東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「せいッ」

 

 鋭い正拳が風を切った。

 疾く、構えから察知しなければ対応することのできない神速の拳である。

 

 ただの一発だけであればどうにかできたかもしれない。

 しかし白蓮はそれまでに何百発もの拳や蹴りを相手に苦戦していた。

 この致命的な一発は、白蓮に訪れた限界の一撃なのであった。

 

「ぐァッ」

 

 拳は白蓮の鳩尾に突き刺さり、身体ごと大きく吹き飛ばしてみせた。

 その気になれば彼女の胴を貫いて臓腑を掴み取ることも、気を注ぎ込んで破裂させることも難しくはない。

 だがあえて一つの外傷もなく弾き飛ばせるのは、白蓮と紅の間に大きな体術の隔たりがあるからこそだろう。

 

「気の流れを疎かにしていますね。瘴気を恐れていては法界で闘うことなどできませんよ」

 

 黒い砂利が広がるばかりの斜面を転げてゆく白蓮に対し、紅は一切の容赦なくそう言い捨てる。

 先程の一撃も身体を気遣いこそしたものの、加減はしていない。組手となれば相応に本気を出すのが紅の流儀であった。

 

 とはいえ、紅がここまで白蓮を圧倒できるのも、法界での生活が長いためであることは間違いない。むしろこの短期間で法界の圧力や瘴気に適応し、ある程度の水準まで動けている白蓮の才気が恐ろしく感じられるほどであった。

 人間は学習能力が高いとは仲間(法界魔族)から聞いてはいた。百年も生きることのないような、神族や魔族でもないただの生物たちとはいえ侮れないとも。

 未だこの組手を始めてそう長い時が経ったわけではないが、紅は人間の持つ可能性や爆発力を察しつつあった。

 

「さあ、立って。それとも休憩にしますか?」

 

 紅は赤い長髪を指で梳かしつつ、あえて挑発するように言った。

 

「まだ……まだ、やります。お願いします……」

 

 すると白蓮は立ち上がる。まだ腹にじわりと広がる痛みに苛まれているであろうに、己の意地だけで身体を支えてみせたのだ。

 

 向こう見ずである。意欲も若い。

 魔人たちの集落では見かけない生き急ぐ精神性は、何度見ても不思議に思えてならない。

 紅はこの不安定な人間という種のあり方を、好ましく思うと同時に危うくも感じていた。

 

「……いいえ、休憩にします。白蓮の身体は限界に近いようですし、私も動き続けて少々疲れました」

 

 紅がそう言うと、白蓮は全身を吊り下げていた糸が切れたようにその場にどっと座り込んでしまった。

 やはり並々ならぬ無理をしていたのだろう。この身の程を弁えない擲ちようが、紅は親近感を覚えるものがありながらも、やはり好きではないのだ。

 

「立てるようになったら、庵へ来てください。お茶を用意しますから」

 

 

 

 法界に(ひじり)白蓮(びゃくれん)がやってきて数年が経過している。

 

 人間たちによって魔界へ封印された彼女は、当初は法界がもつ強力な瘴気と圧力によって自身の命を守ることさえ危うい状況にあった。

 無理もないことである。この法界は多少強い程度の魔族でさえ数分も存在を保てないほどの険しい環境なのだ。

 白蓮が脆弱な人の身であるにも関わらず現状維持を成し遂げたのは、彼女の魔法技術と生への執着、ふたつがあったからこそであろう。

 もちろん、その後すぐに白蓮を介抱した紅の目に止まったという幸運もありきなのだろうが。

 

「さあ、座って。楽にして結構ですよ」

「……ありがとうございます」

 

 白蓮が小さな庵に入ってきたのは、たっぷり二十分ほど経ってからだった。

 朽ち果てた神木を原材料として作られたこの小さな建築物は、紅が普段法界で生活するために利用している休憩所のようなものである。

 それは小悪魔から伝え聞く人間社会の話に触発された部分もあるし、以前ライオネルに指摘された“見た目を気にすること”の実践でもあるのかもしれない。

 あるいは、岩場で瞑想を続ける習慣を失い、また別の習慣を取り入れようとしているだけなのかもわからない。

 そんな曖昧な考えでついに完成させてしまった庵だったが、こうして白蓮の仮住まいとして活用できているので、おそらくは良い考えだったのだろうと、今の紅は考えている。

 

