東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 往来で草の禿げた畦道を、一人の女が歩いていた。

 

 艷やかな長髪を背に流した、若い女である。

 白小袖に、赤いズボン型の袴。確かにその装いは巫女に違いない。

 しかし彼女の足並みは常人よりもいささか早く、男に負けぬほどの大股であった。

 腰の上あたりに縛り巻き付けた風呂敷は、道を踏み締めるごとに誘うように揺れていた。

 

「はあ、はあ……」

「待ちやがれ……ひぃ……」

 

 彼女の後に追いすがるのは、二人の男だった。

 身なりは粗末なボロ布で、顔や肌は土煙と汗に汚れている。眼光は油のようにギラギラと輝いており、剥き出しの粗野な野心が見て取れた。

 

 この男たちは一刻ほど前から巫女を追いかけていた山賊である。

 

 しかし最初に遠目に見かけた時には無防備な獲物が一人でいると喜んでいた両者だったのだが、巫女は斜面を競歩の如き早さで突き進むものだから、平地だけが続く場所で追いつくまでに大層な時間がかかってしまったのである。

 

 驚くべきは巫女の、淡々と歩き続ける健脚ぶりであろう。

 背筋を伸ばしたまま歩調を緩ませることなく突き進んでゆくそれは、山での暮らしや往来の経験に富んでいる何よりの証。

 そして、背後の野盗どもに気付いていてもあえて駆け出さなかったのは、余裕の証左であった。

 

 巫女はすぐそこまで迫ってきた男たちにうんざりしたように息を吐いて、振り向いた。

 

 野盗は息も絶え絶えだったが、ようやく露わになった巫女の顔を目にして、絶句する。

 

 

 ――美しい。

 

 振り向いた巫女は、少々目つきが鋭く勝ち気そうではあるものの、整っていた。

 陽に焼けてもおらず、シミもなく、シワもない。

 歳は少女と呼ぶには少々行き過ぎているように見えたが、それを加味しても十分に“追いかけてきただけの価値がある”風貌だった。

 

「……よう、渡り巫女さん。へ、へへぇ……随分と脚が早いが、休憩かい」

「俺達と一緒に木陰で休もうや。なあ」

 

 人気のない、山間の土地であった。

 ただただ山だけが続き、道は途絶え、土地を治める者はいない。

 訪れる者と言えば税と土地から逃れてきた農民か、脛に傷を持った盗賊か、後ろ暗い過去を持つ逃亡者くらいのものだろう。

 極端に人気がなく、見回しても助けに縋る家らしい家もない。

 

 つまり独りで歩いていたこの巫女は、絶好の獲物だった。

 日中から道の上で堂々と不貞を働こうとも、何者も咎めるものは居ない。

 

「あんたら……見ない顔だね」

「へへ、き、気にすんなよ。これからは毎日顔を突き合わせることになるだろうさ」

「決めた。お前は嫁にしてやるよ。なあ、どうだ?」

「……また流れの無法者か……」

 

 下卑た笑みを浮かべる男たちの物言いに、巫女はわざとらしく顔を手で覆った。

 芝居がかった、見るからに馬鹿にした仕草ではあるが、男たちは生意気な性根であろうとゆくゆくは屈服するだろうという黒い確信に、気を悪くした様子はない。それよりも一層、嗜虐心を煽られたように舌なめずりしている。

 

「ここいらは人はいないし物もない。そのくせ夜は妖怪共がうじゃうじゃと湧いて出てくる土地だ。見た所……多少は野盗らしい露営にも慣れちゃいるようだが。あんたら、まだここいらで夜を過ごしたことはないだろう?」

「だからどうだってんだ?」

「脅そうってのか。その手には乗らねえぞ」

 

 妖怪と聞けば、さすがの男たちでも多少は気圧される。

 だが、今は昼間だ。妖怪は夜にこそ活発に動く。恐怖を覚えるにはまだまだ時間が悪かった。

 

「良いんだぜ、俺は。夜まであんたと楽しんでもな。妖怪なんざ怖くはねえ」

「ヘッヘ……おいおい、見ろよ。こ、この巫女。なかなか胸も、なあ」

 

 忠告は聞き入れられず。

 盗賊は欲望に染まった目で身体を舐めるように見つめ、次第に手が届く距離にまで近づいてきた。

 

