東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ミマはかつて、ある大きな神社に仕える巫女見習いであった。

 肉体的には極めて健康で、幼少より物覚えは良く、霊力は人よりも秀で、それを十全に操るだけの才能もあった。

 才色兼備と呼ぶのが相応しいだろう。整った顔立ちは、一国の美姫にも匹敵するほどだった。事実、巫女となるまでは同い年から二十や三十上の男から言い寄られる程度には、彼女は周囲に将来的な美貌を予感させていた。

 

 問題はその美貌が仇となったことだろう。

 ある時、欲に負けた神官がミマに手を出そうと企み、その末に彼女の反撃によりあえなく大恥をかいたのだった。

 悪いのはそれがある程度以上に立場のある男だったということ。ミマは長く根拠地としていた神社を追放され、野良の歩き巫女として生きていかざるを得なくなったのだ。

 

 もちろんミマに過失はない。世が世ならば然るべき法によって男は裁かれていただろう。

 惜しむらくはこの時代において、女の権力というものは吹けば容易く飛ぶものであり、彼女は幼い頃より負けん気が強かったということだ。

 

 

 

 後ろ支えのない、女一人の流浪の旅。

 苦難は容易に想像できよう。

 いくら多少の降霊術や霊力を扱えようとも、騙し討ちをされれば防ぎようはない。

 ミマの人格がより猛々しく男勝りになるのに時間はかからなかった。

 そして数多の苦難を乗り越えてもなお、一人旅の限界はすぐにやってくる。

 

 それはいつのことであったか。

 武者崩れの野盗に囲まれ、執拗に野山を追い回され、人里離れた山林で遭難し、唐突に降り始めた大雨から逃れようと意を決して獣臭さの残る洞窟へと入り……。

 

 その最奥にて不自然に真新しい書物と出会い、彼女の全てが変わったのだ。

 

 

 

「巫女様……巫女様!」

 

 少女の呼び声が何度も頭の上で響いている。

 ミマはそれをしばらく他人事のように聞いていたが、寝ぼけた頭で“巫女様”が自分を指す言葉であることを理解すると、同時に覚醒した。

 

「あっ、巫女様……」

「ここは……」

 

 上体を起こしたミマは、寒さと倦怠感に包まれていた。

 辺りは暗く、月だけが空に灯っている。……潮の香りと風。顔を横に向ければ、月明かりに照らされた黒い海が遠くに見えた。

 

「村のはずれの、海か……」

 

 それは夕時、ミマが眺めていた海の景色であった。

 入り組んだ岩場と松林の地形を覚えているわけではないが、そう遠くではないことはわかる。

 

「あんたが助けてくれたの?」

「はっ、はい……」

 

 声をかけていた少女は頭を布で隠し、臆病に答えた。

 が、ミマにとって今はそれどころではない。

 

「あのでかい化物はどうなった? まだいるのか」

「わ、わかりません……倒したのかも……いえ、でもきっとまだどこかに……」

「あんたが倒したの? 一体どうやって」

「えっと、えっ……と……」

 

 少女は考えあぐねて、後ろに隠していた大きな赤い球体をミマに差し出した。

 球技に使う大きなボールほどのサイズだろうか。暗闇の中でははっきりと色までは見えないが、ほぼ完璧な球状に整えられたそれがただの石ころには見えなかった。

 

「……これは、退魔の力が込められた……あの、村に伝わる秘宝で……だったんですけど……それをぶつけたらあの妖怪は、形を崩して溶けて……その後は私にも、よくわからないです。ごめんなさい……」

 

 嘘ではないのだろう。

 恐る恐る言葉を口に出すこの少女は、少なくとも目にした事実だけを喋っているようだった。

 何より、あの恐ろしい妖怪がまだ動けていたとしたら、今ここに自分がいないのは間違いない。この内気そうな少女が妖怪を打倒した可能性は高い。

 

 しかし、だとすると困ったことになる。

 

「……お嬢ちゃん。あの村の子かい?」

 

 少女は暗い顔で小さく頷いた。

 

