その後ヤゴコロは気恥ずかしそうに手を離すと、私を屋敷まで先導してくれた。
竹林は多くの生物を避け続けているためか、物音や気配がなく、ただただ静謐だ。
ヤゴコロが暮らす屋敷は、そんな竹林を抜けた先でひっそりと佇んでいた。
華美ではないが、品良く整えられた木造の屋敷。そこには不蝕に似た魔法がかけられているようで、時の流れを感じさせない不自然な真新しさと、逆に周囲が不滅の存在に適応ゆくことで醸される自然さが同居している。
しかし、生活感はない。悪魔や魔人たちの暮らしのような“生活の営み”といった気配が極々希薄なのだ。
神族たちの生活様式を思い出させてくれる。私もかつては、このような場所で暮らしていたのだ。
「今は姫……輝夜と共に二人で暮らしています」
「輝夜。黒髪の女性だったかな」
「はい。元々は地上の神族だったのですが、縁がありまして……とても良い子なのですが、好奇心が強いので礼を失することがあるかもしれません」
「構わないさ。私は客人だ、むしろ邪魔にならないようにすぐに……」
そこまで言って、廊下を進んでいたヤゴコロが振り返った。
努めて平常を保とうとしている顔。しかし彼女の目からは、少なからぬ必死さを感じられる。
「……いや、もちろん積もった話もある。多少の長居はさせてもらうよ」
「嬉しいです」
ヤゴコロは素直に薄く微笑んだ。
……以前の彼女はこんなにも実直に心を曝け出していただろうか?
いや、長い時が経ったのだ。私もヤゴコロも、互いに変わるものは多いだろう。特に私などは、外見からして……。
……こうして再び出会えたことに感謝しなくてはなるまい。
部屋の様式は高天原に似たものだった。
小さくまとまった調度品と、老廃物によって汚染のされていない極めて清浄な室内だ。
窓の外には侘しげな庭が見える。窓辺に置いてある枯れ枝のような植物は……なるほど。これが例の品だったか。
「まず、ご用向を伺いたく……とはいえ、だいたい察しはついているのですが」
「うむ。今の私は、個人ではない。魔界の使者としてライオネルより遣わされた身だ」
ライオネル。おそらくはその名前に、ヤゴコロの肩が僅かに震えた。
「だが用件はそう大したものではない。高天原の神族に詳しいヤゴコロに聞いてこいと頼まれたことがあってな。役目はそれだけだ」
「聞きたいこと? 高天原の神族について……? ふむ……」
さすがに突拍子もないことまで予想を巡らせることはできないか。
実際のところ私にもわからないからな。
「確かヤゴコロは、タカミムスヒという神族の眷属として生まれたのだったな」
「ええ、はい。そうですが……」
「ライオネルから頼まれたのは、高天原において最も古いとされる……つまりヤゴコロたちの
「……」
具体的な問を投げかけると、ヤゴコロは僅かな時間考え込んで、すぐにまた口を開いた。
「造化神たちのことでしょうか。我々のような眷属を生み出した、大本の神族らがそう呼ばれています」
「おお、まさにその通りだ。タカミムスヒはそのうちの一人か?」
「はい。他にもいらっしゃいますが……今の彼らは皆、月の都の奥に隠れられているでしょう。良くも悪くも、感情に乏しい方々です」
複数の神族が眷属を増やし、それらが寄り集まって一つの派閥となるのは珍しいことではない。
しかしそうなるとルーツを辿るのが少し難しくなるか……。
「そして……申し訳ございません。実は私の知る限りでは、その……存在が確かと断言できる中で最も古いとされる神族は、タカミムスヒなのです。月の都においても、多くの方々はそう認識しているものかと」
「む……そうだったのか」
「あとは……これはタカミムスヒがかつて話してくれたことなのですが……」
その時、部屋の襖が勢いよく開け放たれた。
「永琳! って、あ……」
そこに立っていたのは、黒髪の美しい神族。
月の都では身体を張ってヤゴコロを守ろうとしてくれた女性だ。
確かに少々礼を欠きやすい性質ではありそうだが、魔界の悪魔共と比べれば遥かに可愛らしいものだろう。
ヤゴコロを守ろうとしてくれた分、私からの個人的な印象は非常に良いものだ。
「永琳、その女の人……って、もしかして。月にいた……?」
「はい。……輝夜にはまだ話していませんでしたね。こちらはかつてお世話になった上位神族のサリエル様です」
「サリエルだ。今は魔界の遣いとしてここにいる」
「ふうん。永琳をどうするつもりなの?」
輝夜の目が細まり、威圧的な魔力がこちらに向けられた。
いつでも能力を発揮できる。そう言いたげな気配だ。
