東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 陰陽寮より派遣された一団は、予定通り翌日には廃寺の見える場所まで到着した。

 当然、妖魔が活発となる夜ではない。昼間ともなれば相手は防戦に回るだろうとも、ねぐらの位置がわかっている以上は、人間にとって視程を阻害されることもなく、相手の力も強まっていない日中の襲撃こそが最善だからである。

 

 果たして、寺に潜む妖怪らが異変を察知した頃には、既に陰陽寮の一団が廃寺を取り囲んでいた。

 

 寺の上空に立ち上る水煙のような白い蠢き。

 強力であろう雲入道のその妖力を目の当たりにして陰陽兵は色めき立っていたが、博士にとっては何ら難しい手合ではない。

 有効な対処法もあるし、力押しとなっても後手に回らないだけの実力や集団としての力もあるからだ。

 だから博士は周りにせっつかれるまま、悠々と廃寺へと乗り込んでゆく。

 

 さて、入道がいるとなれば他には何がいるのやら。鬼でなければ正面切って不利はないが……。

 彼はそのように考えていた。一応、鬼が出ようと蛇が出ようとも心構えはしていたつもりだった。

 

「ようこそいらっしゃいました」

 

 だが、そこに若く美しい尼僧が待ち構えていようとは、ほんの少しも考えていなかったのである。

 

 

 

 尼僧はいた。人間だろう。若い女である。

 

「騙されるな! 妖怪がいるぞ!」

 

 一瞬誰もがその美しさに目を奪われかけたが、傍らに立つ妖力を纏った存在に、解きかけた警戒を露わにする。

 数人。とはいえ、その少女らが持つ妖力は大きい。

 美しいが恐ろしい。そのような妖怪は枚挙にいとまがない。伝え聞くところの話しによれば、あの鬼ですら美しい者がいるのだという。

 油断させるために美女を装うは妖怪の常道だ。自然、陰陽兵たちの表情も険しくなる。

 

「皆、手出しはしないで」

「けど、白蓮」

「……水蜜。もしものときは、貴女の船で」

「……!」

 

 理知的だ。一見して、博士はそのように感じた。ただの妖怪にあるような粗暴な気配は一切感じない。もちろん、こちらを敵視していないわけではないが……。

 

「そこの尼! 何者か!」

 

 思索していると、隣から怒鳴り声が聞こえた。

 寸前までは後ろでオドオドしていた、立場だけは偉い小太りの男だった。相手の怯みを見て、押し込むに易しと断じたか。

 

「……私は……白蓮。白蓮と申します」

「この廃寺に潜む妖怪共は!?」

「彼らは……私が保護した妖怪たちです。しかし、共に修行する仲でもあります」

 

 妖怪が修行とな。博士はその響きがおかしく、つい笑ってしまった。

 虎の如き目を持った少女がその笑いを咎めるように睨んでいたので、すぐに引っ込めたが。

 

「馬鹿なことを申すな! 何を企んでいる!」

「何事も企んでなどおりません」

 

 どうやら押し問答が始まったらしい。奇妙な内容であるが故に興味も惹かれたが、しかし博士としてはそれよりも罠を疑っていた。

 あの尼は人間だ。それは違いない。

 しかし、彼女の周囲にいる妖怪達がどうも気になる。どちらかが力で従えているようにも見えないし、はて、どうしたものだろうか。

 

 相手の目的や素性が全くわからない。

 こうして時間を食っていては何か良からぬ展開に持ち込まれてしまうのではないかという、無根拠な焦りが生まれそうだった。

 

「事実、この一帯において妖怪による怪我人や死傷者は出ていません。あるいは、そのような事件でもあったのでしょうか」

「それは……聞いてはおらぬが、無いということはなかろうが! そもそも、そやつらは妖怪であろう!」

 

 どうしたものか。

 陰陽寮としてはとにかく目の前にいる面倒な尼僧を他所へ押しのけ、この寺にいる妖怪を始末したいと考えている。尼僧は色々と主張があるようだが、半分も聞いてはいないのだろう。

 対する尼僧といえば、はてさて。そればかりは博士にしても、どうにもよくわからない手合いなのだった。

 

 妖怪と人が共存しているのだろうか。

 そして妖怪が仏教を? まさか読経でも嗜んでいるというのか。

 陰陽寮側の高圧的な姿勢も性急だとは思うが、尼僧の方もまた主張することの規模が大きすぎる。どちらもこの場で解決するには無理があるのだが……。

 

「構わぬ、やれ! 妖怪共を討ち倒せ!」

「!」

 

 狼煙はより短気かつ勝機ある方から上げられた。

 ある意味当然だった。やるだろうとは博士も思っていた。

 

 妖怪を従える邪法使いの言葉など、耳を貸すだけ無駄。それは至極当然のことだからだ。

 そしてあの男が陰陽にそぐわない術を嫌っていることは、博士もよく知っている。

 ここで叩かない理由が無かった。

 

