諸国を練り歩くミマの旅路は、決して平穏なものとは言い難かった。
盗賊や横暴な領主の類であればまだどうとでもなる。
人による世知辛さなど、ミマからすれば生まれた頃よりずっと味わってきたものだ。それはもはや織り込み済みである。
だが今回の旅においては、非常に強い疫病と、それに付随する妖怪達の行動領域の拡大が大きな障害であった。
疱瘡の大流行は多数の死者を出し、人々を恐怖させた。
爛れゆく皮膚。崩れ落ちる肉体。一度罹れば決して去ることのない不治の病魔。
疱瘡への恐怖を苗床に、病を司る虫妖怪や植物妖怪の力が一気に強化され、妖怪たちの勢力図が大きく変動したのである。
危険性の高い強力な妖怪である鬼や天狗も恐怖の対象ではあるが、それらは塒を山などを中心として定める、ある程度秩序だった種族である。
だが病魔を司る者たちの中には、そういった縄張り意識の希薄な者が多かった。
人の生活圏だろうと妖怪の縄張りだろうと、ところ構わず侵入し、猛威を振るう。
個々の妖怪としての力量が突出しておらずとも、この傾向は人間社会にとって致命的な痛手だった。
まず、流行する病は人と人との接触を極端に縮小させた。
感染経路について先進的な学がなくとも、病が伝染するものであることは誰もがわかっていることだ。
そのため各地では新参者や余所者を受け入れない地域も多くあり、ミマはちょっとした人物に会いに行くのでも苦労することになった。
歩き巫女は各地を回るのにそこそこ身軽な方であるが、疫病が広まれば話は変わってくる。それは神社の関係者であっても同じで、何日も無駄な足止めを食らったり、酷い時には野営もさせられた程だった。
物流は滞り、書状の配送一つでさえ不安定。
口減らしという意味では相当な効果があったのかもしれないが、収穫の担い手が減ったのでは意味がないし、何より河川に珍しくもなく浮かんでいる死体によって、相当な数の畑が汚染されたという。
飢える者は古今東西絶えることがなかったが、近年では笑えない程度にまで増加している。
大宿直村は妖怪の多さからして口が裂けても穏やかな村とは言い難かったが、近年において言えば、外の方がずっと物騒かもしれない。
「辺鄙なところってのも、案外悪いことばかりじゃないのねえ……」
人からは拒まれ、妖怪からは襲われる。
各地を放浪する中で、ミマは望郷の想いを募らせていった。
それでも、巫女として最低限の仕事というものはある。
義務を果たさないことには、ただでさえ胡散臭い職業である歩き巫女が“自称・歩き巫女”になってしまう。
ミマも自分が型に嵌らない人間であるという意識はあったが、積極的に型を破り傾いて生きるのを良しと思ったことはない。守るべき規律はあるし、尊ぶべき風習もある。
儀式を担う者として、最低限の線引きを踏み越えないようにする意識はしっかり有していた。
巫女としての遣いは面倒だし、故郷と定めた村も恋しいが、やるべきことはきっちりこなす。
“自分で来いっつった癖に門前払いとはどういう了見だハゲ”とか“女は不浄であるから直に訪ねることはならないじゃないわよついに耄碌したかクソジジイ”とか色々と思うところこそあったが、ミマは持ち前の忍耐で仕事をこなしていたのだった。
「これでようやく最後ね……ああ、やっと終わる……」
各地を歩き回っての参拝と、報告と、そしてもののついでと託される膨大な書状の配達。
手紙を届ける足は慢性的に不足していたので、ミマのような体の良い運び手はどこへいっても重宝された。
もちろん相応の見返りもあるのだが、それが空手形であったりすることも珍しくないし、何よりどこへ行っても毎回何かしら頼まれるので、終わりが見えない仕事であった。
しかしそれもようやく一段落し、あとは一通の書状を寂れた漁村に届けるだけ。
それを終えればようやく故郷に戻れるところまで、ミマはやってきたのだった。
「長かったなあ……」
今回の旅は、なんやかんやあって一年以上かかった。
とにかく盥回しにされたりだとか、手紙の届け先の相手が病で没していたりだとか、人関係の騒動や問題が多かった旅であったと、ミマはしみじみと思い返す。
終わってみればそれなりに楽しい思い出もあったが、偉そうに仕事を押し付ける男共の汚れた笑みが脳裏にちらついてしまい、やはりそう早く美化はできないものだなと苦笑が漏れる。
「……やっぱ、あたしは外より村のが良いな」
名所や景勝地も訪れた。
そこで人並みに感動もしたし驚きもしたが、ミマとしてはそこに憧れを抱くことはなかったし、住処にしたいとも思えなかった。
格式の高い神宮も、自然の美しい湖も、あの小さな村に比べれば遠く及ばない。
妖怪が我が物顔で棲み着いていたり、何やら腹の中で企んでいる連中もいるにはいるが、それを踏まえた上で、ミマは大宿直村を愛していたのだ。
今も赤く染まりゆく海岸を眺めながら心地よい夕涼みに耽っているものの、むこうの浜辺に小屋を建てて暮らしたいだとか、そんな想いは湧いてこなかった。
「海も川も、嫌いじゃないんだけどねえ」
やはり崩れて沈む砂浜よりも、しっかりと根づいた山の道のほうが歩き巫女の性には合っているのかもしれない。
そんなことを考えながら、ミマは尻についていた砂を軽く払い、風呂敷を結び直して歩き始める。
ここから村まではそうかからない程度の距離らしいが、これから日が沈むまで、もう幾ばくもない。
当然、街灯などはない時代だ。夜は闇に包まれるだろう。ともすれば妖怪だって現れるかもしれない。
だがその点においてミマに不安はなく、むしろ“星明りが出る夜だからこそ安全になる”とさえ考えていた。
それこそ、今回の旅で何度あったかわからない“歩き巫女を村総出で罠にかける”ような真似をされたとしても問題のないくらいには、晴れた夜とは信頼できる環境だった。
魔力は潤沢だし、札の用意も充分。脚がちょっと疲れている以外には問題らしい問題もない。
ミマは漁村へ向けて、軽快な足取りを進めていた。
「……ん?」
だが、進行方向に嫌な予感を察知する。
懸念していた、人間によるものとは違う、それよりもずっと慣れた嫌な予感だった。
「おいおい、嘘でしょう……」
妖怪。そして、濃密な死の気配だ。
微かに聞こえる叫び声からして、どうも悠長に歩いていられる状況ではないらしい。
「最後の仕事なんだから、気持ちよく終わらせてよっ」
ミマは走り、漁村へ急いだ。