東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 重税もなく、人同士の諍いもない。

 そう聞けばまさにこの世の桃源郷であるかのようだが、平和な隠れ里ではあっても、平穏とはほど遠い。

 

 つまりは妖怪の脅威が、ここには犇めいているのだった。

 

「ミマ様、ありがとうな。これでしばらく、柵は保つんだろう?」

「気休めだがね。それと、効くのは夜間だけだよ。昼間も使えはするが効果は薄いんだ」

「ありがてえ。どうせ怖いのは夜だしな。出歩くわけじゃないんだけどよぉ……」

 

 ミマは大宿直村のある農家から、柵の修理を頼まれていた。

 柵とはいえ、この時代では棒を土に立てて横に蔓や枝を通わした簡単なものか、丁度いい大きさに整えた柴垣がせいぜいである。金属製の頑強なものなど望めるものでもない。

 力技で押し通ろうと思えば、妖怪どころか人間ですら易々と突破できる程度の強度しかないだろう。

 それでも、妖怪が相手である場合に限り、ちょっとした“細工”は有効だった。

 

「この印は、昼間の陽の光を受けて集積し、夜にその要素を少しずつ放つもの。あたしたちにとってみれば全く眩しくもなんともないが、日差しを嫌う妖怪には効く」

「ほお……この模様が」

「で、こっちのは塩造りの印。あ、名前は塩造りだけど、しょっぱいわけじゃないから舐めちゃいけないわよ。塩を嫌う霊や魔物を遠ざけるだけのものでしかないから」

「ははあ、変な名前だな」

「舐めて印を消すんじゃないよ? ……こっちのは空模様に関係はなく、常に一定の効果が出る。雨なら濡れても滲むことはない」

 

 細い枝切れを縦に割って作った棒には、びっしりと墨や焼き印による模様が刻まれていた。

 簡単な図形や文字など、ひとつひとつは写生しようと思えば子供でもできる程度の簡単なものではある。しかしその総数は膨大で、全体として見たときの作用などはミマ本人にしかわからないものだった。

 

「最後。柵の一番下の段ね。これは獣避けになってる。獣妖怪から猪や熊まで、獣だったら何でも遠ざけるもんだ。泥が跳ねて文字にかかりすぎると効果が薄れる。綺麗に扱いなよ」

「何から何まで、すまねえな」

「気にしないで。いつも野菜もらってんだからさ」

「でもなあ」

「んなことより、嫁の具合が悪くなったらすぐに教えなよ。妖魔の障りだったら、手遅れになることもあるんだからね」

「お、おう。その時は頼む」

 

 ミマの手には、風呂敷に包まれた大きな根菜が握られている。

 ミマは村人に魔除け害獣よけを施し、その対価として彼らの生産物を受け取るのが常だった。

 とはいえ、ミマ自身にも仮住まいの小屋はあるし、そこでちょっとした農作物を育てているので、これらがなくては生きていけないというほどではない。だからこそ、普通ならば陰陽師に大金を要求されるような大掛かりな護法であっても、最低限の対価で安請け合いをしているのだが。

 

「ミマ様、どちらに?」

「ん? ああ……麓の神社に、ちょっとね」

「神主さんかい? 向こうでも何か?」

「ああ。ちょっとばかしあいつに、教えなきゃならんことがあってさ」

 

 苦笑するミマに合わせて、男も土で汚れた顔をくしゃりと歪めた。

 

「神主さんは変わらんなあ。……良いお人だから、よろしくしてやってくれよ、ミマさん」

「わかってるって。同じ退治屋として、教えられることは教えるさ」

「うむ、まぁそれもなんだがな。飯もほら、頼むよ」

「……あたしゃあいつの飯炊き役じゃないよ」

「はは……神主さん、夢中になると飯も忘れるからさぁ」

「やれやれだね。ま、覚えてたらやっとくさ」

 

 そんなことを言いつつ、ミマがさして嫌がりもせずに神主の食事を用意したり、魔法と呼ばれる術を教えていることは誰もが知っている。

 村の子供達とよく遊んでいる姿も見かける程度には面倒見が良いのだ。同業者のよしみとしても、また個人的な性格の噛み合いでも、付き合いを深めて悪いことにはならないだろう。

 

 

 

 大宿直村は、そう古い村ではない。

 むしろここ数十年のうちにできた程度の、まだまだ生まれたばかりの若い村である。

 

 元は、それこそ人が移り住む余地のない大変な危険地帯であったのだという。

 なにせこの土地は魔力の通りがすこぶる良好で、妖精や妖怪がひっきりなしに生まれてくるのだ。その環境は人間が暮らしてゆくにはいささか危険が過ぎ、昔は何度か開拓の計画もあったそうなのだが、その全てが頓挫し続けていた程である。

 というより、人が住むよりもまずはこの土地から溢れ出る妖怪をどうにかせねばなるまいという事情もあって、この近隣に陰陽師が遣わされることが多かった。

 

 快適に暮らすどころか、時々近くで間引いておかねば面倒なことになる。

 故に、この村は宿直(とのい)と呼ばれているのだった。

 

 ところが、その忌々しい妖怪の大氾濫は、ある時を境に突然、ピタリと収まったことがある。

 理由は今でも、村にいる誰に聞いてもわからないだろう。

 確かなのはその時を境にして、在野の退治人が大宿直村の中へ踏み入り、村人として細々とした暮らしを始めたということだ。

 今では妖怪退治の技術を持った者らが多く集まり、妖怪を外へ溢れさせることもなくどうにか生活できている。

 

 村の外側の人間たちは妖怪の溢れるこの地域を恐れてか、そうそう手を出すこともない。

 国を頼れないというのは不便な部分もあるが、ミマとしてはこの自立した静かな村のことを、とても気に入っていた。

 

「肥沃な土地、豊かな自然、そして魔法の修行や“管理”に最適な風土……」

 

 渡り巫女として各地を練り歩く立場上、彼女は様々な土地を見ている。

 それでもミマとしては、やはり大宿直村の荒削りな自然に惹かれるものがあった。

 

「あたしも人の多い場所が嫌いなんだろうねえ……」

 

 大宿直村にやってくる人は、大なり小なりある種の“人嫌い”を抱えている。

 

 陰陽師、退治士、占い師、僧侶、狩人、剣士。

 どいつも只者という雰囲気ではない。しかしこの村において深入りは禁物だ。

 誰がどのような経緯でこの辺境の村に流れて来たのかなど、詮索するものではないし、されるべきでもないのだ。

 特にミマは、何よりも自身の経歴や手持ちに探りを入れられるのは嫌だった。

 

「……今日みたいに物を教えるってだけなら、別に構いやしないんだけどねぇ」

 

 背中の荷物を擦り、そこに周囲の魔力をじわじわと吸い取る“それ”の存在を確認しつつ、ミマは乾いた笑みを浮かべた。

 もしもこの荷物にある書物が誰かに見られたら。あるいは、どこかに“逃げ出したら”。

 

「……やだやだ」

 

 考えたくもないことである。

 

 

 

 

 

 


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