東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 神主は、命之助や他の退治屋などの協力も得ながらではあるが、着々と“妖怪図鑑”と呼べるものの編纂を進めていった。

 もちろん普段の妖怪退治に手を抜くことはない。

 畑の手入れやお祓い、厄除け、魔除けなどの仕事も平行している。

 神主は自ら激務に身を投じており、そしてそこに生きがいを見出しているようだった。

 

「危うい奴だよ、全く。いつかぶっ倒れるんじゃないの、あいつ」

 

 ミマは厚手の足袋を装備しつつ、ぼやいている。

 なにか愚痴があるとすれば、いつも神主の話である。口ぶりからして、昨日も神主と何か言い合いでもしたのだろう。

 傍で聞いている明羅は苦笑する他なかった。

 

「神主も自らの限界は弁えていると思いますが……」

「そうかねぇ? あたしにゃあの男は、変に自罰的というのかな。義務感にはめっぽう弱いように見えるけどねぇ……」

「不調が顔色に出るようならば、周りも止めるでしょう。ミマ様が外に出られている間は問題ありませんよ、絶対に」

 

 ミマはこれから大宿直村を出て、長旅を始める。

 村のために買わねばならない物もあるし、村人各々からの頼まれ事もある。

 疫病について近隣の村落と話を通さなくてはならないのもあるし、参拝しなければならない社も多い。

 年に一度はこうして長く村を空けねばならないのが、渡り巫女の辛いところであった。

 

「はあ……ま、あたしがどうこう言ったところで仕方ないか。明羅、悪いけど留守の間……」

「神主ですね? もちろん、ミマ様のかわりに見守っておきますよ」

「……あたしはあいつのお守りじゃないってば」

「はい、はい」

 

 素直じゃない巫女である。だがミマが要求することといえば、まさにお守りに近いのだろう。

 明羅としては神主に対して過保護すぎるようにも思っているのだが、ここでなにか言うと出立が更に遅れそうだったので、無駄口は挟まないでおいた。

 

「いってらっしゃいませ、ミマ様」

「ああ。……そうだ明羅、土産物は何が良い?」

 

 そういえばまだ訊かれていなかったなと今更に思いつつ、明羅は顎に指を当て考え込んだ。

 

「……何か綺麗なものをお願いします。旅先で見つけたものなら何だって構いません。殺風景な屋敷を飾りたいので」

「ふふっ、了解。乙女だよね、明羅は」

「……私は、ただ雅を解しているだけです」

「じゃ、いってくる!」

「あ、ちょっと……もう」

 

 ミマはそれ以上は口をきかぬとばかりに駆け出し、あっという間に遠ざかっていった。

 

「神主には散々な言い方をしてるのに、自分だって子供なんだから……」

 

 呆れたものであるが、そんな人間味のある付き合いをしてくれるミマの存在は、明羅にとって尊いものだった。

 妖怪である自分に、屋敷の留守を、村の守りを、そして密かに(かどうかはさておき)好いている男を気にかけてくれと言うのだ。

 こんなに数多くの大切なものを、まとめて預けてくれるのだ。そこに込められた強い信頼は、懐炉のように心地良い。

 

「……ふう。任されたならば、仕方あるまい。私も妖怪退治に精を出さねばな」

 

 山の向こうに飛び去っていったミマの姿を見送り、明羅は刀を手に村の見回りを始めるのだった。

 

 

 

「緑という色には、毒であったり妬みであったり、とにかく様々な負の力が込められていると云われています」

「ほほう」

 

 命之助は青銅の刃で草刈りしつつ、近くの切り株に腰を下ろしている人物に語って聞かせる。

 

「赤色には温かい、危険、血、神聖といった意味があります。青色には水、冷たい、高貴などですね」

「詳しいね」

「博学であった師の受け売りなのですけどね。あはは……」

 

 命之助の草刈りを傍らで見守るのは、静木であった。

 寺から何らかの罰が下って草刈りをさせられている命之助を見た静木は、丁度良い話し相手として彼を選んだのである。

 また命之助も自身の話を聞いてもらえるのは楽しかったので、どこか単純労働の最中であっても嬉しそうに笑っている。

 

「とにかく、緑は貧しい色とされているのです。もちろん、黒など濁りきった暗い色などは、どこの世でも死や終わり、穢れの象徴として考えられることが多いですが。この若々しい草のような緑色もまた、不思議と悪く思われることが多いらしいのですよ」

「ほほーう?」

 

 静木は仮面の顎をコリコリと引っ掻き、興味深そうに唸っている。

 

