東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン
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 静木老人が村から姿を消した。

 その異常に最初に気が付いたのは、村の哨戒にあたっていた狩人、九右衛門であった。

 

 静木の暮らしているボロ屋は不思議なことに妖怪や妖精が寄り付かず、長らく平和を保ち続けてきた。それだけに周辺の警備は慣例的に手薄になりがちで、見回りの頻度は低くなっていた。九右衛門が直感で静木の小屋を訪ねていなければ、事態の発覚は更に遅れていたかもしれない。

 

「小屋には何もなかった。家具も、道具も、暮らしていれば少しは積もるだろう埃さえも」

 

 中を検めた九右衛門は、小屋の中が完全な空であったことを確認した。

 そこには生活の痕跡と呼べるものは一切なく、ただ“部屋と呼べるだけの空間”があるだけだった。

 

「部屋にあったのはこの置き手紙だけだ。村の者に宛てているのだろうが……どういうことだか」

 

 九右衛門は部屋の中に唯一あったそれを床の上に放り、村の退治屋達の反応を伺う。

 静木。比較的新参ではあるが、今ではれっきとした村人の一人である。それが突然いなくなったとなれば、多少の騒ぎにはなろうものであった。

 床の上に落ちた紙を見て、神主は疑問に首をひねる。

 

「……“しばらく出掛けます”。……えらく達筆だが、簡潔に過ぎるな」

「俺にはこれが静木の文字なのかどうかわからん。彼は木彫り以外にもできたのか」

「金物の扱いもできたはずだ。手先は器用なものじゃぞ」

「よく子供に玩具を拵えていた。出来は良かったな」

「誰か静木の筆致を知っている者はいないか」

 

 九右衛門の問いかけに、集まった退治屋達は押し黙る。

 彼らは専門性の高い職ではあったが、どれも現場仕事。実力はそれぞれ文句の付け所はないが、他人の文字の癖を区別できる者は少なかった。

 ここでは辛うじて文字を読めるだけの文盲が多い。達筆とされる文書をすらすらと解読できるのは村長と神主を含め片手に収まる程度だろう。

 

「私は知っているぞ、静木の筆致を。これはまさしく彼の書き記したものだろうな」

 

 幸い、神主は静木の文字に覚えがあった。

 たまに命之助と一緒になって妖怪に関する資料を纏めている際、何度か筆を取っている姿を見たことがあったのだ。口に出して詮索はしないが、どのような生まれならあれほどの字を書けるのか。それが強く印象に残っていた。

 

「では静木はどこへいったのだろうか」

「わからぬ」

「来た時も突然だったが、去る時までもとは……こざっぱりとした部屋もそうだが、まるで妖怪のような」

 

 誰かがその言葉を口にした途端、がやがやと賑わっていた集まりの声が数段静まった。

 それはまるで、言ってはならぬ言葉を発し、聞いた者が思わず口を噤んだかのような沈黙であった。

 

「……静木が妖怪であるなど、考えたくないな」

 

 神主は表情を削ぎ落とした顔で、ぽつりと呟く。

 冷酷な声色だった。すぐ隣にいた九右衛門からしてみれば、“もしそうであるならば仕方ない”と割り切っているような言葉に聞こえてならなかった。

 

「神主。貴方は静木が妖怪であったならばどうするつもりだ。また共に命之助の挟んで笑い合うのか。それとも退治し、殺すのか」

 

 明羅は間髪入れず、率直に訊ねた。

 

「……殺す殺さないは、わからぬ。だが、妖怪だろう。大宿直村に妖怪がいてはならん。退治はするだろうな」

「命之助は悲しむだろうな。それでもか」

「……明羅殿。先程からやけに訊くではないか。もしや、知っているのか。事実なのか。静木が……」

「まさか。私が貴方より彼のことを知るはずもないだろう」

 

 何を言うのか。明羅は可笑しそうに薄く微笑んでいる。

 神主はそれを訝しんでいたが、大抵いつも神秘的な気配を纏っている明羅に対し、それを強引に暴くことはできなかった。

 

「ともかく、静木についてはもういいじゃろう。本人が村を空けると書き残したのは間違いないのだ。これ以上は我々が考えても詮無きこと」

 

 静木について気になる者は多いが、村長の言う通りである。

 彼が何者かを知る術は誰も持ち得ていないのだから、無駄な会議に時間を裂くのは有意義ではない。

 

「各々、仕事に戻ってくれ。九右衛門、この書き置きはこちらで預かっても構わんな?」

「もちろん」

「うむ、知らせてくれて助かった。文字の判別に関しては神主にも感謝せねばならんな」

「あ、いえ。私などただ言われたままに答えただけで」

 

 村長の鋭い目で見られると、神主であってもついつい丁寧な言葉を使ってしまう。

 あるいは長い都での生活で染み付いた“上司に逆らってはならない”という反射が作動しているのかもしれない。

 “上司”だと思わせるだけの静かな迫力と能力が、目の前の老人には備わっている。神主は自分の抱く緊張が概ね正しいものであろうことを確信していた。

 

「そうさな……神主もここへ来て、そこそこ経つか。今ではすっかり、ミマと並んで村になくてはならぬ退治屋になってしまったな」

「はあ」

 

 しみじみと語り始める村長に、神主はどう返したものかと迷う。

 既に緊急の会は解散となり、周囲に人はいない。自分ひとりだけが村長の長話に付き合わされるのではないかと、彼は内心冷や冷やしていた。

 

「……そろそろお主にも伝えておくべきだろう。この大宿直村と、妖怪との関わりについて」

「!」

 

 妖怪。

 その単語だけならば村にとって日常的なものだが、何か含む所がありそうな言い方だった。

 

「何を、知るべきだと」

「まず。わしだけでなく他の者もそうだが、お前さんが妖怪を敵視していることをわかっておる。そして、妖怪のほとんどが敵であるという認識も持っている。それだけ断りを入れておこう」

 

 真面目な語り口調だ。聞かねばならないのだろう。

 だが話の流れは不穏で、神主はできることならば自分の耳を塞ぎたくもあった。

 

「……大宿直村では、妖怪が暮らしておる。野山などではない。我々の集落にという意味だ」

 

 妖怪が暮らしている。

 

 ああやはりかと、神主は下唇を噛んだ。

 

 

 

 




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