宴は続く。
質の良い酒に、夜が長くなる。
抜け出して小細工をするには、とてもいい夜だ。
「さて。紅からの頼み事もこれで解決だな」
私は今、村の麓にある寂れた神社の前にいる。
普段は神主がいるこの神社だが、彼は今宴の渦中にいる。今日の主人公は彼だ。抜け出すことはないだろう。
他の村人にしても同じ。ミマもこの日ばかりは良い気分でいるようだ。明羅も珍しく警戒心が薄い。
何より、山々に潜む妖怪達からの視線が切れているのも煩わしさが無くて良い。
余所者のルーミアが暴れ回り、様々な派閥の妖怪たちを惨殺したことによって混迷を極めているのだろう。人間の集落にまで手を伸ばす余裕が無いのだ。
だから、今夜は邪魔されない。
私は神様に対して特別な信仰を持たないが、せっかくの大切な儀式なのだ。
こういう日を厳選してやるのが一番だろう。
紅や、法界にいる多くの龍の子らもまた、それを望んでいるはず。
「さあ、アマノよ。かつて世界の中心に聳えていた竜骨塔の唯一神よ。
私がこの神社を造った際、本殿の内部に仕込んだ木組みの仕掛けが鳴動する。
魔力を帯びた木製の複雑怪奇なパズルが蠢くと、さして時間をかけることなく奥に封じられた石壇が露出した。
いくつか候補を造ってはいたが、やはりここが一番だ。
今日この日、この時、彼女を祀る聖地が再び蘇るのだ。
「この一組の骨が、砕け散ったアマノの神性をどれだけ呼び戻せるか。どれだけ再現できるのか。私にはわからないが……少なくともまだこの世界には、貴女に祈りたい者が残っているのだ。意識があろうがなかろうが、まぁ……貴女は面倒くさそうにするのかもしれないけど。それでも、応えてやっておくれ」
背負っていた木箱の中から、ズタ袋が取り出される。
その中に転がっていた大小様々な無数の骨を、魔法によって溶かし、ひとつの白い塊へと変える。
かつてアマノの原型である骨の塔を作った時も、工法は変わらずこうであった。
生物の骨は加工しやすく扱いやすい。罰当たりにはならないだろう。
「使われてこその骨。それを司っていたのが貴女だ」
骨の球体は密度を高め、上品な白磁の如き光沢を得た。
私はそれを石壇の上に乗せ、木組みを再度封じ込めてゆく。
ここは誰にも脅かされることのない本殿だ。
誰かが無理矢理に開けることはないし、内部のものに気づくこともない。
だが、信仰は届くはずだ。
彼女は耳が良かったから。
「……懐かしい気配を感じますな」
「うん?」
のっそりと、小さく這うような気配に振り向いた。
そこには山林にふさわしくない一匹の老いた海亀が、柔和な表情でこちらを窺っている。
この亀は一度だけ、ちらりと見たことがあった。
魔法でミマを視ていた時だったか。この亀が彼女と談笑していたのは印象に残っている。
妖気か何かを得た亀なのだろう。と、その時はあまり気にも留ていなかったのだが。
「やあ。貴方もこの神様の縁者かな」
「……さて。縁者と呼べるほど、この老いぼれの血筋は近いものでもなさそうな気はしますがの……」
海亀は老人のような声で苦笑し、私のすぐそばまでやってきた。
敵意はない。本殿を前に、じっと感じ入るような顔を浮かべている。
「……それでも、儂の心の奥底が……静かに疼くようです。ここにあるものを前に、何か……駆られるかのように」
「ふむ」
アマノは竜骨を集めた塔だった。
原材料は様々だ。骨と名が付けばなんでも材料として、塔は長きに渡って成長を続けた。
そこには魚類などの素材も多かったが、主原料のほとんどは恐竜類が占めている。
ひょっとすると爬虫類である彼は、人間などよりも強く感じるものがあるのかもしれない。
「……あなたは、静木とおっしゃる方でしたな」
「いかにも。ここではそう名乗っているよ」
「ふむ。儂の名は……ま、玄爺とでもお呼びくだされ。あなたは儂などよりも、よほど長く生きてらっしゃるでしょうが。ホッホッホ……」
「はは、それはもう。玄爺か。よろしくね」
玄爺は私を見上げ、人のような笑みを作った。
「静木殿は、これからどうされるのです。これは儂の浅知恵ですが、こうして本殿に細工をした時点で……あなたのすべきことは、終わっているのでは」
「おお、鋭いね。人よりもずっと頭が切れそうだ」
「ホホホ」
ふむ。実際に私のすべきことは終わっている。
紅の頼みはこれで完了した。魔力の豊富な場所に安置して、現代の神としての名もつけた。
あとは……いや。
「まだもう少しだけ、アマノの……ここの神様の扱われ方を見守ることにするよ。微弱とはいえ、神社に神が宿ったともなればきっと神主やミマは気付くはずだからね。成り行きを見届けておきたい」
「ふむ……空き家だった神社に、唐突に現れた神……お二方とも、驚かれるでしょうなぁ」
「粗雑な扱われ方をするようなら再び考えるべきだろうね。丁重に祀られるのであれば……その時は決定、ということで」
ここには小さいとはいえ、村がある。村人がいる限り、信仰がある限り、神社は代々受け継がれてゆくだろう。
それにはまず、そもそもアマノが丁重に扱われるかどうかが大切だ。
見守る必要があるだろう。
まぁ、この村の人々の気風ならそう心配する必要もないだろうが……。
「ふむ。ではその見届け役、不肖ながらこの儂めも、担わせていただきましょう」
「おお、それはありがたい。現地の人が協力してくれるならば心強いよ」
「ホッホッホ。ま、ここにおられる方々はみな善良。そう心配することにもならないでしょうが……」
玄爺は本殿を見上げ、目を細めた。
「この御方のために何か、役目をいただけるのであれば。それはとても名誉なことであるように、思えてならんのです」
「……なるほど」
巨大隕石の衝突。終焉を迎えたパンゲアの信仰。
それから随分と長い時を経て、信仰のあり方も一つではなく、無数に細分化されていったが。
それでもまだ、かつて一つだった神を見上げようとする命が、この世に息づいている。
それを思うと、遠からずまたアマノのそっけない声がこの空に響いてきそうな気がしてならなかった。