魔界と地上をつなぐ恒久的な扉。
ライオネルが複数設置したそれらは、未だに少しずつではあるが数を増やしている。
地上の目ぼしい地点を見つけては設置し、魔法使いたちの間口を広げているのだという。
だがその設置場所というのが人間にとっては非常に危険な地域であることが多いため、向こうからの利用者はほとんどおらず、たまに見かけても妖魔の類か神族であることがほとんどだ。
こちらから向こうへ行く者もいるにはいるが……なぜわざわざ魔界側の扉まで辺鄙な場所に設定したのだろうか。
「交通の要所がどう発展していくのか気になるから」
「観察目的か……利用者にとっての利便性は?」
「後々勝手に上がっていくだろうから、別に気にする必要はないんじゃない?」
ライオネルは呑気に構えているが、それはどれほどの年月を想定しているのだろうな……。
「まあ、利便性などどうでもいいことさ。人は賢いし、執着心も強い。求めれば彼らは必ずここを潜るさ」
「そういうものか」
「そうだとも。サリエルも時間に余裕があれば、少し様子を見て回ると良い」
人間ね。まあ、気にならないでもないのだが。
「いや、やめておこう。今回は任された仕事のために動くとするさ」
「殊勝なのか、ただヤゴコロとたくさん話したいだけなのか」
「……どちらもだ」
「正直でよろしい」
門をくぐり、地上――ライオネルがいうところの日本へと降り立った。
「……ふん、過疎にもなろうものだな。発展など何百、何千年先になることか……」
門をくぐって出た場所は、鍾乳洞の中。
そこは既に現地の魔法使いによって封鎖されているのか、各所に封印や罠の跡が見て取れる。
洞穴の入り口には更に厳重な結界が張られているようだ。ここをくぐり抜けるのは、多少腕に覚えがある程度の魔族でも難しいだろう。
私でも念入りに結界抜けの術を構築しなければ、無作動での通過ができないくらいだ。
「……“不可視”」
洞窟を出た後は術を唱え、姿を消し、空へ舞い上がる。
私の目的はヤゴコロとの接触、そして対話だ。あまり面倒事に巻き込まれたくはない。
あの熟達した結界を施した者に多少の興味は湧くが、それはそれだ。
「山地ばかりだな」
日本は島国というが、かなり山地の割合が多いようだ。
身を隠すにはなかなか悪くない立地だ。隠匿の結界を用いれば快適に過ごせるかもしれん。
……ヤゴコロは月からの追手を警戒し、ここに身を隠している。
彼女の頭脳があれば、きっと何年でも姿を隠せるだろう。
「こんな代物が他の連中の手に渡っていなければ、だが……」
私はライオネルより渡された道具を手に取り、それに魔力を込めた。
“追跡時計”。見た目はただ黄金で出来ただけの懐中時計にすぎないが、魔力を込めた際の動作は全く異なっている。
時計にはあらかじめ一人分の霊魂が記録されており、時計の長針は常に記録された者がいる方向を指し示す。短針は高低差を示す針だ。概ね、この時計が丁度零時を指し示した方向に進んでいけば問題ない。
対象者との直線方向が判別できるだけであればわざわざこのように分かりづらい時計型にする必要もないはずだが、そこはライオネルの遊び心なのだろう。
私はそれより、ヤゴコロの居場所を特定する専用の道具があることに寒気を感じてしまったが……。
……まあ、この時計の通りに進めばすぐにでも彼女に逢えるのだ。
礼こそあっても、文句はない。
「久々だな。こうも気持ちが高ぶるのは」
私は心のままに六枚の翼を広げ、彼女が暮らす方角へ飛んだ。
距離は大したことはなかった。
周辺に人の気配もない。せいぜいが現地の小動物程度で、植物も竹のみという簡素さである。
時計の指示に間違いはなかったようだ。
針は常にこの竹林を指し示しているし、竹林には惑わしの魔力が込められている。
……“新月の書”に由来する、原始的な魔術だ。
「ここにいるのだな」
竹林に踏み入り、様々な罠や幻惑を避けながら進んでゆく。
非常に念入りな……いや、病的な外敵対策が施されているように感じる。
こうも厳重に構築しているとなると、もはや内側から外側へ出ることも難しいように感じられるのだが……。
「そこの者、止まりなさい」
声が聞こえた。
木立が密集する奥の更に向こう側。
影で何も見えない場所からの――懐かしく、愛おしい声。
「この矢は必ず当たり、何者であろうともその心臓を貫き、速やかに壊死させます。抵抗は無駄です」
ヤゴコロが、あそこにいる。
「質問に答えなさい。何の目的があって――」
「……大切な人に、会うためだ」
「……」
私は後ろで手を組み、無抵抗のまま答えた。
暫しの沈黙が流れる。焦れったいような、心地いいような。
いや、それはきっと私だけで、向こうは心を乱しているのだろう。ともすれば私だけにとって心地良い沈黙なのかもしれない。
「……サリエル、様?」
ああ、ヤゴコロ。またその声で名を呼ばれることを、どれだけ心待ちにしていたことか。
「サリエル様、なのですね」
声だけでなく、もっと確認すべきことはあるだろうに。
ヤゴコロは周囲に張り巡らされた罠の厳重さに反して、あまりにも安易に姿を表してしまった。
もし私が心無い賊であったならば、どうなっていたことか。
「そう、私だよ。ヤゴコロ」
木陰から出てきたヤゴコロは、以前よりも少し陰を増した印象はあるものの――紛れもなく私が夢想し続けてきた彼女そのものだった。
ヤゴコロは手近な竹に手をついて、どこか危なっかしい足取りでこちらに近づいてくる。しかしそれも五メートルほど離れたところまで。彼女はそこで立ち止まっている。
私を見つめるその瞳には、戸惑い、驚き、そして……これは私の願望かもしれないが……多分、歓びも混じっているのではないかと思う。
「……ヤゴコロ。どこか話せる場所があれば、」
「っ」
私はその時気の利いたことを言おうとしたが、驚きのあまりその後の言葉を失った。
僅かに眉間を歪めたヤゴコロがこちらに詰め寄って、勢いよく私の手を握りしめたからだ。
「……」
ヤゴコロは私の右手を両手で包んだまま、暫し俯いた。
言葉はない。ただ、私も彼女がするように、両手で優しく手を包んでやる。
ヤゴコロの体温を感じる。
彼女の存在が伝わってくる。
……そうだな。……隔たれた時間は、あまりにも長かった。
しばらくはこのままでいるのが、丁度いいのだろう。