東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 その寂れた漁村は、荒波の絶えない入り組んだ岸辺の近くにひっそりと息づいていた。

 淡水は遠方の山より流れてくる一メートルもない小川を頼りにしており、田畑は少なく、食事のほとんどは魚介類に偏っている。かといって漁には危険が付き纏い、命を落とす者が多く、その割に漁獲量は少ない。非常に貧しい村であった。

 近隣の村は遠く、海に乗り出すことも難しく、それでも地元の村人たちが受け継いできた限られた漁場の知識やノウハウによって、辛うじて成立しているような村だ。

 

 元々閉鎖的な村であり、他との関わりも薄く、長年孤立し続けている。

 その点で見れば大宿直村と似た境遇にあるとも言えるが、大宿直村とは異なり、昔から妖怪からの襲撃を免れ続けていたという点において真逆であった。

 

 大宿直村は肥沃だが、妖怪の楽園。

 漁村は食に乏しいが、安全。

 

 村人たちも貧しい生活を喜んで受け入れていたわけではないだろうが、廃村になることなく一定の住人がその土地に居着き続けているという事実には、それなりの理由もあるのだった。

 

 だが今、その漁村に留まる大前提が崩壊しつつある。

 

「チッ……」

 

 大股で駆けるミマの目に、青白く光る煙が映った。

 炎だ。それもとびっきり不吉な炎。

 それは妖術による炎に違いなかった。

 

 厄介な妖怪に村が襲われている。人も死んでいるだろう。もはや猶予はない。

 

「……“流星の靴”!」

 

 ミマは周囲の魔力を巻き取り、自らの草鞋に清浄な輝きをまとわせた。

 星の瞬きを浴びて力を増すそれは、ミマの体重を消し去り、浮かべ、そして推進力をも生み出した。

 “星界の書”における初級魔術“流星の靴”。その魔術は術者を重力の軛から解き放ち、猛禽を凌駕する空中移動を可能とする。

 

 ミマが空を蹴り、空気を穿って一直線に飛んだ。

 前方に生み出した結界は空気と枝葉を退け、彼女の体を速やかに目的地へと運ぶ。

 

 そうして数十秒もかけることなく、ミマは目的の漁村へと到着した。

 

「な……こいつは、酷すぎる……!」

 

 だが、既にそこは火炎に包まれており地獄の様相を呈していた。

 あばら家は焼け崩れ、人だったものはもがき苦しんだ姿のまま路傍で炭火となって光っている。

 怪火が廃村を青白く染め、滅ぼしていた。

 

 絶望的な光景だった。だがミマはこの光景に感傷するよりも先に、素早く現状を分析する。

 

 村は今なお燃えており、死体も家もまだまだ焼けている最中だ。

 既に極まった悲惨さではあるが、これは新鮮な、現在進行系の悲劇である。襲撃直後とみて間違いない。

 そして短時間でこれほどの悲劇を生み出せる妖怪ともなれば、それは統率の取れた妖怪か、あるいは一個の強大な妖怪かのどちらかだが……。

 

 組織を構築する妖怪が村を滅ぼすことは、ないことはない。鬼などはしょっちゅう人里に攻め入るし、天狗も場合によっては集団で村落に襲いかかることもある。

 だが、こうして人を食いも嬲りもせずに焼き殺す妖怪というのは……ミマの知る限り、ほとんどない。

 

 つまりこれは……。

 

 

『だあれ? そこにいるのはだあれ? だあれなの?』

 

 

 一個の妖怪。

 それも限りなく強大な力を持ち、無差別に人を殺す非道さを併せ持った最悪のタイプに違いなかった。

 

「自分のお節介を恨むことは多いけど……今日ほど恨んだことはないねえ……」

 

 青く燃え盛るや屋敷の屋根を突き破り、その大きな人影は姿を表した。

 身長は4メートルほどはあろうか。巨体は群青じみた腫瘍に覆われた、思わず目を背けたくなるような醜悪な姿だった。

 ぶくぶくと膨らんだ指先を屋根に突き立て、腫れきって男か女かも区別できない顔で周囲を見回している。まぶたは膨張しすぎて目を全く開けていないが、何かを探しているかの様子を見る限り、他の探索能力を持っている可能性がある。楽観視はできないだろう。

 

『だあれ? どこにかくれたの? いつまでかくれているの?』

 