「白蓮逃げて!」

「いけません! そのような、私などッ!」

「封じよ、何をしている!」

「まとめてかかれッ!」

「お守りしろッ!」

 

 乱戦だ。人妖入り乱れる討滅戦が始まった。

 

「それでいい……!」

 

 同時に、号令をかけ口火を切った男は後ろに下がり始める。なんとも狡っ辛いことだ。部下に死闘を託し、己は混乱に紛れて安全圏へと逃げようなど。反吐の出るやり口だが、それゆえに彼はここまで上り詰めたのだろう。

 

「ぐぅっ……!」

「はなせ、はなせよ! 私達が何をしたっていうんだ!」

「黙れ! 妖怪風情が!」

 

 封魔の札。結界。一つ一つは微弱だが、束になってかかればこんなものだ。

 相手も相応の、いや、図抜けた力を持っていたのだろう。それは僅かな抵抗によって生じたこちらの怪我人や、壊された幾つかの呪具を見ればよくわかる。

 大所帯で来たのが案外役立ったのかもしれない。博士は他人事で、そのように考えた。

 

「……?」

 

 ふと、空に何かを感じた。

 何かが横切ったか。鳥か、あるいは他の何かか。わずかにその一端を目にした気もするが、それをどう形容すべきかはわからない。

 いや、そう気にするべきものでもなかったのかもしれない。あるいは、目の前のこの女から目を反らしたかったが故の、強引な迷い気だったのやも。

 

「話さえも……!」

 

 尼僧。白蓮は意外というべきか当然というべきか、最も手厚く拘束されているようだった。

 その身にまとわりつく拘束術は幾重にも重なっており、もはや人ではなく猛獣や鬼に施すそれである。だというのに、今もなおそこから抜け出さんとするほど、軋みをあげている。何かしらの術によって身体が強化されているのだろう。若く見えて、油断ならない女であった。

 

 そう長くは保たないか。

 博士は揺れる結界を見てそう判断し、一歩前に出た。

 

「お願いします! 我々の――」

「すまんな」

 

 返事はそれだけで十分だった。それだけ言って、一枚の札を構えるだけで十分過ぎた。

 白蓮の表情が失望に染まり、全身から力が抜けてゆく。

 

「世迷い言は、他所でやってくれ」

 

 妖怪との共存。仏教の教え。どちらも結構なことだ。実に素晴らしかろう。

 だが、その考えは妖怪退治を専門とし、妖怪の弱点を網羅すべく日夜研究を続けている博士にとって、真っ向から対立するものだ。

 相容れるわけがない。聞き入れてやる理由がこれっぽっちもない。

 

 一人の人間として目の前の尼僧を哀れに思う以外、博士に感慨は浮かばなかった。

 

 札が霊力を纏い、光を解き放つ。

 周囲にいる雑多な陰陽兵とは隔絶した力の奔流に、誰もが息を呑む。

 

「力よ集い門を成せ――“異界封絶”」

 

 霊力が理想的な回路を踏み、局所的な魔力の圧を際限なく高めてゆく。

 護符は副次的な効果として拘束された妖怪や尼僧に絡みつき、動きを封じた上で術の発動をサポートしてゆく。

 

 基点は白蓮。彼女の足元だ。

 そこから光がより激しくなり、周囲を飲み込まんと渦を巻いている。

 

「聖ッ!」

「来てはいけません。私のいるここは、おそらく最も……!」

 

 勘の良い女だと博士は眉を上げる。

 そう、この術はひどく不完全と言うか、術者の力量に左右されすぎるきらいのあるものだ。

 発動する際には相手の位置をより正確に決めておかなければならないし、動かれればそれだけで致命的なロスが発生してしまう。数歩も離れれば、それだけで封印は不完全なものとなるだろう。

 

 だが、今は相手がこれっぽっちも動けない状態だ。

 術が完全発動すれば、座標さえ狂いがなければ封印は完全に行われる。

 

「白蓮ッ……!」

「――“前の手”」

「な――」

 

 術が発動する。まさにその瞬間であった。

 

「息災で――」

 

 何かはわからない。博士には見えなかった。

 だが、その一瞬の間に白蓮は何らかの術を発動させ……何人かの妖怪達を“押し出した”。

 

 それはこちらの使う術の特性を把握していなければやろうとは思えない動きだった。

 だが、いやしかし……。

 

「……はぁ」

 

 封印の大秘術は無事に発動した。

 邪悪なる尼僧を中心として封印は行われ、おそらく彼女が最も深き異界に囚われたことは間違いないだろう。

 しかし寸前のところで押しやられた連中は……その異界の深度も浅く、封印と呼ぶにはいささか不安の残る結果となってしまった。場合によっては、ただ場所を移動させただけに過ぎない程度に終わっているかもしれない。

 