 巫女はそんな状況にあっても――うんざりしていた。

 

 なぜ男という生き物はどいつもこいつも、こう馬鹿なのだろうかと。

 

「わかった。脚はやめておくよ」

「あ?」

「脚がなんだってぇ?」

「お帰りいただくのには、二本の脚が必要だからね」

「ごちゃごちゃと――」

 

 盗賊の汚れた手が巫女の襟に触れようとしたその瞬間。

 

「腕で勘弁しといてあげる」

「ごっ……!?」

 

 巫女が素早く振り抜いた棒状の何かが、男の腕を激しく打ち据える。

 骨が軋み、折れる音。一瞬の打擲は男の左腕を無力化した。

 

「がぁあああッ……腕が、腕……!」

「てめぇ、何を……!」

 

 巫女が目にも留まらぬ動きで振り抜いた棒状のもの。

 それを見た盗賊は、思わず声を失った。

 

「妖怪相手に使うもんだけどね。まあ、今のあんたらは同じようなもんだし、別に構わないでしょ」

 

 鈍器にも似た殴打を見せつけたそれは、紙垂を先につけただけの何の変哲もない(ぬさ)であった。

 木の枝よりもずっと華奢で、長くもない、要するにただの棒だ。

 

 巫女はそれで殴りつけただけで、人の腕を折ったのである。

 

「ひぃ……! ば、ばけものか……!?」

「腕がぁ……痛ぇ、痛ぇよ……」

「嫁だのバケモノだの随分と好き勝手に呼んでくれるねえあんたらは」

「う、うわぁあああ!」

 

 怪我を負っていない方の男は恐慌状態に陥り、相方を置いて逃げ出した。

 彼は既に巫女が鬼の如き力を持った妖怪と同類だと思い込んでいたのだろう。

 先程の妖怪の話の布石のように感じられた彼は、とにかく逃亡を即決したのだ。

 

「待ちな」

「うげぇっ!?」

 

 だが、それは阻止される。

 後ろにいたはずの巫女はどういうわけか“逃げた方向から”出現した。

 ふっ、と空気から湧いて出たような、唐突な瞬間移動である。仰天し固まった男は、振り上げられた蹴りにピクリとも反応することもできず。

 

「あがっ……ぁああ!?」

 

 健脚から繰り出される容赦のない蹴りは、彼の左腕もへし折ってみせた。

 

「利き手は残しておいてあげる。これなら死ぬことはないでしょ。力任せの悪さはできないだろうけどね」

「ひでえ、ひでえよ……」

「い、命だけは……!」

「これが最後だよ。今まできた道をさっさと引き返して、日が暮れる前にここいらから消えな。妖怪が出るって話は本当なんだ。奴らにエサをやるようなことはしたくない。……それでもあんたらが、森に隠れてあたしに復讐でも企てようってんなら……」

 

 巫女は幣を掲げ、目を細める。

 

「その時は今度こそ――殺す」

「う、うわあああああ!」

「もうしません! しませんからッ!」

 

 盗賊たちは二人揃って、折れた腕をかばいつつ脱兎のごとく逃げ出した。

 恥も外聞もない全力の逃走である。あの走りのペースであれば日暮れには比較的妖怪の落ち着いた地域まで逃れられるだろう。再びこの土地に足を踏み入れることもなさそうだった。

 

「……やれやれ。渡りとはいえ巫女だってのに。殺すだなんて言わせないでほしいわ」

 

 弊を袖にしまい込み、巫女はまた深々とため息を付いて、空を見上げた。

 

 青い空にはわずかに雲がかかり、静かに流れている。

 山にはかかっていない。見たところ雨が降る気配はなさそうだが、それでも山の天気だ。何が起こるかはわからない。

 

「……村までもう少しか。久々の帰郷だ。一応、あたしも急いでおくかねぇ」

 

 独りごちて、巫女はそれまでよりもずっと早い大股で歩き始めた。

 畦道は山間を縫うように走り、まだまだ奥まで続いている。

 

 辺りには廃棄されて雑草まみれになった隠し畠と、朽ち果てた小屋の残骸。

 もはや人の気配などはるか昔に埋没したかに思える辺境の土地であったが、巫女はその先にひとつの集落があることを知っている。

 

 大宿直村(おおとのいむら)

 それはどこの地図にも載っていない、秘境の集落であった。

 

 


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