「緑が貧しい色、か。それは草木染めなどの名残かな」

「どうでしょう。そういった面もあるんじゃないですかね? ああでも、鬱陶しい妖精や一部の妖怪にも緑を呈するものは多いですから、そういった妖魔の影響もあるのかもしれませんね」

「なるほど。妖魔が関わっている説か」

「僕からしてみれば、草木の色合いはそう嫌いじゃないんですけどね……いや、草むしりをしていると、ちょっと嫌いかな……」

「ははは」

 

 命之助が草を刈っている場所は、後々開墾し畑とするのだという。

 土を耕し石を取り除き、水を引くまでにはまだまだかなりの重労働を熟さねばならないだろう。

 

「うーむ、緑か。そういえば海外の映画では、よく悪魔や小鬼が緑色に描かれていたな。日本じゃそうでもなかったけど、モンスターといえば緑色なのかもしれないね」

「もんす……?」

「ああ、こちらの話だよ。続けて続けて」

「はーい……うう……手が青臭い……」

 

 話し相手にはなる。しかしあくまでも手出しはしない。

 静木が据えると決めた腰は、今回ばかりは極めて重かった。

 

 

 

「む、命之助……それと、静木か」

「おや」

 

 そんなのどかな草むしり作業の最中に、一人の美麗な侍が現れた。

 長い黒髪を結い上げた美しい女侍。あてもなく見回りを行っていた明羅である。

 

「君は確か明羅だね」

「ああ。命之助は……また罰を受けたのか。凝りないな」

「ううー」

 

 草むらから抗議のうめき声が上がるが、可愛いものである。

 

「静木はここで何を?」

「私は別に何も。命之助君が単純労働で音を上げていたので、話し相手になっていただけだよ」

「ふむ、そうだったか。……おい命之助、こちらに来なさい」

「えぇ? はーい……」

 

 明羅が澄んだ声で呼びかけると、命之助は服のあちこちに草木の種を貼り付けた姿で草むらから現れた。

 彼もいい加減、一度小休止としたかったのだろう。草の汁で鮮やかな緑色に染まった両手を見て、彼は“貧しい色”の意味をげんなりと実感している様子だった。

 

「なんですか? 明羅さん」

「いやなに、ちょっと……なッ」

 

 明羅が素早く刀を構え、抜き放ち、――目にも留まらぬ早さで納刀する。

 カチンと綺麗な音が響いたかと思えば、それだけで景色は一変していた。

 

「……うっ、わぁ……すごい……!」

「ほう」

 

 明羅の放った一太刀が、命之助の刈り残していた草むらを纏めて切り伏せてみせたのである。

 

「すごい、すごいです明羅さん! あ、ありがとうございます!」

「気にするな、大した仕事ではない。……ただし、命之助。面倒な仕事は私がまとめて終わらせたのだ。これから寺に戻り、そこでちゃんと手伝いを済ませてきなさい」

「……それもそうかぁ。はぁーい」

 

 寺に戻れというのがいまいち気乗りしない様子の命之助ではあったが、辛い野良仕事から開放されただけ儲けものである。

 彼は律儀にもう一度明羅に頭を下げ、そして話し相手になってくれた静木にもペコリと挨拶し、子供らしい元気な足取りで寺の方向へと駆けていった。

 

「……命之助は賢い子だが、話し相手に恵まれなくてな。あの子に付き合ってくれて感謝する、静木」

「構わないよ。私も好きで話をしていたのだからね」

 

 柔らかな老人の如き物腰。

 しかし、明羅はこの鳥の仮面を被った人物の腹の底というものが見えなかった。

 

 ミマや神主はわかりやすい。

 他の村の人々だってそうだ。長く同じ村で暮らしていれば、人となりというものはわかってくる。

 

 しかしこの静木という新参者に関しては、全くと言っていいほど不透明なままであった。

 

「……では、私はこれにて」

「うむ。お勤めご苦労さま」

 

 だが、そう表立って疑いを挟み込んだりはしない。

 明羅は何事もなかったように歩き去ってゆく。

 

 大宿直村がどう対応するか、どう受け入れるかは、静木が動いてから決めることだ。

 それに少なくとも、自分がいるうちはミマやその親しい人々に手出しさせるつもりはない。

 先程の草薙の太刀は、その牽制でもある。

 

 お前が何者かは知らないが、私には力があるぞ。

 それを一閃にて雄弁に語ってみせたのだ。

 

「ふーむ。色のイメージかぁ。植物にはお世話になったから、緑は親しみ深いんだけどなあ……」

 

 なお静木は特に気にしていない様子であった。

 

 

 

 


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