東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ミマの袖の中には数多くの札や針が仕込まれていた。

 消耗品もあれば、退魔用に長年使ってきた品々もある。しかし今はそれらは不気味な色合いの炎に包まれ、土の上で燃えている。

 強敵と相対する装備としては、万全とは言い難い。

 彼女の味方はそこそこ万全な体調と星明かりのみ。

 

「きなさい、デカブツ」

『きゃぁあああああ!』

 

 甲高い叫び声を上げ、巨大な妖怪が腕を振るう。

 膿とできもので膨れ上がった醜悪なそれは、見た目以上の呪いと厄を纏っていた。

 生けとし生けるものを腐らせる負の力。掠っただけでも致命的な症状を負うことは間違いない。

 

「隆結界」

 

 だが、それも当たればの話。

 妖怪の巨腕は赤っぽい半透明の壁を前に防がれていた。

 

『ぐ、ぎ、ぎ?』

「これが通じなかったら諦めてたとこだけど、良かった」

 

 ミマは残っていたなけなしの札のうちの一枚を媒体に小型の障壁を作り出していた。

 魔法でも妖術でもない、陰陽術。己の魂を魔法で保護しながら操るのは少々億劫だったが、手慣れたものであれば造作もない。

 

「思いの外一方的にいたぶってやれるかも……しれないねぇッ!」

『きぃいっ――』

 

 結界が爆ぜる。強烈な爆風は妖怪の上体を仰け反らせ、大きな隙を見せた。

 

「“星の槍”!」

『イヤアアアッ!?』

 

 星魔法初等術“星の槍”。右手から伸びる白銀の閃光が収束し、眩いレーザーとなって巨体の胸を貫いた。

 純粋な星の魔力による衝撃と高熱。それはいかなる呪いであっても防ぎようのない、無機物的な一撃であった。

 

「死なないのか。まあいいけどね」

 

 普通はそれだけで終わる。だが、巨体は胸に穴を開け、怯みこそしたが即死した様子はない。

 

「だったら死ぬまでやるだけよ」

 

 連撃を途絶えさせないこと。

 防御の手が少ないミマにとって、それこそが確実な勝利への道だ。

 

「はあッ!」

 

 “流星の靴”に魔力を込めて飛翔し、急接近。妖怪の大きな頭を蹴り上げる。

 目にも留まらぬ速さの蹴撃は相手の防御や反応を許さず、綺麗に顎を砕いてみせた。

 

「動きはトロいね」

 

 空中で蹴り上げた脚を、更にそのままもう一回転。

 二周目のサマーソルトが再び顎を打ち据え、後ろに傾いた巨体を今度こそ完全に転倒まで追い込む。

 

『ひねり――つぶして――あげる』

 

 倒れる間際、苦し紛れに伸ばされた大きな手がミマを襲う。

 しかしこれだけでは終わるほどミマも無防備ではない。

 二度のサマーソルトで振り上げた脚は、既に青白い輝きを放っていた。

 

「“下駄占い”――“雨天”ッ!」

 

 靴に宿った魔法“流星の靴”が蹴り下ろしと共に射出され、無数の光弾となって降り注ぐ。

 音の速度にも近い魔力弾は貫通力と打撃力に優れ、わずかに抵抗を試みた膿妖怪の体を強引に地面へと縫い付ける。

 

「潰すのはこっちの方よッ……やぁッ!」

 

 敵の真上を取り、地面へ追い詰めた。ミマはこの優位を逃さず、隠し持っていた符の全てを放ち、ばらまいた。

 複数の札がひとつの結界を組み上げ、生成し、そして巨大な実体でもって妖怪を上から押しつぶす。

 それはまるで、一枚の巨大な壁。妖怪は腕や脚を伸ばすことはおろか、燃え盛る膿を飛ばすこともできない。

 

『くるしい、つらい、だして、たすけて……』

 

 普通の妖怪であれば数十匹単位で圧死するほどの封印攻撃だ。

 しかし、それでもまだ決定打には至っていない。妖怪は嘆きの声をあげながら、間違いなく“耐えている”。

 

「札が、減りすぎてたか……!」

 

 この圧力に耐えられるのであれば、続けても効果は薄いだろう。

 かえって術を行使し続ける自分の方が摩耗し、ジリ貧になってしまう。

 

「じゃあこいつだ」

 

 必要なのは相手の化け物じみた耐久性を撃ち抜けるだけの高火力。

 ミマはそれを手のひらサイズの球体として生み出し、夜闇の中に掲げてみせた。

 

「悪霊……退散ッ!」

 

 注ぎ込まれた霊力が、小さな球体を急速に膨張させる。

 青白く発光するエネルギー弾はそのサイズを瞬時に家屋ほどにまで膨らませ、それはそのまま結界ごと地面へ突き刺さった。

 飛距離と発射速度を犠牲に、封印の退魔の力を限界まで注ぎ込んだ攻撃特化弾である。

 

 割れた結界の隙間で、膿妖怪がわずかに抵抗しようともがいていた。だがその姿が垣間見えたのも一瞬のことで、すぐさま光球のエネルギーに呑まれ見えなくなった。

 

「……大したことのない相手だったわね」

 

 ミマは自ら生み出した爆風に煽られながらもどうにか体を浮遊させ、離れた場所に降り立った。

 妖怪のいた場所は爆心地のようにもうもうと煙が立ち込め、よく見えない。大きく陥没した地面が広く、場所が悪ければ大規模な地すべりでも起こしていたかもしれないほどだ。

 