「……美味しいです。苦いですが……」

「ありがとう。良いものが出せなくてごめんなさい」

「いえ、そんな……こうして寝床をお貸しいただけているだけでも恵まれすぎているのです。そのようなことは……」

 

 白蓮は紅に対し、とても強い恩を感じている。

 命の恩人であることもそうだし、強大な魔族ばかりが跋扈する法界で唯一平穏な付き合いができる相手ということも大きいだろう。

 彼女はここへ来て、なにをするにしても紅に依存せざるを得なかったのだ。

 

 先程の組手の指導も、色々な理由をつけられ始まったものではあるが、最たる理由としては“淋しかったから”に違いない。

 閉ざされたこの過酷な世界で少しでも同じ時間を共にするために、白蓮は今も組手を続けている。

 元々はただ気を操り、己の身体を保全させる術を身につけるための講習に過ぎなかったのだが。

 

「紅さん。また薪を集めて来ましょうか」

「ん。いいえ、まだしばらくは増築する予定も……」

 

 言いかけて、紅は考えを変えた。

 

「そうですね。身体が動くようになったら、手伝ってもらいましょうか。神木はいくらあっても困るものではありませんから」

「はい」

 

 白蓮は畏まったように、しかし満たされきったような優しい表情で目礼する。

 仕事や役割を与えられることで白蓮の心が潤うのであれば、不必要な雑用にも価値があると言えなくもないだろう。

 

 だがこのまま依存され続けては何よりも白蓮のためにならないのはわかりきっている。

 紅としては興味深い話し相手であるし、なおかつ体術の再確認まで手伝ってくれるのだから、白蓮という存在は決して邪魔だとか、煩わしいものではないのだ。

 ただ白蓮個人のこれからを考えると、この現状はどうなのかという。

 

「ん……」

 

 紅が深く考え込んでいると、眼の前にはらりと便箋が舞い降りてきた。

 

「あら? それは……?」

 

 物などほとんど置かれていない質素な庵の中に突如として現れた小奇麗な紙。自然と白蓮の目もそちらに向けられていた。

 

「ああ、これはですね……外にいらっしゃる方から手紙が届いたのですよ」

「外から。はあ、そのようなこともできるのですね……」

「便利ですよね。私にこの手紙の仕組みなどは理解できませんが、重宝しています」

 

 送り人はライオネルだった。

 普段は小悪魔などから日々の便りがくるばかりだったので、この名前には紅も少々驚かされる。

 

「どなたからでしょうか?」

「ライオネル・ブラックモア。ライオネル様というお方です。よく偉大なる魔法使いと名乗られているそうですが……そういえば白蓮も魔法使いなのでしたね」

「ええ。まだ未熟ではありますが……なるほど、らいおねる様……ですか。魔法使いの方であれば、一度お話してみたいものですね……」

 

 どこか遠い目でしみじみと語る白蓮であったが、そのライオネルとかいう魔法使いとは既に何度も言葉を交わした仲であることには気付いていない。

 もちろんそれは紅にもわかるはずのない勘違いであった。

 

「……あ」

 

 紅は手紙を広げ、その内容に目を走らせ……つい間抜けな声を出してしまった。

 その珍しく気の抜けた反応に白蓮は不思議そうに顔を傾げているが、当の紅としては内心それどころではない。

 

「……母の祀られる場所、とうとう決まったのですね」

 

 手紙には、かつて紅が守り、運び続けた竜骨を安置する場所が定まった旨が記されていた。

 

 今はなき竜骨塔の信仰。自分だけが続けていた母へのささやかな祈り。

 それを再び地球上に根付かせてくれる。紅にとって、それは何よりも嬉しい報告であったし、何年も何年も心待ちにしていた慶事であった。

 

「……紅さん、嬉しそうですね」

「ふふ……ええ、とても」

「良い便りでしたか」

「はい、とても」

 

 今はまだ場所が決まっただけ。安置したとはいえ、まだまだ仮住まいにすぎない。

 本格的に祀るのはもうちょっと後になるだろうという言葉が手紙には記されていた。

 

 だが、それでもいい。また何十年でも何百年でも待っても構わない。

 ()の遺骸を丁重に、より正しく母のために捧げてもらえるのであれば、時間がかかろうともそれが一番のことである。

 

「……地上、か……」

 

 紅が魔界へやってきてから、もう相当な歳月が流れている。

 今もほとんど世捨て人のような暮らしを続けているような、あまり外に関心の無い彼女ではあるが、その凝り固まった化石のような心も次第に、外側へと動きつつあるようだった。

 

 

 


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