 巨人は体中のできものから黒っぽい膿を噴出させていた。

 それは空気に触れるとすぐさま青白く発火し、燃料と化している。

 巨人のいる屋敷が際立って火の手が激しいため、それは間違いないだろう。

 

『だれ――』

 

 濁った女の声は、途中で崩れ落ちた。

 業火に晒された屋敷が巨人の重量に絶えきれず、崩落したのである。

 

『――イヤァアアアアアッ!』

 

 そして悲鳴。辺りの廃屋が崩れるほどの轟音が響く。

 同時に焼け崩れた屋敷が爆発し、中から燃え盛った巨人が悶えるように飛び出した。

 顔を手で覆い、悲しむような素振りを見せている。

 

 だがミマは間違ってもそれに同情の声をかけることはしないだろう。

 御幣を取り出し、魔力を整え、眼の前でふらつく巨人を最大限警戒する。

 炎に包まれた暑い廃村の中にあって、ミマは頬に冷や汗を流していた。

 

『ァアア……くるしい、いたい、くやしい、かゆい、つらい、こわい……ゆるさない……ゆるさないゆるさないゆるさない……!』

 

 顔を手で覆い、苦しむ巨大妖怪。

 だが吐き出す弱音は次第に呪詛となり、辛うじて女だと判別できた声はだんだんと低く濁ってゆく。

 

『――ゆるさない』

 

 顔を覆う手を剥がしたそこに、膿の涙を流す碧眼があった。

 妖しく光る目は臨戦態勢のミマをまっすぐに見据え、捉えている。

 先程までの混乱した様子は見られない。ただただ鋭く硬質な殺気が、ミマに向けられていた。

 

『おまえも――いっしょに――ただれて――しねッ!』

 

 青白く燃えていた怪火が、その発色を緑に変える。

 同時に振りかぶった長い腕が、振り下ろされ――無数の飛沫を射出した。

 

「“星圏”ッ!」

 

 御幣を振り抜き、自身の周囲に局所的な嵐を起こす。

 ミマの周りは一時的な暴風域となり、高速で飛来した膿を消し飛ばしてみせた。

 

 ――あの飛ばしてくる膿が、この大火災の原因だろう。

 

 ミマの考察は正しい。

 それを追認するように、ミマに直撃しなかった膿の飛沫が地面や奥の木々を抉り、煌々と燃えているのが見えた。

 

 燃えるだけでなく、物理的な威力も桁外れだ。

 強力な矢除けの術でなければ防ぐことは出来ないだろう。

 

「どうしてこんな場所に、こんな妖怪がいるんだ……!?」

 

 都でもそうそう見られないレベルの大妖怪だ。

 陰陽師が何人いれば撃退できるのかも想像すらできない。

 今もミマは退治するより、撤退を念頭に考えるほどだ。こんな化物が数分も暴れた村で生存者が見つかるはずもなかった。

 

『あなたも――くるしんで――もえつきてしまえばいい』

「……ッ!」

 

 逃げるには結界を多重に張り、亜空移動すべきか――。

 専守防衛を念頭に入れていた矢先、ミマは自身の巫女服の袖が強い熱を発していることに気がついた。

 

 袖が――いや、袖の中に隠し持っていた神主の護符が、激しく燃えている。

 

「ま、ずい! これは不味すぎるッ……!」

『もえない? もえつきない?』

 

 ミマは迷うことなく、巫女服の袖を力任せに破り捨てた。

 袖の中に潜めた護符は呪詛を代わりに受ける身代わりの護符。それが激しく、しかも緑色に発火しているということは……この現象は“ミマを直接燃やそうとした”結果起きたものだった。

 

「“堅牢な星列”!」

『もえつきろ』

 

 巨大妖怪の緑色の目が輝きを放つ。

 が、今度はミマに異常が起こらない。

 

「ふうッ……! 魂を直接燃やす妖術だって……!? 冗談じゃない、こんなの大宿直村でもそうそう出ないヤツだ……!」

 

 “堅牢な星列”は自身の魔力運用を補助する魔法であると同時に、他者からの呪いや魔法の影響を排する効果を持っていた。

 呪詛を弾き反撃するための術としてなんとなく覚えていたものだったが、意想外の場面で運良く刺さった形だ。

 

『もえない――もやせない――なら――あなたのきれいなからだ――ひきちぎってあげる』

「……明羅……お土産渡せなかったら、怒るかな……」

 

 燃え盛る醜悪な巨人と、歩き巫女のミマ。

 滅び去った村の中で、苛烈な遭遇戦が始まった。

 

 


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