 札を全て使い切り、霊力もかなり注ぎ込んだ。

 ペースを考えない戦い方とも言えるかもしれない。だが、相手の技量はともかく、力量だけならば明らかに上手だったのだ。中途半端な攻撃では通ら無かった可能性もある。

 それならば一撃で決めることこそ安牌であったし、今回はそれが上手く決まったので、戦いそのものを振り返ってみて、ミマは最善を尽くしたと安堵することができた。

 

 これで駄目なら打つ手はない。それほどの戦いぶりだった。

 だからこそ、あの妖怪には死んでいてもらわなければ困る。

 

『よくも――』

「……冗談やめてよね……」

 

 死んでいてもらわなければ困るのだが、声が聞こえてしまった。

 ミマは半分以上諦念に苛まれながらも、大幣を前に構える。

 どうやら妖怪の底知れぬ耐久力は、ミマの全力攻撃を上回っていたらしい。

 

『よくも――わたしのかお――ゆるせない――』 

 

 だが、体の大部分は崩落していた。

 腕も脚も一本ずつ千切れているし、膿なのか内臓なのかわからないほどに体は穴まみれだ。

 もう少し攻撃すれば倒せるに違いない。だが、ミマは自身の残存する力ではそれが成せないだろうことをなんとなく察していた。

 

 倒せそうで倒せない。わずかに足りない。

 長年の退治屋としての経験が、頭の中で警鐘を鳴らしている。

 

「チッ……!」

 

 勝てない。ならばもうミマに迷いはなかった。

 最低限の防御魔法で自身の魂を守りつつ、低空飛行しながら村を離脱、逃亡する。

 幸か不幸かで言えば不幸だが、村にはもう生き残りはいない。凶悪極まりない妖怪を手負いで見逃すことを除けば、今全力で逃げるのは正しい選択だった。

 

「近場の陰陽でも退治屋でもいい、復活する前に声掛けしないと――また村が滅んでしまう……!」

『にげ――るな――』

「!?」

 

 飛翔していたミマの脚が熱を持つ。

 意識外からの強烈な痛みに、ミマは思わず飛翔を途切れさせ、その体を土の上に投げ出してしまった。

 

「きゃっ……! ぐッ……な、なにが……!?」

 

 飛行からの落下と転倒。それによる痛みもそこそこだが、それ以上に感じる焼けるような足の痛み。

 見れば自分の足首辺りに、黒っぽい痣が斜めに走っている。

 恐ろしいことにその痣がひとりでに炎を生み出し、燃えているのだった。

 

「くっ、解呪……“外殻の鎮静”!」

 

 妖怪によって放たれた膿の飛沫。それがこの奇妙な呪いの如き火傷を生み出したのだろう。

 放置すればろくな目に遭わないことは、急激に失われていく体力と凄まじい激痛が物語っている。

 ミマはすぐさま患部に封印を仕掛け、呪いを抑え込んだ。

 

『にが、さない――』

「はあ……はあ……」

 

 痛みと消耗に耐え、全力で治療にあたり、どうにか持ち直した頃には……既に、目の前にまで膿妖怪が歩み寄っていた。

 ミマにはもう抗う体力も、魔力も残されていない。意識を保つことさえ困難なのだ。醜い大妖怪の姿を睨み上げるだけが精一杯だった。

 

 巨大な腕が、緩慢な動きでミマへと近づいてゆく。

 その膿にまみれた手に掴まれれば、きっと全身が足のような痣に侵食されるのだろう。

 それは最大限の苦痛を伴う死であることは間違いなかった。

 

 思い起こすのは大宿直村で過ごした日々と、神主の姿。

 なぜこんな時に神主の姿を思い浮かべてしまうのか。その理由を今更自覚していない彼女でもなかったが――もう二度と会えないとなると、それは己の死のように悲しいものに思えてしまった。

 

 

 

「えいっ、やあっ!」

 

 全てを諦めていたその時だった。

 少女の声が聞こえたかと思えば、不意に赤い球体が視界の端から飛び込んできて、妖怪の体にぶつかってきた。

 

 艶の鈍い赤い球体だ。たいして早くもない速度だった。

 

『イヤァアアアアッ!? アガッ、イ、ァアアアアッ!』

 

 だがその球体が膿妖怪の胴体に接触した瞬間、強烈な退魔の波動が吹き抜けたかと思えば、それは妖怪の体を大きく吹き飛ばした。

 

「な……?」

 

 一体何が起こったのか。朦朧とする意識の中でミマが見たものは。

 

「わ、私が……私がやらなくちゃ……!」

 

 手負いとはいえ強大な妖怪に立ち向かう、震える少女の後ろ姿だった。

 

「あんた……」

「もう、逃げません……! この方を見殺しにして、一人でのうのうと生き残るくらいならば……!」

 

 粗末な着物、栄養の足りていない細身、華奢な白い肌。

 

「たとえ私が死のうとも、ここで必ず……あなたを封じてみせますッ!」

 

 決意を込めて叫ぶ少女の側頭部には、妖怪のねじれた角が生えていた。

 

『みつけた――みつけた――ころす、ころして、ひきちぎって――』

 

 燃え上がる膿妖怪と、赤い球体を掲げ上げる少女。

 

 拙く放り投げられた玉と膿妖怪の拳が接触した時、ミマの視界は眩しさと熱に包まれた。

 

 

 彼女は何者なのか?

 

 あの妖怪に挑むつもりなのか?

 

 

 幾つかの考えが過ったが、呪いによって体力を蝕まれていたミマは口をきくこともできず。

 彼女の意識は、闘いの終わりを見ることなく闇の中に沈んでいった。

 

 

 


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