東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 森の中を四足獣の群れが駆ける。

 送り犬は山林を中心に活動する小型の妖怪で、知る人の間では警戒心が非常に強い妖怪として有名だ。

 

 そもそも送り犬は、妖怪とはいえ大人数の人間を相手にすることがない。

 加えて相手が森の中に単身でいたとしても容易には襲いかからず、相手が疲れ果てるか、致命的な隙を見せるまではじっと機を伺うばかりの慎重極まる種族であった。

 

 なので送り犬に通常の巻狩りをしても効果はなく、警戒心の強い彼らはさっさと逃げてしまう。この人間にも似た臆病とも言える慎重さこそ、退治屋の頭を悩ませる送り犬の特性だった。

 

 しかし、方法がないわけではない。

 むしろ、狙った獲物を付け回すという他の獣にはない特性を利用すれば、彼らを罠にかけることも難しくはないのだ。

 

 

 

「なぜ私がこのようなことを……」

 

 明羅が一人、霧の深い森の中を歩いている。

 頭から大きな布をかぶって覆い、口元に当ててマスク代わりにしつつ、ゆっくりとした足取りで進んでいる。

 

 瘴気の森には常に霧が漂っており、それを吸い込むとすぐにどうにかなるわけではないのだが、長く居続ければ具合が悪くなる。故にこれは猟師の九右衛門から渡された善意の品なのだが、明羅はこうして姿を偽ることをあまり良しとはしていなかった。

 

「己を弱き姿に偽るなど、侍として……」

 

 とはいえ、突っぱねるほどの深い理由がある私情でもない。

 実際、全員で役割を相談して決める時も、明羅はミマに推されて二つ返事で承諾してしまったのだから。

 

「囮か……」

 

 送り犬を誘い出すもの。それはまさに、かの妖怪の特性である単身の弱い旅人を作ることだった。

 瘴気の森にて明羅を歩かせ、送り犬を刺激する。

 その際、できるだけ囮は近接戦闘に優れていた方が良い。多くの妖怪犬を誘い出す都合上、万が一のことがあっては困るからだ。

 

「!」

 

 遠方から、茂みの鳴る音が聞こえてきた。

 生来より耳の良い明羅はいち早くそれを察知し、しかし驚きを顔に出すことはなく、平常心のまま歩き続ける。

 

 一歩、二歩。歩むごとに、気配が増える。

 明羅の進む先からじわじわと、鶴翼の如き陣形を形成しながら、獣が包囲網を作り始めている。

 

「はあ、はあ……」

 

 明羅はわざとらしい青息吐息を織り交ぜ、歩みもおぼつかないように演出する。

 たまに木の根に足をかけたり、咳き込んでみたり。合間合間で本心から来るため息なども混じっていたが、それらは弱小妖怪達を騙すには十分な演技力を持っていた。

 

 弱々しく明羅が演技する度に、茂みが揺れる。

 獣が集中し、身構えるかすかな音が聞こえてくる。

 疑似餌を川面で揺らすように、明羅は弱みを見せる。誘う。

 

「あっ……」

 

 そして荒れた道を踏み外したかのように土に手をついたその瞬間。

 

 森の影が、幾重もの咆哮をあげて襲いかかってきた。

 

「よっしゃぁ仕事だッ!」

「グゲッ」

 

 同時に、矢が放たれる。

 それは今にも明羅の首を噛みちぎらんと跳んできた送り犬の口内に命中し、即死させる。

 

 明羅を仕留めんと姿を現した送り犬とは逆の場所には、既に村の退治屋が隠れ潜んでいたのだ。

 

「やっとかかったか!」

「出番ね! ぶっ殺してやるんだから!」

「取り逃がすなよ! 退路を断って各個撃破だ!」

 

 退治屋はこれまでの地味な潜伏の憂さを晴らすかのように、八面六臂の活躍を見せる。

 弓を持ったものは霊力の込められた矢を放ち、札を持ったものはそれでもって犬の口を固めてみせる。

 いずれも国に属さない在野の退治人ではあれど、実力は紛れもなく本物か、あるいはそこらの中途半端な陰陽寮の人間よりもずっと秀でていた。

 

 しかし中でも突出した活躍を見せているのは、彼女たちだろう。

 

「遅い遅い! “地雷星”!」

「ギャンッ!?」

 

 宙を舞い踊るように動きながら、変幻自在の魔光で標的を焼き貫く歩き巫女、ミマ。

 

「さあ、一度勝負を挑んだのだ! 逃げず臆さず向かってくるが良い!」

 

 多くの妖怪の襲撃に怯むことなく、その尽くを切り伏せる侍、明羅。

 

「おっと、どこに逃げようというのかな。悪いがそちらは、行き止まりぞ」

 

 無数の札を鳥のように飛ばして動きを牽制し、弾丸の如き速度の針で確実に頭を仕留める凄腕の陰陽使い、神主。

 

 この三人による制圧能力は凄まじく、送り犬が本能的な撤退を決め込むその前にあらかたを戦闘不能に陥らせている。

 冴え渡る動き、強力な力、見たこともない術。彼らの闘いは優秀な村の退治屋達をして“ああでありたい”と思わせるほどに流麗で、洗練されていた。

 

「これで……最後だねっ!」

 

 そして最後の一匹をミマが大幣で殴り殺し、闘いはあっけない決着を迎えた。

 

「いいや――」

 

 一瞬、全員の気が緩みかけたその時。

 神主の投げ放った針が、土の上に横たわっていた送り犬の額を貫いた。

 

「――死んだふりとは小賢しい。これで最後だ」

「……ふん、死にぞこないさ」

「ははは、ミマよ。それはちと無理があるだろう。今のは神主が正しいぞ」

「ちぇっ……かっこつけやがって。わかった、悪かったよ。見逃してた。助かった」

「ああ、無事で何よりだ。ミマ様」

 

 気の抜けた会話を契機に、退治屋たちは皆大きな息を吐いた。

 集中と慎重を重ねた狩りが終わり、ようやく自由に呼吸できるのだ。

 

 送り犬。弱い割に駆除しようと思えば面倒な相手である。

 しかし一度の反撃で完璧に仕留めきれたのは運が良かったと言うべきだろう。

 結果として狩りはまだ日が高く登っている最中に終えることができた。

 

「ささ、村に戻って一服しよう」

「こっちは装備の回収をしている。研ぎ師に持っていくが構わんな?」

「助かるよ。いや、明羅殿。本当に助かった」

「いえ……私など。全てはミマ様のお力あってこそです」

 

 犬妖怪の死体が無残に横たわり、だらしなく地面に垂らした舌の根元には矢が貫いている。土は多くの血によって汚れ、肉食獣特有の臭気はもうしばらくここに残るだろう。

 

「さて、帰ろうか」

「ええ」

 

 一見すると非常に恐ろしい光景である。

 だが、日常的にこういったものを見ているからこそ、村の退治屋は妖怪を前に動じないし、判断を誤ることもない。

 

 大宿直村を襲撃する妖怪は、年間に三桁を超えるという。

 彼らの莫大な経験と磨き抜かれた技量こそが、村の日々の安寧を支えていたのだった。

 

 

 


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