「姫、およしなさい」
「……永琳? ……大丈夫なの?」
「まずは貴女の力を納めてください」
ヤゴコロに窘められ、輝夜と呼ばれた女は強く困惑しながらも魔力を元に戻した。
「サリエル様は私と話すためにここへきただけです。私や輝夜を害する意図はなく、また月の都とも関わりはありません。安心してください」
「……本当にそうなの? でも魔界から来たのでしょう? あのライオネルとかいう人がいる所」
「気を揉んでいるようだが、ヤゴコロの言う通りだ。私にそちらへの害意は一切無い。私は本当に、ただ話をしにきただけだよ」
「……むう」
私がそう言っても輝夜は信じていないのか、眉を険しくしている。
そして何か考えが纏まったのか、私達の席とは少しだけ離れた場所に座り込み、毅然とした様子で鼻を鳴らした。
「では、どうぞ話の続きを。永琳は私の配下なのだから、話を聞いておく義務があるわ」
ヤゴコロが配下。というところがあまり納得できないのだが……ヤゴコロは苦笑している。そういうことにしておけということか。
まあ、後ろ暗い話などなにもない。むしろ不安がらせている以上、こちらの懐は知ってもらうべきだろう。
「……ではサリエル様、話を戻します」
「ああ」
「タカミムスヒはかつて、自分よりも古い……つまりタカミムスヒを生み出した存在について言及したことがあります。自分でも確信が持てない様子だったので、想像で補う部分が多い説だとは思うのですが」
「ほう?」
つまり神族の派閥によくみられる最も古き者について、高天原でも考察されていたということか。
「我々神族が用いていた言語。ある程度似通った姿形。先天的に有している能力。それらは最も原始的な神の性質か、あるいは記憶より継承されたものである。こういった説をタカミムスヒは提言し、私はそれを支持しています。もっとも都の神族の一部は、そうともいえないのですが」
「……根源に位置する神の存在、と」
「実際に言葉を交わしたことも、姿を見たこともありません。ですがタカミムスヒや私達はその根源的な神の存在について、何らかの人格があるものとし、暫定的な呼び名を設定してあります」
“それが”。
ヤゴコロは一拍空けて、一言分の息を吸った。
「
「……アメノ、ミナカヌシ……か」
存在は定かでない。説としてあるものの、懐疑的に思うものもいる。
だが、呼び名はあった。それがわかれば充分だ。
きっとこれでライオネルも満足するだろう。
「うむ、ありがとうヤゴコロ。さすが、詳しいな」
「いえ……私が知っているのはあくまで名前だけ。あまりお力になれず、申し訳ございません」
「気にすることはない。とても役に立ったよ」
「……はい」
ヤゴコロは頬を赤く染めて、小さく頷く。
大抵の者ならば驕り高ぶるだけの叡智を宿しているというのに、なんとも慎ましいものだ。
こういう部分は相変わらず昔と変わらない……。
「……あのー? サリエル様でしたか?」
彼女の顔を眺めていると、横合からむくれっつらが邪魔してきた。
「そうだが」
「前々から気になっていたのですが。貴女と永琳はどのような間柄なのでしょうか」
「ちょっと、輝夜」
「もう必要な話には一段落がついたのでしょ、永琳は一旦休みよ」
おお、ヤゴコロが困っている。珍しいな。
「ねえサリエル様? よろしければ永琳との馴れ初めについて話していただけますか?」
「輝夜っ」
「はは、良いではないかヤゴコロ。どうせ昔話はするつもりだったのだし、どうせなら彼女にも聞かせてあげよう」
「……輝夜、貴女楽しんでいますね?」
「もちろん。変化のない日々を過ごすのも悪くはないけど、新鮮な話を聞くのも良いじゃない? それが私の知らない永琳の一面ともなれば、ね?」
輝夜は興味津々といった様子で両手を合わせている。
純粋無垢だが、ヤゴコロはそんな彼女に振り回されることも多いのだろう。
だが口で止めに入るほど、ヤゴコロも気が進んでいないようでもなかった。
「……わかりました。では輝夜にもわかるように話していきましょう」
「やった」
「ですがサリエル様、そのお体についてもですが……私からも色々とお訊ねさせてもらいますからね」
「身体? 永琳どういうこと?」
うむ……確かにそれもそうだな……ああ、話すことはたくさんありそうだ。
もちろん、楽しみではあるがね。
さて、薄々とわかってはいたことだがライオネルよ。
すまんな。数日ほどは話し込むかもしれん。
だが悪い報告をするつもりはないのだ。許してくれよ。