 人を封じて、妖怪は中途半端。

 それは博士としては、大失敗と呼んでも良いくらいの無様な結末だった。

 

「お疲れ様です、博士」

「ん。ああ」

 

 霊力を使い果たして重だるくなった身を、従士が支える。

 いいや、霊力だけではない。知力ある相手を封じる仕事の後はいつもこのような、特別な脱力感を覚えてしまうのが彼であった。

 まして今回は人間が相手でもある。やるせなさといえば、いつも以上だ。

 

「さすがは都一の退治士。いつ見ても素晴らしい、陰陽博士と呼ぶに相応しき力よ」

 

 そんな彼を労らうためか、いつもは嫌味ばかりをよこす小太りの男が近づいてきた。

 浮かべる笑みに小難しい葛藤や思いつめる様子は無い。

 憎たらしいと思う半面、それもまた才能なのかもしれぬと、あまり回らぬ頭で考える。

 

「その封印の大秘術。百日かけて霊力を込めた札でしか成し得ぬものと聞いておる。大儀であったぞ、博士よ」

「……左様ですか」

 

 怪しい。いつもはこのような術を褒めるわけもなく、ただこちらに一方的な難癖をつけてくるばかりだというのに。何故今日はこうも親しげに、こちらの身を気遣うかのように近づいてくるのか……。

 

「ぐッ」

 

 その時、従士がうめき声をあげた。

 

「なん――」

 

 彼に肩を貸していた若き従士は、苦悶の表情を浮かべている。

 そして、血の匂い。

 

「なんで……?」

 

 疑問に唇を震わせる従士の腹部からは、鉄剣の刃が伸びていた。

 

「おい、お前……なに、え……?」

「博士、慌てなさるな。すぐに貴方も“殉死”するのだからな」

「――!」

 

 なんということだ。友にも等しい従士を喪った悲しみもある。仕事を終えた疲れもある。だが、それよりも今は、ただただ怒りだけが勝った。

 

 “殉死”。その言葉に全てを察する。

 要するにこの小太りの男は、そして他の連中も、この遠征に乗じて博士の地位を脅かすべく動いたということなのだろう。

 今まさに、博士の背を貫かんとするその凶刃でもって。

 

「“霊撃”ッ!」

「うわぁっ!?」

「ぎゃっ……」

 

 だが、そうはさせない。

 博士は手元に忍ばせた札の一枚を炸裂させ、周囲の不届き者共を弾き飛ばした。

 

 万一の備えと昨日書いたばかりの、霊力もあまり込められていない若い札である。

 数に限りがある上に効力も低いが……人間相手ならば不足はない。

 

「捕らえろ! 逃がすな! 奴の死に場所はここだ!」

「仕留めろぉ!」

「結界だ! 逃げ道を封じるんだ!」

 

 身体になけなしの霊力を込め、低空を飛ぶ。

 縦横無尽に張り巡らされてゆく結界を縫うように避け、時には数枚しか残っていない護符で強行突破する。

 

「はあ、はあッ……! くそっ、畜生ッ!」

 

 幸い、ほぼ全ての連中が短時間の飛行もできない半端者であった。

 霊力弾や火球こそ散発的に襲いかかってはくるが、短距離に構築される結界さえ突破してしまえば後は木々に紛れるばかり。逃走そのものは難しくなかった。

 向こうがこちらの戦力が完全に尽きたと勘違いしてくれたのが良かったのだろう。偶然にも札を増産しておいたこともまた、吉と出た。

 

 大人数の不意打ちから無傷で逃れるなど、そうそうできることではない。

 間違いなく幸運なのだ。

 

「……畜生、畜生……!」

 

 だが、大切な仲間が死んだ。

 弟のような従士だった。気安く語り合える、ゆくゆくは自分の後継にしようと考えても居た男だった。

 それが死んだ。あんなにもつまらないことで。連中の醜い欲望で。

 

「居場所は……無いだろうな……」

 

 小太りの男は計算高く、派閥も大きい。

 今回の遠征に随伴した大勢の陰陽兵が示し合わせたように博士の命を狙ったところからして、既に寮全てに手広く息が吹きかけられているのだろう。

 都に戻ったとしても、無事で済むかどうかは怪しいところだった。

 

 何より。

 

「……うんざりだ」

 

 山に分け入り、生い茂る木々の一つに紛れるように座り込んで、博士は深々と青い息を吐き出した。

 

「もう、うんざりだ……こんな……」

 

 烏帽子を握りつぶし、土の上に叩きつける。

 前髪を掻き、項垂れる。

 

 

 

 先進的な大陸の術を修め、退魔において右に出る者はいないとまで謳われた男がいた。

 陰陽博士。

 陰陽寮でも有数の地位にあった彼は、しかしある日を境に忽然と姿を消す。

 

 おそらくは不名誉な罪を犯したのであろう。

 彼の名は歴史に残ることもなく、様々な書物から掻き消されたのだった。

 

 


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