気がして。

 

「私は、嫌よ……そんな……」

 

 堪らず、部屋から出る。

 死を恐れる衝動が抑えられなかった。

 動かなければ駄目だと。眠れば命蓮のように、私も死んでしまうのではないかという想いが、私を突き動かしていた。

 

「死にたくない……嫌……!」

 

 縁側を歩く。

 外から聞こえる虫の音色が、妖怪の鳴き声のように木霊している。

 

「どうすれば、どうすれば……」

 

 人は死ぬ。いつか死ぬ。必ず死ぬ。

 病で死ぬ。飢えで死ぬ。奪われて死ぬ。戦で死ぬ。老いて死ぬ。

 

 高貴な帝も、聖人も、戦士も、農夫も、老人でも赤子でもどのような人であろうとも。

 

 人は、いつか、必ず死ぬのだ。

 

「ああ、ああ……何故人は死ぬのですか。何故……命蓮ほどの聖であっても生きながらにして仏に至れぬというのに、何故……私はどうすれば……」

 

 でも、死にたくない。私は死にたくない。

 今まで培ってきた教えを捨てたくはない。でも、私はどうしても死にたくなかった。

 

 死後手厚く弔われようと、何人が私の亡き骸の前に涙を落とそうとも、それで私の生が報われるとは、到底思えなかったのだ。

 

「なにか……」

 

 何か。命を永らえさせるものは、ないものか。

 死を遠ざけるもの……薬……いいえ、そのようなものではなく。もっと根本から……。

 

「……あ」

 

 その時私は思い出した。

 

 かつて妖怪のぬえを蔵に匿った際、彼女がそこから去っていった直後の、蔵の中を掃除した時のことだ。

 

 命蓮はその時、石塚様と語っていた。

 

 

 ――飛倉の魔力が薄いと言っていたのは、中に安置してある魔導書のせいだろうね

 

 ――それで何か問題でも起こらないだろうな

 

 ――いいや特には。この山は魔力も潤沢だし、しまっておいて害になることはないよ

 

 ――むしろ出して、誰かに読まれる方が害になるということか。うむ、ならばこのままで良いな

 

 ――何を。読めば魔法使いになれる素晴らしい書物だというのに。

 

 ――厄介事の種にしかならんものさ。いつの世も、そういった類の代物はな?

 

 ――ううむ……まあ、それは否定はできないけれども

 

 

 ……魔導書。

 魔法使い……石塚様のような、命蓮の法力と似た力を操る人をいうのでしたか……。

 

 

 

 ――自己強化を極めて、頑強な肉体を手に入れてしまえば

 

 

 あれならば……。

 

 

 ――人の考える厄介など、自ずと遠ざかっていくと私は思うけどね

 

 

 飛倉にある、魔導書さえあれば。

 私は、死ななくなるの……?

 

「この、老いから……」

 

 暗がりの池に近寄り、月明かりに反射した私の顔を――年月に蝕まれた醜い姿を見て、息を呑む。

 

「……死から、逃れられるのですか……?」

 

 命蓮ですら、あの才気に溢れた聖でさえ逃れ得なかった死を遠ざけられるのだとしたら。

 それはきっと、仏の道ではなく……。

 

 魔道、であるのかも……。

 

 


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