「村の……海神様を鎮める家の……その家で、養ってもらっていました」

「名前は?」

「……玉緒(たまお)

「玉緒か。良い名だね」

 

 そう語りかけても、少女は目を合わせようとしない。

 頭を覆う布を手で抑えたまま、不安そうに俯いているばかりだった。

 

「半妖だね?」

「!」

「わかるわよ。気絶する間際、あんたがあたしの前に出てきたのを覚えてるから。その時に頭の角、見えてたし」

「えっ、あっ……あ……!」

「そう怖がらないで。あたしの命の恩人じゃないか。取って食おうなんて思っちゃいないから」

 

 優しく微笑みかけると、そこでようやく少女――玉緒は、ミマと目を合わせた。

 そして頭を覆い隠す布をはらりと取り払い、小さく震えながらありのままの己を見せる。

 

 それはきっと玉緒にとって恐怖なのだろう。

 あるいは過去に何かあったのかもしれない。半人半妖の肩身の狭さはどこも似たようなものだ。大抵は胸糞悪い末路であったり、悲しい言い伝えであることをミマはよく知っている。

 

 だから少女の側頭部から伸びる二対のねじれた角を見ても、ミマはそれらをあえて無視して、彼女の綺麗な赤髪を撫でてやるのだ。

 

「おかげで助かったよ。ありがとう……玉緒」

「……!」

 

 自分の姿を見てそんな優しい言葉を投げかけられるとは思わなかったのか、玉緒は驚きを隠せなかった。

 

「あと、ごめんね。あんたの村……守れなくてさ」

「……いいんです」

「ごめん」

「いいんです……」

 

 玉緒はミマの裾に縋り付き、泣き顔を見られぬよう、声を聞かれぬように静かに泣いた。

 それは母親に泣きつく子供のような仕草だったが、懸命に声を押し殺そうとする彼女の姿は健気でありながらも、痛ましかった。

 

 

 

 一晩泣きはらし、身を寄せ合って暖を取り、体を休め。

 日が昇って件の妖怪の危機が辺りにないことを確認した二人は、行動を共にすることを決めた。

 

「ミマ様、お願いします。どうか私を傍においてください」

「……まぁ、そうねえ。そうするっきゃないか。うん、良いよ。丁度あたしもこれから帰り道なんだ。どうせなら一緒に、あたしらの村へ来ると良い」

「は、はいっ!」

 

 玉緒の村は全焼。巨大な膿妖怪はミマのいない間に倒されていたが、もはやそこで暮らしていけるだけの基盤は残っていない。

 そもそもが孤立していた寒村だ。半妖の少女一人で生きていくのは至難の道だろう。

 自分が味わった苦労を覚えているだけに、ミマは玉緒を見捨てることなどできなかった。

 

「私にできることなら何でもおっしゃってください。必ずお役に立ってみせますから」

「はは……そっか。そりゃ頼もしい。んじゃあ、長い旅路になるだろうし、色々とお願いしようかしらね」

 

 優しい言葉や態度が噛み合ったのだろう。

 玉緒は早くも依存と言ってもいいくらいミマに懐いていた。

 

 

 ――はて、前にも似たようなことがあったかしら

 

 

 ミマは過去にも同じような人の縁に恵まれた気がしたが、考えだすとどうしてかため息が出そうだったので、それ以上は考えないことにした。

 

「ミマ様、荷物をお持ちしましょうか?」

「ああ、こいつはいいよ。私が持ってなきゃいけないやつなんだ」

「では、ええっと……どうしましょう……」

「どうって……さてね。ま、どうせ長い旅なんだから、ゆっくり話でもしていこうじゃないさ。あたしのこととか、玉緒のこととかさ」

「ミマ様のこと……私、聞きたいです。是非」

「ああ、いいよ。まあ大して面白くもない歩き巫女の話なんだがね……」

 

 一人の人間と一人の半人半妖が、肩を並べて歩いてゆく。

 

 季節は夏。空は高く、若草の鮮やかな季節だった。

 

 

 

 


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