東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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せめて一本の糸だけでも

 

 

「ああ……」

 

 どことも知れぬ暗闇の中を落ちゆく最中、悔し涙が視界を歪めた。

 

「人は、そうなのですね……」

 

 私は、命蓮のようにはなれない。それはわかっていた。超えられるとも思っていない。あの子のように、私は“本物”ではないから。

 それでも私は。聖白蓮というこの一人の尼僧にしかできないこともあるだろうと。力を持つ者のひとつの特権として、この救われぬばかりの世のために何かを成し遂げようと……そう思っただけだったのだ。

 

 どこで間違ったのでしょうか。

 

 魔導書に手を出したこと?

 妖怪と手を取り合ったこと?

 あの時、陰陽道の人々に囲まれた時、何もしなかったこと……?

 

 ……いいえ。それは違う。

 間違ってなんかいない。少なくとも、私は過ちを犯したとは認めたくはない。

 魔法を手にし、その力を人のために活かしたことも。傷ついた妖怪たちを癒やし、救ったことも。無闇に殺生しなかったことも……何も、後悔などないのです。

 

 わかりました。私は……ただただ、悲しいのですね。

 人と分かりあえなかったことが。私のやってきたことが、人に受け入れられなかったことが。

 行き違い。価値観の相違。……私は人と妖怪の想いを、利害を、繋げることができなかった。

 

 非力でした。拙速に過ぎたのかもしれません。

 

 しかし全ては……終わったこと。

 やり直すことはできません。

 

 少なくともこの、どうやら私の力をもってしても破りようのない封印から逃れる術は――無いのですから。

 

 

 

「うっ……!」

 

 長い長い、最果ての地獄に堕ちゆくかの如き落下を経て、私はようやく砂山らしき場所に投げ出された。

 魔法によって多少の身構えはできていたために無傷で済んだものの、衝撃は強い。思わず内臓のいくつかを吐き出してしまいそうなほど。

 

「……?」

 

 見渡せば、そこはどこまでも延々と続いてゆく灰色の荒野……のよう。

 実際にどうなのかはわかりません。この景色がどれほど広いのかも、実際に荒野なのかも。

 ただ少なくとも、この荒涼とした薄暗い景色が地獄か、あるいはそれに相当する世界であることを疑う余地はないでしょう。

 

 空には、虹色に光を発する幾何学模様が複雑怪奇に流れ、天を覆っている。

 あれは、何らかの術なのでしょうか。それとも、自然の……?

 目を凝らせば、何かわかるかも……。

 

「う、ぐッ……!?」

 

 胸痛。鋭く圧迫されたような痛みが私を襲った。

 魔力を込めただけで身を貫いたその衝撃に、堪らず膝をついてしまう。

 

「はぁ、はぁっ……!?」

 

 一体、何が。

 攻撃? どこから? 誰から?

 

 いえ……私の身体はここへ来た時から、常に魔力で強化しているはずです。傷つくなどありえない。……外傷も、無い。血は出ていない。

 

「う、ゴホッ、ゲホッ」

 

 だというのに、喀血が。持病などとうの昔に消し去ったはずなのに。どうして? なんで?

 いけない、呼吸が乱れては。瘴気が肺に……。

 

「……ッ……」

 

 断続的に来る痛み。肺を苛む苦しみ。

 防ごうともそのあらゆる努力をせせら笑う責め苦が、ついに私の身体を砂の荒野に横たえさせた。

 

 急速に蝕まれた私の身体は、もはや自力で起き上がることも難しい。

 魔力を練ろうとも……いけない。痛みばかりがぶり返してくる……。

 

「死にたく、ない……」

 

 ……言うに事欠いて。

 私の口から出た本能的な言葉が、それだった。

 

 延命を。命の時間を。理想を追い求めても尚、私が縋るのはやはりこの原理だったようです。

 

 けれど、それを恥じ入ることはできません。

 

 誰だって死にたくないのです。誰にだって死んでほしくはないのです。

 それが私の始まりで、本能であるならば。私のやってきたことにはきっと、しゃんとした芯のようなものがあるのだろうと思えるから。

 俗物的な考えであろうとも、これが私の人生だったから……きっと、否定してはいけないものなのです。

 

「助けて……」

 

 だから。どなたか。

 仏とも如来とも言いません。

 

「死にたく……」

 

 だれか、たすけてください……。

 

 

 

 

 

 ――……呼吸が乱れています。

 

 ……だれ……?

 

 ――気を確かに。まずは全身に巡らせた魔力を解いて。

 

 わたしは、生きてるの……?

 

 ――私の声に従って。生きていますよ。

 

 死にたくない……。

 

 ――力を抜いて。呼吸を整えて。

 

 ……。

 

 ――はい、それが基本です。抵抗せず、自然体のままに。それがこの法界における、基本の姿勢となりますから。

 

 

 風が吹き荒ぶ音に紛れた、鈴の鳴るような綺麗な声に、重いまぶたが開く。

 

「人間がこれほどまでに脆いとは……ああ。強化はせず過ごすように……ん、目が覚めたようですね」

「……あな、たは……?」

 

 私が意識を取り戻し、幾分か楽になった心地で目をやると……そこには上から私を覗き込む、美しい顔立ちの女性がいるようでした。

 紅い髪に、青い瞳。凛とした、高潔そうな女性。彼女は私と目が合うと、ほんのわずかに微笑んだようでした。

 

「私の名は(コウ)。どうにか一命を取り留めたようで、何よりです」

「コウ……」

「貴女の名は」

「……白蓮、と申します……」

「そう。では白蓮、貴女はまだ疲れている。身体のあちこちが今も悲鳴を上げていることでしょう。今はじっくりと、その身を休め、癒やすことだけを考えるのが良いでしょう」

 

 じっくりと、身を癒やす……甘美な響きですね。

 

「はい……」

 

 ああ。思えば私は生き急ぎ、魔法を得てからは眠気にも食い気にも強いことに任せ、そう長く休むことを忘れていたかもしれません。

 

「私はここにいます。だから、安心して」

 

 そうして私の額を、紅さんのたおやかな手が優しく撫ぜる。

 するとぼうっと暖かな気配が眉間からじんわりと染み渡り……私はだんだんと、心地の良い眠りに沈んでゆくのだった。

 

 

「……封印されるのは魔族ばかりでもないのですね。今の地上は、どうなっているのだか……」

 

 

 


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